おチンチン
幼稚園時代、私は泣き虫であった。
通園するときに乗るバスでは、乗る度にその頬を涙で濡らし、母との一時的な別れに胸を痛めた。
お昼はセンターのお弁当が食べきれず、残してしまうことへの罪悪感から頬をぬらした。
お遊戯会の楽器演奏では鉄琴に抜擢され、初めての練習で鉄琴を目の前にするも、あまりの巨大さに頬をぬらした。
頬が常にビッチャビチャだった私だが幼稚園児ということもあり、あまり怒られなかったように思える。しかし一つだけ、鮮明に頭の中に刻まれている怒られた記憶がある。
いつものように通園バスに乗り泣きながら幼稚園についた。皆は楽しそうに自らのクラスに入っていく。私だけが一人、何もせずにずっと泣いていた。するといつもは接することのない園長先生クラスの(園長先生かどうかは定かではない)女性が私の前にきた。子供の私と目線が合うように立て膝で話してくださったのを覚えている。
「また泣いてるの」
泣いていて何も話せない小林少年
「あなたね、もうお母さんお母さんって甘えられないのよ」
メソメソ小林
「そうやって泣いてばかりいても何もできないの」
グズグズ小林
そうやって泣き続けていると、とうとう堪忍袋の尾が切れたのか先生の口調が強くなった
「あなた!男の子なんでしょ!」
そして先生は大きく息を吸いこう言った
”おチンチン“ついてるんでしょっ!!
……。
一点の曇りもない瞳がこちらを見つめている。
そして、一点の曇りもない「おチンチン」が脳を貫いている。
ちょっと待ってくれ。
「おチンチン」
え、うん……うん、やっぱおかしいよ。
ふざけるためだけに使われていた言葉が、こんなにも清々しく清楚な見た目で使われると動揺しかない。
怒られている動揺と突然の「おチンチン」による動揺を目の前にし、私は再び頬を濡らすしかなかった。
そんな私も年長になる頃にはバスにも慣れ、泣かずに通園できるようになった。
それもこれも「おチンチン」という言葉が私を孤独にさせないでいてくれたからに違いない。
最後に、幼稚園時代に泣いてばかりいた私に根気よく接してくれた先生方には感謝しかありません。ありがとうございました。
そして、タイトルから本文の最後まで「おチンチン」という普段ならダメとされている言葉(私的には私を救ってくれた貴重な言葉)を含んだ文章を読んでくださったあなたに感謝申し上げます。