「バブ侍」

「バブ侍」の感想を書こうと思う。しかし、コマの構図だとか物語の起承転結だとか専門的なことはわからない。
ならばその日起こったことをありのまま書けば、一読者の興奮と熱が伝わるのではないか。そうあって欲しいと神に願いながら他力本願でこの文章を書く。

10月16日 金曜日

私が起きたのは12時ちょうど。その日にあったはずの一限と二限の授業は、どうやら光の速度で過ぎてしまったようだ。

光の速度ならば仕方がないということで私は光の速度で気持ちを切り替え、映画を見にいくことにした。

久々のひとり映画に胸を踊らせながら電車を乗り継ぎ、意気揚々と映画館に突入。「ワッハッハッハ!俺様の登場だぁ!」と心の中で叫んでいると、いつもと違う映画館に気づいた。

ドリンクの販売所には長蛇の列。チケットもぎりにも長蛇の列。
しまった!今日は「鬼滅の刃 無限列車編」の公開日か!Twitterなどでも話題となっていたがすっかり忘れていた。

なんだか怖い。私も鬼滅の刃はいつか見に行こうとは思っているがこれほどの人間がいると怖い。それに加えあたりは鬼滅一色。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見に来ていた私は居心地の悪さを感じた。

何かないだろうか。この鬼滅ムードの中に紛れる術は。

そう考えていると私は映画館に来る前に買った「ジャンプGIGA」を手に持っていることを思い出した。巻頭は鬼滅の刃だ。

家に帰ってから読もうと考えていたが致し方ない。読もう。

私はパラパラとページをめくり、お目当ての漫画を探した。

「バブ侍」

なんとも可愛らしいタイトルのその漫画はセンターカラーですぐに見つかった。

この漫画の雰囲気が伝わってくるような落ち着いた色で描かれたセンターカラー

小林、もれなく感動。

一ページめくり、かっこいい物語の始まり方に感動。

二ページ目の赤ちゃんの登場の仕方に感動。

三ページ目、政道の肉体の自然さ、お梅の女性らしい着物の裾を払う仕草に感動。

そして、感涙。

ちょっと待ってくれ
どういうことであろうか。

20歳男性、映画館前のベンチにて涙

みなさんも驚きだろう。まだ物語は序盤の序盤である。たった11コマである。そもそも私は映画を見に来たはずである。

これはいけないと思い、そっとページを閉じた。やっぱ、家で読もう。


なぜ私がベンチで泣くこととなったのか。それはこの漫画の作者が友人ということが大きく関係していると考える。作者の絶え間ない努力に思いを馳せるとどうしても感動してしまう。なんてったって前回の「ミルクパレット」より明らかに上手くなっていたのだ。

しかし、それは一読者としてどうなのか。贔屓していることにはならないか。いや、全然贔屓したいと思えるほど彼は魅力的な人間なのだからそれは仕方ない。そう考えていた。


数時間後、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見終わってマスクをびしょびしょにした私はそのまま家に帰り、もう一度改めて「バブ侍」を開いた。

フッフッフッ…

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で涙を流した私はもう泣かん!私は手強いぞぉ!残念だったなぁ!角田ぁ!(cv子安武人)


…………。 

アレェーー?ドウシテ目カラ水ガ出テクルノォ?

20歳、またしても感涙。大敗北である。

登場人物のひとりひとりに理由があり、ひとりひとりがきちんと生きていた。彼らの続きが見たいと素直に思えた。
そのとき流した涙は、友人の努力の姿に対してではなく、「バブ侍」に出てくる人間たちの”生きる姿“に対してだった。

私はいい物語に出会うとその世界が実際に生きているという感覚に陥る。もしかしたら海の向こうにはルフィがいるかもしれないし、もしかしたら暗黒大陸があるかもしれない。私が生きている世界の話ではないが、絶対にどこかで起こっている。そう信じさせてくれるからこそ、その物語のキャラクターが放つ行動や言動は時に現実よりも強いエネルギーを持つ。私はそう思う。

作者が友人ということは確かに大きかった。故に11コマで泣いてしまったわけだが、全てを読み終えるとそんなことはなく、「バブ侍」の世界はしっかりと生きていた。

ここまで読んでくれた方ならおわかりだと思うが、やはり、神に頼んでも上手くは書けなかったようだ。申し訳ない。ごちゃごちゃ素人が言ったことは忘れてほしい。百聞は一見に如かずだ。

そして、この漫画を一見すれば次の一言に共感の嵐だろう。


この漫画は面白い


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