『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』と百合のかたち
にもです。キャベツを気持ち小さめにちぎって電子レンジ700W3分でチンするとウマい。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』という作品を観ました。昨日『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のアニメを見て勢いそのまま。これはそこで気づいた自分の思う、自分の愛する「百合」のかたち、その言語化であり共有です。作品紹介とかはあんまりないです。ただただ自分の感情の備忘録。それだけ。
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ゆり【百=合】
①きれいな花のひとつ。
②女性に対して女性が愛情を抱いて想い、慕うこと。
また互いがそのような感情を持ち、慕いあうこと。
百合が辞書に載ったらこんな感じかな。早く広辞苑に乗せたほうがいいぞ岩波書店。いずれにせよ百合とは「恋愛」である、というのがおそらく最も多い解釈だと思います。僕が初めて百合作品においても、そこでは女が四六時中女見つめてたし心臓はバクバクいってたし一言話すだけでウキウキしてました。最高。
ただ僕は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』を観て、百合はもっと広くて自由なものなんじゃないかな、と思いました。恋愛という文脈に縛るのは勿体ないな、と。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』で描かれた、ヴァイオレットとエイミーの関係は「友達」です。もしかするとエイミーはヴァイオレットに対して一瞬だけでも友達以上の想いを持っていたかもしれない。しかし作品の描写を尊重した場合、彼女たちはあくまでも「友達」です。
それでも映画を観ていた僕の心が感じたのは百合としての強い関係性でした。少しの違和感と圧倒的な納得。初めてやがて君になるを読んだときに感じたアレ。
僕が好きな百合とは、恋愛という限られた文脈のみにはなく、なんというか… 女性と女性と間に生まれる特別な感情そのもの、なんだと思います。代替の効かない、形容もし難いような強い感情。それは時に友情であり、憧憬であり、時には悲哀であるかもしれない。当然そこには恋愛もあります。ただ恋愛に限らない。そして、もしかするとそれは一方的なものかもしれない。とても一言では言い表せない関係性かもしれない。そんな特別な関係性を僕は「百合」と呼びたい。
互いに孤児であり、互いに大切な人に会う機会を失っているエイミーとヴァイオレット。未来への希望や期待を失ったエイミーにとって、今まで友達と呼べる人がいなかったエイミーにとって、そんな共通点を持つヴァイオレットはどう映ったでしょうか。少なくとも僕の目移ったエイミーの表情は、瞳は、とても美しかった。
「百合」という言葉は三人称的な性質が強い言葉だと思っています。百合という物語を生み出す人、また百合という世界を鑑賞する人のための言葉であり、そこに百合という関係を織りなす「私」と「あなた」は存在しない。だからこそ、この言葉はできる限り自由、広く大きくあってほしいと思います。決して何でも百合って言っとけ!みたいなマインドではない。
この物語を「百合」と呼ぶのも好ましくない人も少なからずいるんじゃないでしょうか。2人の関係はそれだけ繊細で、特別で、100人いたら100人の解釈があるはずで、それは受け取ったそれぞれが大切にすべきだと思います。僕も同様に、僕が感じたヴァイオレットとエイミーの関係性、それを観て感じた自分の感情を大切にしておきます。マジで美しい…美しい………………
以上!ヴァイオレット・エヴァーガーデンみんな見てくれよな。