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母に対して、娘である私が思うこと。

私は、23歳のムスコと19歳のムスメを育てた母である。そして、私は第一子、4つ年下の弟をもつ姉として育った。

娘として、大学に入学してひとり暮らしをはじめた頃から感じていた母に対する違和感を、私自身が母になっても忘れることはなく、中学から高校、大学生へと成長していく子どもたちを注意深く観察しながら、彼らとの距離感をどう適切にとるべきかをずーっと考えてきた。

次編は、「娘に対して、母である私が思うこと。」という視点で書く。

今回の実家滞在でつくづくわかったことがある。

83歳になる母は、57歳になる私を、相変わらず子供扱いすることが少なからずある。着ている洋服にコメントし、化粧や髪型にコメントし、言葉使いにコメントする。それは、私がアメリカに長いこと住んでいて「日本の常識がわかってない」という前提からくるのだろう。

彼女のそういうコメントは決して攻撃的なトーンではない。何度も私が過剰反応してきたから、遠慮しつつも言わずにはいられないという感じ。

友達にはさんざん「聞き流せ」と言われ続けている。

白いジーンズに紺色のブラウスを着ていたら、色の対照がありすぎるからブルージーンズのほうがいいと言い出し、Vネックのシャツを胸が開きすぎていると言い、脇にスリットの入ってるロングスカートから私の足が見えて「ぎゃあ」と言った。白浮きしないように敢えて肌色に近いファンデーションを選んで化粧している私の顔を見て、ファンデの色がくろすぎるのではとコメントし、ある目的をもって長いグレイヘアを下ろしていた私に、アップにしたほうがいいと言う。

…..余計なお世話だ。そっちはそうすればいい。私は私のしたいようにする。

家を売ってマンションを買おうとしている母の友人のマンションを見せてもらいにお邪魔したとき、玄関先で、母は慣れた仕草でスリッパをだした。裸足のまま上がろうとする私を、「足の油が床につくから、裸足なんてダメ!」と大騒ぎした。私は、むしろ複数の人間が一つのスリッパを使い回すことのほうが衛生上嫌がる人がいると思うと言い、当の母の友人は苦笑し、かまわないと言うのに、母はガンとして譲らず、私にスリッパをはかせた。

帰宅して、あなたは気づいてないだろうけど、と前置きして、私が座っている椅子の足元の床に、裸足の私の足の跡が残っているのを見せて、「ほらね」と言った。確かに、私は気づかなかったから、これからはソックスを持ち歩こうと思う。が、問題は母が友人の前で大騒ぎしたという点である。

あの母の大騒ぎをみて、彼女の友人は母がそこまで気にしているということを知ったことになる。それはひっくり返せば、友人が母を訪問するとき、裸足で上がってはいけないと思わせた、ということ。

母は(私はこんなに気のつく人なのよ)と見せてるつもりだろうが、逆に友人に気を利かせろと、暗に言ってると取られる可能性だってある。私は、自分は気にしないと示すことで、相手が家に裸足で上がっても気にしないと伝えている。客が帰ってから床を拭けばいいだけではないか。

そして。57歳にもなる娘をああいう形でたしなめる、という行為にはどういう意味があるのだろう。一方で、母は私のことを自慢する。

「日本全国、飛行機と新幹線で飛び回っているのよ」

言わせてもらおう。親が「自分の子育てが成功したのだ」と言わんばかりに、子供の成長や成功を他人に自慢するのは、子供が大学を卒業して就職するところまで。そこから先は、子供自身の人生であり、本人の努力の結果としての成長である。もちろん、その子の基礎は子育てと育てる環境を与え整えた親の影響は大きい。が、それをいつまでもいつまでも自分の手柄のように自慢するのは滑稽極まりないし、子供の人格と努力をまるで無視している。

立派に育った子供を誇りに思うことと、自分の子育ての手柄にして自慢すること。前者の成功の基点が子供にあるのに対して、後者は育てた自分にある。

母は、私のことはあちこちで自慢する一方で、ある日突然夫が家をでていったのが三年以上前、離婚が成立したのが二年前になるのに、まだ親戚にも友達にも私が離婚したことを話していない。

その友達の家で、マンション購入や引っ越しの話をしていたとき、私の引っ越しの話をだしかけたら、「その件はまだ彼女には話してないから」と止められて、私の離婚のことを話してないのだと知って、びっくりした。

恥、なのである。私が離婚したということが。自慢にならないから言えない。彼が出ていってから、私がこんなに解放されて、離婚も家の売却もすべて自分一人でやりこなし、こんなに自由に楽しく暮らしているというのに、それは自慢にはならず、ただただ「離婚」は恥、らしい。

離婚したことを隠していて、もし私が再婚したら、どうするんだろう。


東京に住んでいる友人が実家に帰るときは、日帰り、だそうだし、アメリカに住んでいる友人ですら、二週間日本に帰るとして実家には3泊が限界、と皆口をそろえて言う。

なんでだろう、そんなもんなのかなぁと思っていたが、ようやくわかった。毎年じゃなくても数年に一度は一時帰国していた友人と違って、私は子供が生まれてからの二十数年間で実家に帰ったのは5回もない。子供が小さい頃は両親がこちらに遊びにきた。

私は、長くそばにいると感じ始める親のうっとおしい部分を経験せずにきたから、離婚したときに(これでゆっくり数ヶ月くらい帰れる)と思い、友達に「そんなに長いこといられるの?」と驚かれた。

みんな、やっとわかったよ。わかりすぎるくらい、わかったよ。

昨秋は実家に5泊して、「短すぎる」と母に文句を言われ、今春は10泊した。東京連泊の疲れはとれたが、やっぱり一週間超えないほうがいい。

母は83歳。私は57歳。
自分が57歳だったときのことを思い出してみればいい。老いた母親から何を言われてどう感じたか。

私は57歳。ムスメは19歳。
大学に入って、私の世界はぐんっと広がった。なんでも自分で決めなきゃと思って、決められるようになった。そばにいない母に状況をいちいち説明して相談する必要性を感じなくなった。自立するというのはそういうことである。

まして、私はもう子供を二人も成人させた57歳の母親である。

母にされたことを、私はムスメにはしない。それに尽きる。


ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。