なんでもやってみることが許された時代、昭和
昭和という時代は、生活も考え方も発展途上だったと思います。
何しろ 戦後10~20年で、新しい文化が怒涛のようになだれ込み、そんな状況の中で、人はトライ アンド エラー、試行錯誤しながら生きてきました。
北海道の 片隅で生きていた私たち家族も例外ではありません。次々と開発される生活に便利な器具を手に入れました。この場合洗濯機。特に父は新しもの好きでしたから。
電気は通っていたので、洗濯機は使うことができた。でも、排水設備は整っていない状態。そして、4年後には小さな家を建てて、排水のマンホールができていきました。
何かを開発しながら、そこで不備になったところを後から修正、修繕していくというスタイル。
それが 当たり前だった、または、それが許されていた時代でした。
とはいえ、同じ時代の 市街地での生活しか知らない人には、この洗濯排水 垂れ流しの状態は 想像するのが難しいかもしれません。私はこの様子を直接見てはいませんが、想像できるのです。
なぜなら、北海道の一軒当たりの農業耕地面積は他の都府県の15倍。
当時 分家して農業を始めたばかりの両親は 6ha の田んぼを持っていました。その後 さらに土地を増やしていくわけですが。そんな環境の中では 洗濯排水も 大した事はないと感覚的に理解できます。
余談
この、とりあえずやってみるという自由な感覚は、逆を言えば、将来の見通しを持たずに、行動することにつながります。
自分が責任を終える範囲であれば 周りの人に与える影響は少ないでしょう。例えば この洗濯排水などは 広大な私有地の中で起こることですから、周りへの被害もほとんどないと言ってもいいでしょう。
でも、工場の汚染水などの公害、原発など 長期ににわたり たくさんの人々に被害を与えることについては、トライ アンド エラーですまされないことも多くあります。
私たちの生活は、今も過去の延長線上にあるように思われます。