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昭和の北海道 【4コマ漫画 父の口癖、○○らしく、、】


人は、少なからず生きた時代の影響を受けます。

父は昭和12年に生まれ、戦後の高度経済成長期を生きた人でした。
当時は農業人口も多く全体の3割以上。(今はその10分の一)

そして、コメ余り現象から始まった減反政策。
水田から畑への転換奨励政策です。これは、農地の広かった北海道の水田農家には追い風でした。
この減反政策に伴って、
休耕奨励金は水田の耕作面積に応じて給付されました。
北海道は耕作面積が広く、休耕田からの畑作物の収穫高に関係なくこの給付金がもらえたのです。

北海道の水田農家は本州などの地域の10倍くらいあったと思いますから、給付金だけで10倍もらえるわけです。
これはきっと、一般庶民にとっては、決して悪くない金額だったと思われます。

この給付金のおかげかどうかはわかりませんが、
両親は冬の間、全く仕事をしていませんでした。
冬の3か月間、母は好きな編み物をし、父は近所の友達と花札をしたり。
もちろん、経営についての計画は立てていたと思いますが。

そんな景気の良さは、きっと当時のサラリーマン世帯にもあったでしょうね。
働いていさえすれば、楽に生活していける。
会社に勤めていれば、毎月給料がもらえる的な。
毎日 ちゃんと働いていれば、、。

このような時代背景の中で、
父がこう考えることは理にかなったことでした。
”真面目にコツコツ働いていれば、生活に困ることはない”
自ら実践 経験していますから。

運よく、彼が生きていた50年は(父 享年50才)
その信条を曲げる必要もなく 生活することができました。

令和になり、時代は変わりました。
ただコツコツと働くだけでは生きていくのが難しい時代に。

そう、その当時は ら、し、く、することで生活が成り立ちました。
ら、し、く、することで波風の立たない人生を送ることができたのです。

父の言っていた ”百姓らしく” というのは、見栄を張らない、高望みをぜずに日々の仕事に精を出して。
そのくらいの意味だったと思います。
それは、高度経済成長期の浮足立った消費行動に流されることなく、自分にとって必要な物を吟味して買うという
質素、倹約を美徳とする禅的精神も含まれているでしょう。
熱心な曹洞宗(禅宗の一つ) 信仰者でもありましたから。

しかし、この ら、し、く。

女は女らしく、男は男らしく。
LGBTQ なんのその。
人権尊重も何もないですね。

父は父らしく
妻は妻らしく
嫁は嫁らしく

子どもは子どもらしくーこれきつい!
生徒は生徒らしく―これには泣かされた😅
(私は、元気で活発、先生大好き的な子どもでも生徒でもなかった。)

閉鎖的な社会の暗黙の強制。
当時は それに従うことが生きていく知恵だったのかもしれない。
そうして生きていれば、間違いのなかった時代。

さて
ら、し、く、という言葉を
昭和の人と、現代の人とでギリギリ共有するとしたら、、、

”自分が 自分らしく”

私には この使い方しか浮かばない。
(これも、ちょっと古いかな)

じゃあ、自分ってなんだ、
自分らしいってどういうこと。

そこで 行き詰っているのが ”今” という時代なのかな。

平成後半から令和、
自分も含めて、それを模索して右往左往してきた、
今も そうしてウロウロしている
そんな時代に生きている。

アラ還になっても、悟り切れない自分を感じながら。

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