ショート漫画【雪虫⑤】 5ページ目
昭和の家族、夫婦関係
祖母と母の会話は10才の私にとって、とてもドラマチックでした。癌という病気、回復の見込みがないこと、涙する家族たち。もちろん、私が口をはさむような事柄ではありませんから、ただ黙って聞いていました。
祖母も母も典型的な昭和前半の女性でしたから、積極的に状況を変えようとは思っていません。手術で癌は取れなかったことを、祖母は最後まで言わず、祖父は問い詰めることもせずに過ぎていきました。
祖父としては 今さら真実を確認したところで癌が治るわけではないと考えたかもしれないし、祖母は祖母で、祖父が死を自覚し涙を流す様子を見るに堪えなかったかもしれません。
お互いにその話題に触れないでおくことで、二人の微妙なバランスが保たれていたのでしょう。日常のあたりさわりのない会話は、むしろ気が休まるものだったのかもしれません。今となっては、確認する方法はないので想像するしかありません。
当時の医療について
祖父が経口的に食べられなくなってくると、点滴で栄養を与えられました。何が苦痛だったかと言えば、点滴の針を毎日刺すことでした。老人の血管は固くなり、何度も針を刺していると血管の内腔が狭くなり、針を刺すのが難しくなります。私が看護婦だった経験からも、当時の看護婦さんたちの苦労がしのばれます。
しかし、一番苦痛を感じたのは言うまでもなく針を刺される患者ですね。
今はIVH(中心静脈栄養)という 長期間カテーテルを挿入したままにできる方法があります。祖父の死から10年後にはIVHは一般的に使われていましたから、これはタイミングとしか言いようがありません。
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常日頃、私は自分の行動を意識して選択していきたいと思っていましたが、案外 自分で決められることは少ないのかもしれません。時代や生活環境の影響が強く、それは自分ではどうすることもできないことがほとんど。自分が意識し選択したと思っていても、わずかにその範囲の中での選択に過ぎないのかもしれません。
祖父のマンガを描いていて、ふとそんな風に思うようになりました(ღˇᴗˇ)。o
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