白い体をした蝉の幼虫が抜け殻から抜け出して羽化しようとしている
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「おい出られへんぞ」
「もうちょっと右よ、割れ目がもう入っているわ」
「これか?」
「そうそう、それよ、あぅっ」
「変な声出すなや、気色悪い」
「仕方ないじゃない。初めてなんだから」
「その言葉づかいはなんやねん。わしがオスなんだから抜け殻も当然オスとちゃうんか」
「分かんないわよ。でもあなたはこれからオスとして蝉の子孫を残すために飛び立つんでしょ、だから交尾に不必要なアニマが抜け殻の方に宿ったんじゃないかしら。それに、ぅんっ」
「だから変な声出すなや、なんか知らんけど声はオスのまんまなんやから。気味わるうてしゃあないわ」
「ひどい。急に前足を抜かないでよ、乱暴ね。
でもこの会話はフェロモンを通じたテレパシーみたいなものだからあなたがあたしのことをメスだと認識すれば声色も変わると思うのだけれど」
「いや、脱皮したからってわしの皮だったものを、どうやったらメスだと思えるねん、そもそもアニマってなんや」
「オスの無意識人格の内、メス的な側面のことよ。あなたの中に内在していたメス的な心理学的性質があたしってことね」
「全くわからんわ。そもそもわしが知らんことをなんで抜け殻が知っとんねん」
「さあ、多分あたしが半分死んでいるからじゃないかしら。ここにいると同時に、大きな命の流れのなかにいるような気もするの。そこではあらゆる知識や知恵に触れられる、或いはあたしが大いなる知恵そのものなのかも」
「不思議なこともあるもんやなあ」
「やっと全部出られたわ」
「お疲れ様」
「こうやってじっとしとればええんか」
「そうよ、あとは乾くにしたがって、甲殻が然るべき方向に向かって成形されていくわ」
「けったいな仕組みやなあ、誰が考えたんやろうか」
「本当に不思議ね」
「大いなる知恵みたいなもんでも分からんのか」
「ええ、ただなるようになった。そういうことらしいわ」
「なるほどなあ。お前はわしが去ったあとどうなるんやろか」
「だんだんあたしの意識が木や風に溶けだしていっている気がするの。もう数時間もすればあたしは命の流れの中に完全に溶けてしまうと思うわ」
「そうか、かなしいなあ」
「心配してくれるのね。ありがと。でもどこか懐かしくて、とても心地が良いのよ」
「そうか、それなら少し安心するわ」
「ちょっと黙らないでよ」
「ああすまん。体が乾いていくのがとても気持ちよくてなあ。いよいよ飛び立つと思うと胸がいっぱいで」
「そろそろ行くのね」
「名残惜しいけどな。というか、お前の声がメスのそれになっとるな。これが、わしがお前をメスだと認識したってことなんか」
「きっとね。あなたも立派な大人のオスになったわよ」
「うれしいなあ。なんかもうお前と交尾したくなってきたわ」
「莫迦」
「ほな、行くわ。世話になったな。ありがとうな」
「うん。ありがとう
さようなら」
残された抜け殻は消えゆく意識の中でつぶやいた。
また、七年後。