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ずっと友だちでいたかった①

 ※私個人の恋愛観(パンセクシュアル/デミロマンティック)です。登場人物や設定は架空のものです。余裕があったら続きを書きます。

 夜の2時を告げるラジオの時報を耳にしながら、私はカラーペンで社会のノートをガリガリとまとめていた。期末試験を再来週に控えた土曜日だった。日付は既に当日になってしまったが、明日はお昼からカタちゃんとカナちゃんと一緒に遊ぶ約束をしている。着る服をなににするかまだ決めていなかったけれど、先に明日の分までまとめをやってしまおうと思い、いつもより長いこと作業をしていた。
 ボールペンで書き間違えた漢字を修正ペンでゴシゴシと潰す。液がうまく出てこなくて勢いよく押すとブシっと音が出て、飛んだ泡が机に付いてしまった。
「うわ、やっちゃった!」
 ティッシュで流れ出て白く濁ったところを拭う。下にぼやけた木目が浮かぶ。これだと広がってぼやけた染みになってしまう。むしろたくさん塗って乾いてから定規などで擦れば剥がれるだろうか。ふとテレビで見た裏技的なことを思い出し、私は修正液を足した。それよりまとめと明日の準備をしなくっちゃ。私はその後大体三時過ぎまでまとめ作業を続け、大急ぎで支度を済ませ、布団に潜り込んだ。

「ごめん! ちょっと遅れそうだから先に中に入ってて! 着いたら連絡する」
「わかったー。カナには伝えとく。こっちもちょっと遅れて出るよ。二人で遅れりゃ大丈夫っしょ」
「ほんと? 助かる。じゃあ後でね」
「ん」
 携帯を閉じ、ホームの外の景色を視界に入れる。目的の駅までは次の電車で30分くらいのはずだ。そこからビルを抜けて、待ち合わせのファミレスに急いで行って、合計40分くらいだろうか……走ったために乱れたスカートの皺を伸ばしながら、私はこっそりため息をついた。足元がスニーカーだったのが幸いしたが、これがブーツとかサンダルだったらもっと遅くなってしまったに違いない。自分の管理不足具合に嫌気がさす。予定通りに起きたのに、直前に下の服で迷って結局遅くなってしまった。事前に用意したものが必ず良いとは限らないということを改めて感じた。電車がホームに忍者のように滑り込んできた。数秒ごとに大きな窓に映る自分のシルエットが微妙な角度に揺れる。この格好、変じゃないよね? 鏡写しになった自分に聞きたくなってしまう。閉じていたドアが左右に割れて、中に入ると車両はすぐに動き出す。気が急いて座る気になれず、奥の窓の前に立ったままで過ごした。指先がガラスに触れると結露で曇ったところが消えた。しかしクリアになるとすぐ新たな曇りが発生し、外が見えない。むきになってゴシゴシやっているうちに電車は地下に潜り、外は真っ暗になってしまったので私は諦めて、どうやって2人に謝ろうか考えた。

 改札を抜けてからは走りっぱなしだった。階段を登ったり降りたりし、混雑した人通りを急いで抜け、ファミレス手前の信号を息を切らしながら早く早くと待っていると、後ろから気の抜けたような声が聞こえた。
「着いたら連絡するっていってたからここに居たのに、無視すんなって」
 振り返るまでもなくさっき電話したカタちゃんだった。口調からも想像できるようなボーイッシュな女の子だ。学校では制服だからスカートを履いているけど、私服はいつもデニムパンツに白いシャツとかそういう感じだった。飾りっ気が皆無な分、中身が光るタイプだった。
「ってか走りすぎ。汗かいてると冷えるよ」
「だ、だって……」
 私は額の汗をハンカチで拭いた。急に止まったから心臓もばくばく鳴っていて、カタちゃんがなにをいってくれても返答する余裕がない。と、カタちゃんが先に歩き出した。止まって待っていた私は慌てて引き止める。
「ちょっと、まだ赤」
「車が来なきゃ渡れるだろ。この信号青の時間長いし」
 急いでいる私を気遣ってなのか、さっさと自分が渡りたいだけなのかわからない。でもカタちゃんは昔からこういう性格だったし、発言に妙な説得力があって、今まで彼女に口で勝てたことがない。私は左右をキョロキョロしながらカタちゃんの後ろをついていった。

 ひやっと涼しい店内に入るとすぐにカナちゃんが手を振ってくれた。
「やっほー! もう、2人とも遅いよ!」
「ごめん。ちょっと寝坊してさ」
 カナちゃんがふくれっ面をするとカタちゃんは申し訳なさそうな表情を作った。てっきりファミレスから出迎えで私を待っていたのだと思った私は隣のカタちゃんをチラ見した。彼女は表情を変えない。
「んで、こいつに連絡して待っててもらったんだよな」
「えっ……あの」
「もう、しょうがないなぁ。ま、いっか。ごめんね文句いって。早く座って。なんか注文しよう。あたしめっちゃお腹空いちゃって」
 促されるままカナちゃんの向かいにカタちゃんと並んで座った。カナちゃんはお手洗いに行くといって席を立った。
「ヒラちゃん、オムライスとコーンスープのセット注文しといて!」
「わかった」
 荷物をカゴに入れて、店内を見回す。お昼の時間帯を少し過ぎたので、人は少なめだった。メニューを広げると隣からカタちゃんが覗いてくる。
「な? なんとかなっただろ」
「バカ。そっちは悪くないのに」
 カタちゃんはまぁまぁと私をなだめる。そしてニヤリと笑った。
「ってことだからここは奢ってよ。金欠で困ってるんだわ」
 やられたと気付くがもう遅い。ほっぺたを少しつねりたくなるが、それでは今度は私が大人げなくなってしまう。
「わかったよ、勘定一緒に払っとくから」
「マジで? やった。いってみるもんだね」
「えっ、」
「んーと、今日は奮発してステーキセットにするか……」
「カタさぁん?」
「嘘だって。唐揚げ定食でいいよ。飲み物はなしで」
 私が睨むとカタちゃんはバツの悪そうな顔で引っ込んだ。しかし実際に遅刻してもなんにもお咎めなく済んだのは彼女のお陰だった。カナちゃんはカタちゃんと私よりも前から知り合いで、この程度のトラブルなら言葉1つでチャラになるみたいだった。彼女らの信頼関係の深さが伺える。奢り1つで嫌な空気がなくなるなら安いものだ。こういうふうにカナちゃんもカタちゃんにこうやって取り込まれてしまっている可能性もあるが、今は考えないでおく。

 海老のグラタンとメロンソーダという組み合わせがテーブルに並ぶとカナちゃんが笑った。
「なんかお子様ランチの延長みたいだね」
「だって家でこういうの食べられないんだもん。そういうカナちゃんだって似たような感じだよ」
 黄色の玉子のベールを押すように切り、中のチキンライスを口にするカナちゃんは恥ずかしそうに照れた。きれいな楕円の爪にオレンジ色のマニキュアがよく映えている。
「まぁね。でもさ、なんかファミレスってこういうのを頼みたくなるんだよね」
「わかる気がする! おっと、あっつつ」
 熱くて舌が火傷しそうなところをメロンソーダのチープな炭酸が爽やかに流していく。見た目は子供っぽいが、相性は悪くないと思った。後味が甘すぎるのはご愛嬌ってやつだ。隣のカタちゃんはお味噌汁に手をつけていた。
「カタちゃんも洋食かと思ったけど意外と和だね」
「ん? あぁ、うちはごちゃごちゃした派手なのより落ち着いたおふくろの味が好きだし」
「うわ、まだあたしたち高校生なのに中年おじさんみたいなこといってる」
 からかうようにカナちゃんが囃す。
「どうせすぐ歳とるから。今から渋いくらいでちょうどいいんだよ」
 同年代の中でどこかズレているというか、気障というか、そういう雰囲気がカタちゃんにはあった。でも、それが彼女の普通で自然だったし、クラスでもそのままだった。いつも本を読んでいるばかりで、いわゆる「友だちの輪」には入らないタイプの子だ。初めに話しかけたのは多分私だったと思う。席が私の真後ろで、プリントを回しても反応がないことがあったのが始まりだった。その時も彼女は机の下に隠した本を読んでいて、私が顔の前にひらひらと紙を泳がせるまで無反応だったのが懐かしい。読書関連で話が弾み、その後ちょっとずつ親しくなっていってもう4年が経つ。
「これ食べ終わったらカラオケ行かない? 雨だし」
 コーンの粒をかき混ぜながらカナちゃんが提案した。私が店内に入ってほどなくしてから小雨になってきていた。さきほどからは雨足が強くなり、窓ガラスに雨粒が当たって弾かれていくのが目に見えるほどになっている。
「そうだね。ちょっと寒いし、室内にしようか。カタは賛成?」
「え、うち歌わないよ。帰る」
「ちょっとぉ! さっき来たとこなのに」
 カタちゃんはカラオケ全否定だった。こういう順番になにかをしたり、なにかを披露する系のレジャーをカタちゃんは嫌った。そうでなくても目的が済めばすぐ帰ってしまう。あっさりし過ぎたところが玉に瑕だった。
「あ、じゃあ先に漫画借りていいから。ね、カナちゃん、いいでしょ? じゃないとこの人すぐ帰っちゃうよ」
 私はカナちゃんのために持ってきた少年漫画の袋を思い出した。ちょうど1巻から揃っている。よく私たち3人は漫画の貸し借りをしていて、今日も会うついでにと用意していたものだった。カナちゃんはスプーンを手に弄び、少し悩んだ。その傍らでカタちゃんが静かにお漬物を食べている音がコリコリと聞こえる。
「そうだねー、せっかく来たのにもったいないし。あたしは今度カタから又借りするよ。こんなのほっといて、あたし達2人で歌おう」
「それでいい? あ、歌わないならこの人の料金も安くて構わない……よね」
 さすがに勝手に決めると悪いかと思ってカナちゃんを見ると彼女も頷いた。
「……わかったよ、行けばいいんでしょ」
 カタちゃんはしょうがなさを顔全体に広げつつ、ちょっと嬉しそうにしている。また術中にハマってしまった感じがするが、ここで彼女に帰られては集まった楽しみが半減する。しかし、カタちゃんの弱点が本絡みだということがこんなに都合よく働くとは思っていなかった。
「予定変更したって電話してくる」
 カタちゃんは先に食べ終わり、席を立って外に出た。私も最後に残った少し薄まったメロンソーダを口にする。と、カナちゃんがにこにこと笑顔を浮かべて私を見つめた。真正面で目線がかち合って、私は思わずはにかんでしまう。女の私からしても可愛いと思う眩しさだった。
「カタってほんとズルい性格してるよね。でもそこが嫌味じゃないっていうか。よくわかんないけど面白いところ? かもね」
「うん。人の顔色をうかがうのが上手いっていうか、なんか、なんだろ……素直じゃないし図々しいのに許せるっていうか……野良猫っぽい」
「そうかも。ヒラちゃんナイスたとえ! あ、もう会計しちゃお。ほっといたら勝手に帰りそうだし」
「いえてる」

 気持ち急いで外に出るとカタちゃんはつまらなそうな顔をした。
「ちっ、気づかれたか」
「やっぱり! 食い逃げはダメだよ」
「でも奢りじゃん」
 そういいながら、私がリュックを渡すのを手を出して催促している。心底舐められていると思いつつ、やっぱり怒れない。
「荷物どうも。あとそれも貸して」
 カタちゃんはリュックを背負うと、続けて私の指から本の重みごとショップ袋を奪った。外気と雨で冷たくなった手のひらが触れてびっくりしてしまう。
「早く行こう。ここ寒いし」
 濡れた街路を先に歩きだす彼女を追ってカナちゃんと並んで歩く。雨は本降りだというのにそのまま先を進む。あの感じだと傘を忘れたんだろう。袋は防水仕様だから心配はないけれど、カラオケ店までは結構距離があるし、このままだとカタちゃんが心配だ。
 隣のカナちゃんも傘をさしていたが、少ししてその花柄模様を閉じた。
「ちょっとこれ貸してくるね」
「うん、お願い」
 カナちゃんが小走りでカタちゃんに近づいた。しばらく押し問答したあと、手ぶらで戻ってきた。私は紫色の傘から半身をずらした。すぐ横にカナちゃんの細身が潜り込んだ。
「早かったね」
「借りてる本が濡れるのはダメっていったらさしたよ」
「へぇ、珍しい」
「悪いことしてる自覚があったんじゃない?」
「まっさかー。それなら素直にカラオケ行くでしょ」
「確かに」
 2人で小さく笑った。前を歩くカタちゃんは大通りの交差点に差し掛かって足止めを食らっている。袋に重心が傾いていて、肩の先が雨に晒されていたけれど、ここは気づかない振りをするのがいいのだろう。車が何台も通り過ぎる。風が時折吹いてきて前髪を揺らした。
「ヒラちゃん今日はお洒落だね。そのスカートと上の服、よく似合ってる」
 カナちゃんは私の格好を褒めてくれた。そういう彼女はデニムのショートパンツに黒いタイツを履いていて、足元はショートブーツだった。ラクダ色のライダースジャケットがセミロングのストレートの黒髪に決まっている。
「へへ、そう? ありがとう。昨日迷った甲斐があったよ」
 迷いすぎて遅刻の原因を作ったとはいえないながら、素直にこれを着て良かったと思った。自分が着たいものを着るのが一番だというけれど、相手が喜びそうなアイテムを選んで身につけるのだって立派なおめかしだし、ファッションの醍醐味だと思う。悩んで選んだものが褒められるのは嬉しい。とくに、気になっている相手に気に入ってもらえることは幸せなことだ。

 この間から、私はカナちゃんが少しだけ気になっていた。なぜなのかは自分でもよくわからない。でも、一緒にいて楽しい時間が増えると胸の奥が温かいような、照れくさいような、そういう瞬間が何度か訪れた。女の子同士なのに、女の子同士じゃ感じないような妙な感情も湧いてきてしまって、今も少しドキドキしそうになっている。小学生の頃は好きな男の子がいたから、私は一般的な女子だと思って生きてきた。でも、今の女子校に入ってからだんだん事情が変わってきたように感じる。たとえば中学2年生の頃、他の友だちから、トイレの隅でこっそり誰かと誰かがキスしているのを見てしまってかなり衝撃的だったと聞かされたことがあった。私もそのときは幻かなにかのように聞いていたけれど、案外身近にあり得る話なのかもしれないと思った。いつも手を繋いで歩いている子も少しながらいたし、もしかすると周りにいるのが女子だけだから、自然とそうなってしまうのかもしれない。
「青だよ。前気をつけて」
「え、わぁ」
 カナちゃんが私の腕を引いた。傘で視界が遮られて信号が見えないと思ってくれたのだろう。優しい力加減で、でもしっかりと誘導してくれるのがこそばゆい。こういうとき私は無言になってしまう。いちいちお礼を述べるほどのことでもないし、かといって粗野な態度はとれない。曖昧な笑みを貼り付けたままなんとなくやり過ごしてしまう。
「こないだ聞いたあの歌、デュエットしようね」
「う、うん」
 カナちゃんを知ったのは中学3年生の秋になってからだった。第一印象は大人しそうな子だった。でも、普段学校では猫を被っているといっていた。こうやって外で会うと活発で茶目っ気があって、冒険好きな子だと思う。そのギャップがあるところが私は好きなのか、それとも。

 まだ私にはなにもわからない。できることならこの先も、わかりたくなかった。
(つづく予定)

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