驚いたな、まだ『仮面ライダー龍騎』を見ていなかったのか(初見感想)
・お前ニチアサ追っててまだ龍騎見てなかったのかよ!?
みなさんは日曜朝にテレビ朝日系列にて放送されるキッズ向け番組の並び通称『ニチアサ』はご存知であろうか。自分もかれこれ10年以上見続けてる、まさしくいい歳こいて子ども向け番組追ってる人間であり、ここnoteにおいてもちょくちょく同じニチアサの並びにあるアニメのプリキュアシリーズについて色々書いてたりしているものだ。そんな自分が今回書くニチアサ作品は仮面ライダー、それも大人気作である『仮面ライダー龍騎』である。
2002年に放送された平成ライダー3作目(昭和平成令和となぜか元号で区切ってる変なコンテンツ)であり、去年にはとうとう放送20周年を迎えてもなお未だ強い人気を誇る今作。実際に自分もTwitterでフォローしてる人の中に「一番好きなライダー作品は?」という質問に龍騎を挙げる人はかなり存在する(ちなみに自分はOOO)しかしフォーゼから見始め過去の平成ライダー作品をレンタルなり配信なりで見てきた自分はなんというかタイミングが悪かったのか2022年にもなってまだ龍騎を見たことないライダーオタクという逆に珍しいだろう存在になってしまっていた(あと響鬼もまだ見てない)
そして迎えた2022年…20周年でもあり同じく多人数ライダーものである『仮面ライダーギーツ』開始と合わせてYouTubeの東映公式チャンネルで龍騎が毎週2話ずつ配信されたのだ。これを逃せば下手すりゃ一生見なくなるかもしれない……ということで放送20周年を機についに自分も龍騎を見ることになり、そしてここに初見感想を書くことにした。それでは始めていこう……しゃあっ!
・誰もがみな『仮面ライダー』である
この龍騎といえば放送当時としては非常に斬新である作風……ライダー同士の争いを主軸に描いた作品というのが有名であろう。いや言うて自分も悪のライダーとの戦いなんてのは他作品でよく見かけたし『龍騎』がライダーバトルのエポックメイキングとなった作品とはいえ……とは思っていたのだが実際に目にするとなかなかに特異的。悪のライダーというのはなんかしらの野望や信念を行使する為に専用のベルト使って変身とかだが、今作は主人公サイドと同じ変身システムを用いた平等なスタートラインの上で各々の欲望を満たすために戦うのだ。
改めて見てもこんなやべー奴らが主人公たちと対等に立ってたというのかと考えてしまう今作、しかしコイツらはまだマシな方でさらなるやべー奴が出てくる……20年経った今でも「こいつらよく子ども向け番組に出せたな!?」を感じざるをえない二人の真の狂人……仮面ライダー王蛇こと黒き悪の浅倉威と仮面ライダータイガこと白き悪の東條悟は見ていて本当にヤバかった。たぶん今だと無理またはなんとか出せたとしても完全なる悪役としてですよコイツらは……
…これ子ども向け番組で出していい奴らなの!?(再確認)しかもこれ、テレビ局側から「『クウガ』や『アギト』のように複雑じゃなくて善悪の区別が明瞭なヒーローものにしてくれ」と依頼されたのにも関わらずですよ。明瞭さ皆無。いやなんてったって我らが白倉伸一郎プロデューサーが「『子どもに本当の正義を教えたい』と言うなら、子ども達の信じてる正義は偽物で我々番組側が本物を知ってると主張するようなもの」と返し、このような悪人だろうと変身できる作品にしたのだ。それ屁理屈つけて言いくるめてる風にも聞こえるんですが…?(白倉P、フィクションの製作者になってなければ一流の詐欺師になってたと思う)
そう……『正義』。このように悪のライダーもいれば、正義と例えうるようなライダーも存在する。しかし彼らもまた……
・生きるということは、別の誰かの希望を奪うということ
そもそもこの『龍騎』において出てくるライダー達は浅倉みたいに戦いそのものを欲してる為に戦ってる訳ではない。基本的にはライダーバトルに勝利した先に待つ「願い」を叶えるため……そしてそれは主に命を助けるため……仮面ライダーゾルダこと北岡秀一のように自分の命のためもいれば、仮面ライダーナイトこと秋山蓮のように恋人の命のためもいる。
自分が生きたいため、大切な人を助けるため、そう考えるのは至極真っ当な願いであり、後者は特にヒーローとして……『正義』としてありふれた理由になっている。しかし今作はその『正義』……否、「願い」を叶えられるのは唯一人。そのために別のライダーと戦い、そいつ倒さなければならない。先ほどやれ浅倉がヤバいだの東條がヤバいだの言ったが、彼らもどれだけ真っ当に見える理由を掲げようがたどり着くために行うのは他者の「願い」を潰すこと。命を奪うこと。奴らのように「人殺し」になることだ。今作はそれを対象が怪人に変質したとかで誤魔化さず、あくまでずっと人のままとして延々とその事実を向き合わせてくる……しかも戦いを拒めば契約しているモンスターに喰われるという強制力もセットでだ。ここまでテレビ局の意図をガン無視してる作風にしてるとよく企画通ったなとすら思えてくる。
この今作を司る戦いの構造が非常によくできてるなーと自分はよく感じた。なぜなら仮面ライダーというコンテンツは初代から敵組織に改造された戦闘兵器が反旗を翻す土台が存在し、それに倣ってか平成以降のライダーはその「敵が用いるシステムをこちら側も流用する」という部分をなにかと強く感じがちだ(もちろん例外もあるけど)
そして今作「龍騎」ではミラーモンスターという怪物と契約し力として行使する形に落とし込んでるんだなーと見る前から思っていた。たしかにそのとおりであるのだが、見ていく内にもう一つの見解が自分に浮かんできた……彼らが自他関わらず生きてほしいという「願い」を叶えるために他者を殺すというのは、飢えを満たすという生存本能のために無差別に人を襲い食い殺す怪物ミラーモンスター達とやってることはあまり変わらないということに。まさしく彼ら仮面ライダーはミラーモンスターと紙一重なのかもしれない。そういう方向でも落とし込んできたか。
こんな自身の掲げる『正義』を貫くならば己の手を血に染めねばならぬという地獄の舞台、ミラーワールド。そしてそもそもそんな残酷な舞台を用意し願いのために戦えと殺し合いを促す今作の首謀者・神崎士郎もまた妹の優衣を救うためであった……
キィィィィン…(例の音)
戦え…
―この戦いに『正義』はない。そこにあるのは、純粋な「願い」だけである。―
(50話での大久保編集長の言葉より引用)
先ほど書いたようにテレビ局側は善悪の区別が明瞭なヒーローもの…言い方が悪けりゃ「いかにもな子ども向け作品」を求めていた。しかしその要望に対して白倉氏は上記のようにさながら「それは子供騙しではないか」のような返答した。そんなこと言ってしまう人が実際に生み出した作品は……これでもかとばかりに現実に存在する『正義』は決して単純なものではないとウソをつかず向き合い視聴者に伝えようとした。まさしく有言実行の権化と言えるだろう。
さらには当時2002年といえば前年に世界を揺るがす程の悲惨な事件が発生し、それに対し大義を掲げ争いが勃発したりもしていた。そんな情勢になってしまったからこそ……この番組は伝えたかったかもしれない、『正義』というのはなんなのか、それを行使するというのはどういうことかを。そしてTVSP版で高見沢逸郎が「人間はみんなライダーなんだよ!」と言ったように我々だってより良い生活のために他者と競争し優劣を決めたり、なんなら食事として他の生物を殺め食っている。「子ども向け」と「子供騙し」は違う(自分はここに書いてるのがすげーよく分かりやすいと思った)と言うように、子ども相手だからと決してナメずに、大人でも簡単に答えを出せないような代物…残酷なる世界のルールを前にどうすればいいかを子どもにも伝わるよう「仮面ライダー」という本質的に悪の側面も備わっているヒーローを通して大真面目に子ども向け番組を作った。なんだかんだ言われるが白倉氏は一見うまい具合に言いくるめてるだけに思わせてすごく考えてると自分は感じている(でも春映画の量産はな〜…)
そしてその「大人でも簡単に答えを出せない」なる本作のテーマ、それに真正面から向き合った男こそが今作の主人公、仮面ライダー龍騎に変身する城戸真司だ。
・世界を変えるのは、いつだって大馬鹿野郎さ
という訳でおまたせしました。今作『仮面ライダー龍騎』の主人公である城戸真司くん(演:須賀貴匡)。OREジャーナルの新米記者として元々は連続行方不明事件を追ってたら妙なカード入れを拾ってしまい……と手塚と同じく神崎士郎のスカウト無し、いわば本来なんとしてでも叶えたい夢のために他者を殺せるポテンシャルを秘めた欲望ギラギラマン達ばかり集う戦場にうっかり迷い込んでしまったということである(余談だがメイン構成した小林靖子氏はこういう「本来主人公でない者が流れの都合で代打的に主人公になる」というシチュエーションが大好きなのだ)。しかしそんな彼も戦う理由はあるっちゃある、それは助けるため……ライダーの願いとは無縁ながらも副産物として解き放たれた捕食者ミラーモンスターから人々の命を守るため。まさしく至極真っ当な理由でヒーローに変身した男。そしてその「ヒーローらしい」決断の先に待っているものが何なのかを知らずに後に引けない選択をしてしまった者。
劇中で真司は様々な人物から「バカ」と扱われる。実際に彼は短絡的で思い込みが強く、リップサービスでおだてられれば鵜呑みにして調子に乗るし、それに気付いたら途端にプンスカ怒る……まさしくバカと例えられて当然なキャラだ。こんな微笑ましい部分としてのバカキャラだけならどれだけよかったのだろうか………今作は決して甘くなんかない、願いを叶えるためにライダー同士が互いに殺し合うのが推奨されてる世界観なのだ。そこに人々の命を守るためだけに戦い、更にはそんな殺し合うまでに争う彼らまでも止めねばならないと(なんも間違ってない理由で)戦場に立つ方が異常というべき……いわば本質を分かっちゃいないおめでたい「バカ」だ。見る前からバカとは聞いていたが実際見たらこういう笑えない愚かさ的な意味でのバカも突きつけるのかよ!?
そんな戦いを止めろと叫ぶバカと最もぶつかった男といえばみなさんご存知の通り秋山蓮、上記でやれ言ったが実のところはモンスターに喰われそうな一般人を見たら率先して助ける城戸真司と同じように真っ当なヒーローらしさも持ち合わせており(契約モンスターに餌を与える建前もあるがそれ以上に元来の優しさもある)モンスター相手なら彼との共闘も辞さないスタンスだ。しかし唯一にして最大の違いは「願い」のために龍騎含めた他のライダーの命を奪わねばならぬ使命があること……そこからの覚悟もあって蓮はライダー同士の争いを止めようとする真司の声を認める訳にはいかんと彼をバカと扱う……それがどれだけごもっともで正しいか当然知っていながらも。恋人を助けるためとはいえ他者を殺すというのがどれだけ間違っているかを知っていながらも。普通でない世界にいるならば普通である人間を否定しなければならない。そして彼は普通の人間、そこに苦悩・葛藤は存在し…
それに対して散々いろんな人にバカだバカだと扱われる真司もまた蓮のように、むしろ蓮に対して悩んでしまう……彼がなぜ戦いに赴くのか、その理由の重みを知ってしまったから。大切な人を救うために戦うという行為を妨げるのは正しいのかと。戦いを止めてほしいと思う自身は間違っているのかと。今作は『正義』というのは単純なものではないと伝えているのだが、人の命を失わせたくない為に戦うという真っ当な行いにすらもそれを問いかけてくる。真司くんの見せてくる正義はまさしくメイン視聴ターゲット層であるお子さん達も真っ先にイメージするだろうヒーロー像である。それでもなお、いやきっとだからこそ、彼のごもっともな正義が必ずしも皆に伝わるとは限らないとこの番組は伝えている……世界は本当にそうあるものだから。子ども向けと子供騙しは違うのだから。
「お前とどうしても戦わなきゃいけないなら、俺は相手になる。俺が全力で戦う。お前の戦いの重さを受け止めるには、今はそれしか思いつかない」
「俺は絶対に死ねない。1つでも命を奪ったら、お前はもう後戻りできなくなる」
悩み、迷い、それでも心の中に確かに存在する戦いを止めさせるという気持ちで前に進み続けた城戸真司。ある時は手塚なる同調者と出会えたも自身を庇ってくれたせいで亡くなってしまい、ある時は優衣ちゃんの命を狙おうとしていたにも関わらず香川教授の妻子を助けたり、さっきまで戦ってた筈の佐野を突如として襲いかかってきた東條から逃したり……こういうお人好しくんはなんかしらの形で報われてほしいものだと当時の視聴者さんもきっと想っただろう。自分もそうだった。しかし彼に待つ運命はあまりにも残酷で……
「決めたのに……結局 俺…迷ってるのか……」
ライダー同士の戦いを食い止めようと頑張り続けた者の前に待ち構えていたのは優衣ちゃんが消えてしまう運命……彼のこれまでの努力を「バカ」だと嘲笑うような残酷な真実だった。結局は自分自身にすらも「大切な人を助けるためには別の誰かを殺さねばならない」という残酷なる世界のルールが課せられていたのだった。当然焦って自分も覚悟決めようもできるわけない、いっそ考えるのをやめて北岡に挑もうにも逆に心配されて相手してくれない……(こういう時に限って浅倉は出てこない)これが子ども向け番組での仕打ちなのか?今まで何度も救えなかったのに、それでも諦めずにいたのに………
そして優衣ちゃんは……新しい命なんかいらないと自ら死を受け入れて消えていった。自分をなんとしてでも助けたいからと兄は数多くの犠牲者と、欲望のために人が怪物と化す戦いを生み出した。その戦いの中で蓮は人でいられなくなりかける決断を迫られ続けた。戦いを止めたかった真司くんの純粋なる願いは何度も踏みにじられた……自分のせいで。
あまり考えたくないが優衣ちゃんだって本当の本当に、もしかしたら新しい命を得る選択肢だって取れたかもしれないと思う。しかしそれはしなかった…これについては自分は真司くんや蓮の悩む姿や葛藤を間近で見てきたからだと思ってる。小林靖子氏がシナリオ構成を手掛けた他作品でも「主人公が人間を辞めそうになるも仲間たちの絆で立ち止まれる」という展開が終盤に書かれるが、この優衣ちゃんの悲しき決断もそれに含まれているのではないかと。誰かを殺し別の誰かの死す運命を捻じ曲げれるという形で人が人を辞める理由がいくらでも見つけられる今作の世界観だからこそ、人のまま命を終える選択だってあるのだ……
そして小林靖子氏の書く脚本にはもうひとつの特徴がある。それは……消える寸前、優衣ちゃんはお兄ちゃんに“ある言葉”を託す。しかし士郎はまだ間に合うと聞く耳を持たず……様々な人の信念や事情を見続けた真司、そして令子らOREジャーナルの皆についにライダーであることがバレてしまい、これまで抱えてた悩みを大久保編集長に打ち明ける。そして彼は自分の中に存在する「答え」へと……
「考えてきたんだろ?その出来の悪い頭で必死によ。それで十分なんじゃねえか?俺は思うぜ」
「ただしだ。なにが正しいのか選べないのはいいが、その選択肢の中に自分の事もちゃんといれとけよ」
おまえが信じるものだよ。
俺さ…昨日からずっと考えてて…それでも分かんなくて……
でも、さっき思った…やっぱりミラーワールドなんか閉じたい……戦いを止めたいって……
きっと……すげー辛い思いしたり、させたりすると思うけど………それでも…止めたい。
それが正しいかどうかじゃなくて、俺も…ライダーの1人として……「叶えたい願い」がそれなんだ……
現実世界に進軍してくるレイドラグーンの大群から少女を守る際に致命傷を負ってしまった城戸真司、そんな彼がこれまでずっと戦っていた理由である「ミラーワールドを閉じたい」「ライダー同士の戦いを止めてほしい」……仮にそれを貫き通したならば北岡先生や恵里さんの死にゆく運命は変えられず受け入れさせてしまう、それによって悲しみを生み出してしまうのは分かってる……その事実から逃げずに向き合いつつも戦いを止めたい、それこそが城戸真司が他のライダーと同じように抱く「願い」と気付いた。彼もまた“仮面ライダー”だった。そしてそれは優衣ちゃんの悲壮なる自己犠牲のうえで覚悟した決意……小林靖子氏の書く脚本の特長に「たとえ命が尽きようとも、これまで紡いだ“想い”は消えない」というのがあるように。そして優衣ちゃんの“想い”は彼にも……
「今度絵が描けたら…モンスターじゃなく…二人っきりじゃなく…みんなが幸せに笑ってる絵を…お兄ちゃんと一緒に……ね?」
(神崎優衣が士郎に遺した言葉)
「お前は……きっと(新しい命を)拒む……拒み続ける……」
オーディンのタイムベントさえあれば時間を巻き戻し何度もやり直せる、神崎士郎は妹を救うために繰り返し尽くしたのだろう。しかし……妹が最期に伝えた“想い”は兄に届き、ついに受け入れ繰り返すことを諦めた。真司くんが蓮を人として食い止め続けたように、彼女もまた兄にまだ残っていた人としての心を動かしたのだ……
兄妹が描いたミラーモンスターが存在しない世界、つまり人々が理不尽に喰われず仮面ライダー同士が戦わなくていい世界。彼らの葛藤が、苦悩が、その中でも培われた絆がそもそも生まれない世界。それは平和であり、すべてを見てきた視聴者の方々には(不謹慎ながらも)寂しい世界かもしれない。それでも彼らがいたからこそ生まれた世界だったと思わざるをえない。その衝突は、痛みは、「願い」は決して無駄なんかじゃなかった。だから………
真司くんと蓮を忘れないでね。
(最終回放送終了後に流れたドラグバイザーツバイのCMにて挟まれた言葉より。)
・あとがき
これ本当に20年前にやった子ども向け作品なのか?(n回目)と思い知らされ、けれど子ども向け作品だからこそ伝えたいことを書いたという、まさしくすっげ〜作品だった。これリアタイで見てた人すごいな……間違いなく児童向け特撮への捉え方がガラリと変わるでしょこんなん……いやほんとすごいわ。
てか訳で配信終了して一ヶ月経ってようやく書けた初見感想でございました。龍騎という作品はそりゃディープなファンが長く且つ熱く感想を語り続けてる作品であり、まだ日も浅い一見さんである自分がこんな図々しく感想を書くのはおこがましいかもしれないが、それでもこのように文章という形で残しておきたいと思い執筆させていただきやした。拙い所もあるかもしれませんが可愛らしいもんだと思っていただきご容赦を……それでは!