さつまいもごはんのこと
ようやく秋、といって差し支えない体感温度になった。SNSを開くと新米とさつまいもを組み合わせた「さつまいもごはん」のポストもしだいに目に入るようになった。はしりのものと旬のものを組み合わせたさつまいもごはんは栗ごはんよりもうんと手軽に作れるから、人気なのはうなずける。
水を差すわけではないのだけれど、私はどうしても、さつまいもごはんを好きになれない。そもそもお菓子ではないのに甘いものーかぼちゃの煮物、ひじきの煮つけ、黒豆などーがあまり好きではない。(好きではないと言っても、出されたら残さず食べられる。バイキングで自分ではもらわない程度の”好きではない”)
さらに、むちむちの米とほくほく芋が一緒になって喉に詰めよってくる密度も死の二十歩手前という感じがして苦手だ(死の手前度は、餅=五歩、イカフライ=十歩、食パン=十五歩)
でもなんといっても、さつまいもごはんを好きになれない決定的な理由は、祖父母が口を酸っぱくして語ってくれた「戦時中はごはんにさつまいもを混ぜて食べたもんだよ」という暗い記憶だ。貧しくて辛くて悲しくて暗い”戦争”というネガティブなイメージがあまりに強くて、どうやっても美味しそうに感じられず、いつまでも好きになれない。味よりも食感よりも何よりもイメージが一番の原因で遠ざけてしまうなんて、いかに情報を食べて生きているということか。
イメージが先行して苦手になってしまった食べものは、たぶん、後にも先にもさつまいもごはんの他にはない。私が苦手な食べもの、”にんじんのグラッセ”は前述のとおり「お菓子じゃないのに甘くない」の極致ゆえにどうしても食べられず、”レバー”はあの食感と香りを克服できずにいる。”うに”は最初に食べた某回転すしチェーン店のミョウバン漬けの味で「おいしくない」と思ったがその後新鮮なうにを食べてから好きになった。
どれも味そのものが苦手だったわけで、さつまいもごはんとは事情が違う。
私がさつまいもごはんを食べられるようになる日は来るのだろうか。
🍠ヘッダーの画像は、さつまいもごはんが苦手だ!という話題なので少し気が引けたのですが、暗い話題に花を添えてくれるとってもかわいいイラストだったのでやっぱりお借りしちゃいました!ありがとうございます🕊️