「高齢者と若者を繋ぐ」2022年起業を目指す
はじめまして !
私たちのミッションは、
・高齢者と若者の架け橋となるサービスを提供する
・運動から新しい1日を築く
です。その実現のため日々起業に向けて、3人で切磋琢磨し試行錯誤の毎日を送っています。
私たち3人はPTとOTです。2020年4月より都内の病院で働いています。様々な疾患や家族背景を持った高齢者の方々とリハビリテーションを行なっています。医療現場と距離のある方々からはその様子は想像し難いかと思いますが、私たちセラピストと患者さんが訓練しているのは、何気ない日常の動作です。
ベッドから起き上がること、座る姿勢を保持すること、トイレで排泄すること、手を伸ばしてもバランスが崩れないこと、etc...そして歩くこと。
5体満足の私たちは、その様な動作を当たり前として日々意識することなく過ごしていますが、いざ一つの動作を分解すると、その構成要素は非常に細かく・複雑で、一度失ってしまうと、容易には元に戻らないのが実際です。それを元に戻すサポート、または代替案を提示するというこの仕事にはとてもやりがいを感じています。
ご高齢の方と接する時間が長くなると、ふとした時にその方々一人一人が歩んできた人生が垣間見える瞬間があったり、戦時中から戦後、そして高度経済成長期の時代を渡ってきた当事者から、その豊富な知識や歩んでこられた人生をお聞きすることできるのは貴重な体験です。「こんな考え方があったのか!」「今の環境は本当に恵まれてるなあ」と日々新しい気づきが生まれています。
つまり
「私たちが運動を提供する一方で、普段の生活では得られない体験を高齢者の方々が与えてくださる。」
この相互関係が私たちが仕事をする環境にはあります。
しかし、病院から一歩外に出るとどうでしょう。「独居老人の社会的孤立」という日本の社会的問題があるように、ご高齢の患者さんの退院後が独居となったり、形だけご家族と同居するといったケースは珍しくありません。ご高齢の方と若者との関わりは途絶えてしまいます。むしろ、同じ空間にいると齟齬が生じ、トラブルになり得ます。「老害」「今の若者はこれだから…」という言葉が一人歩きしており、若者と高齢者との繋がりを無くしてしまっていると考えます。人は分からないものに対して恐怖を抱く生き物であり、お互いの事をよく知らないということからこんな言葉が生まれたのではないか。
同世代の友人に聞くと「接点がないから高齢者のことはよく分からない」という意見が多い。確かに、自分の親戚以外で高齢者と関わることはあるだろうか。私たちに高齢の方で友人と呼べる方はいるだろうか。
お互いの理解を深める環境そのものが無いことが本質的な問題だと考えます。
リハビリテーション病院でのセラピストと患者さんの関係を
セラピストの〇〇さん、患者の△△さん、ではなく、個人として〇〇さん、△△さんと呼び、会話を楽しむ。そんな時間を病院の外で作ることはできないだろうか。
そんな思いから起業する決意に至りました。
私たちは特別なスキル・経験・資金をまだ持っていません。ただ、「高齢者と若者の架け橋となるサービスを提供すること」「運動から新しい1日を築く」というミッションを達成するという強い意志を持っています。3人寄れば文殊の知恵という言葉があるように、3方向からエネルギーをぶつけ合い、自分たちの哲学を固め、それを世に出したいと意気込んでいます。
noteを活用し、私たちの成長過程を皆様にお見せしたいと考えています。是非よろしくお願いします!
最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。