ギブアンドテイクとは
対人関係において、ギブだけでもテイクだけでうまく成り立たないと思う。
ある本では
『恋人に対してギブだけでも良いのです。自分が与える事が出来るなら、ひたすらギブをしてみましょう』なんて書いてある。
親が子供にするように、見返りを求めず無償の愛をひたすらに与えても良い、という解釈になる。
確かにテイクばかりされるのは難しいけれど、ギブだけをひたすらする事は可能ではある。
相手がそれに対してどう感じるかはさておき、自分が思うようにギブし続ける。
結局、それは自己満足以外の何物でもなく、エゴでしかないのかもしれないけれど、それでも、人に何かを与える事が出来る事こそ、人生の大きな喜びの1つであると人は知っている。
私はあの人にギブし続けて来た。時にそれが虚しく感じたのも事実だけれど、それでも、与える事で、何かしらの見返りを心のどこかでは望んでいた。
欲しいとも言われていないのに、勝手にしてきたのに、見返りを求めるなんて、やっぱりおかしいよね。
今まさに、テイクが無い事に虚しさを感じている。
どうして、なぜ?そう思ってしまう自分がいてる。そして、テイクをしないあの人に対して、次第に苛立ち、不快に感じている。
恥ずかしい自分がここにいてる。
ギブアンドテイクがうまくいけば、そこにストレスは感じないのかもしれないけれど、それって、難しいのかな。
私だけが難しいと感じるのか、それとも、そのバランスに時に悩みながら、うまくやっていく術を日々見つけようとしている事は当たり前なのか、どうなんだろう。
今日もそのバランスに悩んでしまう・・・