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ブログ2:我が家のペット

トカゲを飼っている。どうやらオスらしい。色白でおもちみたいな触り心地だったので名前はおもちにしたが、今見ると結構黄色かったので、きなこもちという感じだ。この前掃除のために少しだけ触ったが、意外と硬かった。画像は変な体勢で気張っているおもちだ。

私はたまに眠れないので、暗い部屋でおもちを見て夜を明かす。おもちは夜行性なので、暗くてもこちらが見えているようだ。私が見ているとあまり動かない。

おもちは、とりあえずは人間の顔が認識できるらしかった。私が後ろを見ているときに動く。人間とトカゲでは顔の作りが違うので、比較的形が似ている目で判断しているのだろうか。悲しいかな、今はだるまさんがころんだ状態だ。できれば、元気に動く姿が見たいが、ストレスなく生きてほしいので、離れた場所からスマホのカメラを望遠して見守っている。高いスマホにしてよかったと思う。私が見ているときに動くのは、ご飯が欲しいときだけだ。

当たり前だが、小型爬虫類のおもちが私に懐くことはないし、良かれと思ってケージを掃除しても、おもちにとって私は怖いことをする嫌なやつになる。栄養のために虫だけではなく専用のフードを食べさせようとしても、口で弾き飛ばして拒否する事もある。そんな感じで意思疎通の取れない私たちだが、腹が立つことはない。むしろ、私は反省して、おもちにとっての最良を探す。何故なら、おもちから何かが返ってくるのを全く期待していないからだ。

こうして考えてみると、意思疎通がとれないことは結構いいことかもしれないと思う。犬とか猫とか、多少なりともお互いに気持ちがわかる動物だと、撫でたら尻尾を振ってほしいと思うし、喉を鳴らしてほしいと思う。もうちょっと意思疎通がしやすい動物だと、人間の子供とかがいるが、言葉は通じるのに話が通じないという状況になる事もあるし、そうなると腹が立つし嫌いになる。犬も猫も子供も、返ってくるものへの期待値が高いのだ。もちろん、それは普通だと思う。ただ、愛情に応えて欲しいと思うほど、辛いこともある。

そんな感じで、お互いに意思疎通が全く取れない私たちだが、なんとなくおもちの気持ちがわかる時がある。ご飯だ。おもちは好きなご飯には食いつきがいいし、あまり好きじゃないとしぶしぶ食べる。床材の誤飲がすごくて、整腸剤をコオロギに振りかけて食べさせた時の顔は忘れられない。爬虫類も人間も、薬の味は微妙なんだなとしみじみ思った。ゾンビ映画などで、人が理性を失った後に剥き出しになるのが食欲だ〜という描写がよくあるが、あながち間違いではないのかもしれない。

おもちは今日も元気だ。食べて寝てたまに起きて飼い主を知らんぷりして、また寝ている。これからも元気でいて欲しい。


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