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①ルックバック(※ネタバレ含)

ネタバレ含というか、ストーリー知ってないと何も伝わらないかも。

一読したのにストーリー構成に感動し、んはあ、継続して何か頑張りたいなあと感想が残った。

視聴に先立って。

漫画は一読済。

58分、一律1,800円に商魂を感じつつも、でも観ちゃうんだからいい価格設定だな、などとケチなことを考えてた。
だが、恐らく制作サイドは儲け度外視で ルックバックという原作を最良の映像作品として昇華しよう、という意思であることがワンカットワンカットの画の丁寧さから伝わってきた。

気付き の観点で印象に残った所が三つ。
①藤野が京本の絵に出会ったとき、藤野が自分自身の存在がとても小さくなったように感じたことを通常→2倍→3倍といったサイズに教室を広くすることで表現していた点。
→自分も学校でスベったとき同じような気持ちになったことがあると思い出した。
②京本が卒業証書を届けた藤野が遠ざかってもずっと手を振っていた点。
→京本が藤野に出会えたことに心から感謝していることが伝わる
③藤野が京本にファンです!サイン下さい!先生の次回作楽しみにしてます!と褒められた帰り道、雨中にも関わらず、同じ手足を上げるスキップで喜びを表現していた点。
→自分が創り出したものを褒められることへの甚大な歓びであることを伝えるに相応しい表現
②と③は対比になっている。双方への感謝、喜びがありながらも一方は伝え、一方は自分の時間で昇華する。

ストーリー全体を通して
①藤野は 漫画を書くのが好きだから描く→漫画を褒められたいという承認欲求を満たすために描く と形を変えながら、一度はやーめた、となりながらも、描き続けたことに意味があった。
藤野は京本との画力の差を痛感していたが、その時点でいやいや、藤野の4コマにはストーリーの面白さがあるよ。だから大丈夫、違う良さがあるから。と思う。
これは僕らにも共通するのかも知れない。
自分の中では誰彼と歴然の差があるんだ!と思ってしまっていても、客観的な・第三者からみると、○○(自分)は他の人には無いものがあるよ、と思っていてくれていることがある。
ただ、そういう考えに触れる機会って少ない。それは、評価するという行為が上から目線で友人間で行うには溝を生む危険性を孕んでいるからだと思う。
でも、伝えたい。そういうことは積極的に伝えるべきなんじゃないかと思う。多様性の時代だから、自分で個性を認識したい。そして、人は主観に生きている。自分からみた景色が殆ど総てになってしまう、そういう生き物だと思うから。
ずっと続けていること。自分にはこれが無いから泣くほど心が揺さぶられないのかもしれない。劇場で泣く人は何かを続けて頑張れていたり、努力した経験のある作家だったりするのかもなあと、観終わった後の階段を降りながら、自分をちっぽけに感じた。

②藤野は自分と対照的な存在。
俺だったら卒業証書置きに行って物音が聞こえても京本の部屋の前まで行かないし、漫画書くの一旦辞めたなら京本になんで辞めたのって言われたとき正直に辞めた理由答えちゃう。
でも、今の俺は小6じゃないから、折れてしまう柔らかさと、もう張る見栄も無くしてしまっている。利口になっている。諦められるようになってしまっている。
これは成長が招いた弱体化だと思う。
大人になるって怖い。
こんな感じで、アニメだけどとても人間味があった。人の残酷さとか欲望とかとてもリアルで素直。

③京本が殺される事件は、動機から京アニを想起して胸糞悪さが拭えない。
藤野は京本の部屋の前で出てこーい!→骸骨を刺して京本と表現する4コマを描いたことを後悔する。
ここも、京本が死んだのは結果だけをみた観点で、そこまでの過程は引きこもっているときよりもずっと幸せだったと思う。藤野は京本に生きてる間の幸せを与えた存在なんだよって声を掛けたくなるくらい、胸が締め付けられる。
藤野は死後の京本の部屋の前に行き、部屋から出てきた4コマに目を通す。題名はルックバック。予期していたかのような襲われる京本と、それを救う藤野。救った藤野の背中に斧が刺さっている。ルックバック!
そこでは小学校以来の再会という体で描かれている。
これは、藤野に会わずとも私は大学に行っていたし、藤野とは何れにせよ出会う運命だったんだよという京本が遺した優しいメッセージだったのかもしれない。

〆 ルックバック。
京本の部屋に入り、後ろを見れば飾ってある藤野のサインが書かれた京本の服。美大に行こうと離れようと、心の支えになっていたのは藤野の存在だった。裏切りでも突き放した訳でもなかった。そこにあったのは愛と感謝だった。それを原動力にして、藤野はまた前に進むことができる。

感動。

観るべし!

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