2023/10/01 突然、叔母ののお葬式を思い出すことがある。 おかしい、おかしい、 骨になっていないはずの人が骨になっている。 おかしい、おかしい、 姉と叔母の骨を拾っている。 おかしい、おかしい、 葬儀場の2階から見えるテーマパークがただの景色なっている。 楽しいはずのあの場所が。 そこからは数珠繋ぎのように 叔母から向けられた眼差しの思い出がフラッシュバックのように 脳内を駆け巡る。 涙が出て止まらない時がある。 いや、きっと、こうして文字を書い
今、全部投げやりになる時。 みんな自分の 「幸せ」や「充実」に向けて突き進んでいて その気持ちの裏には 「失敗」や「後悔」を恐れる気持ちがある。 気づけばこの数年で 会う頻度が高まった人もいるし、 減った人もいる。 携帯の中のスケジュール表を開いて 予定をひとつひとつ打ち込んでいく。 頭の中のスケジュール表には 仮決定の予定や、考えていかなきゃいけないこと をうっすら書き込んでいく。 自分の感じる充実のために動き、 動く予定を入れ、 立ち止まる日を意識的に作る。
彼よりも1年に1度会う高校からの友人の方が 私の思考の変化を知っている。 彼よりも2年に1度会う大学からの友人の方が 私が不器用に燃えていた時期を知っている。 誰よりも私を安心させる方法を知っているのは 彼だ。 どの人に自分の何を知っていて欲しくて、 どんな関係性の人にどこをどれほど知っていて欲しいのか、 そして、知らなくてもいいのか。 明確には分けられるものではないけれど、 誰かに自分の「すべて」を知っていてもらう必要はないし、 自分が誰かの「すべて」を知っていな
駅のホームを照らす蛍光灯。 頼りなく揺れる紐を見ていると 小さい頃の小さい地元の小さい夏祭りを思い出す。 小学校名が印字された白いテント。 その下で光る蛍光灯。 回りを飛ぶ虫。 少し酔っていつもより陽気な地元のおじさんたち。 小さな公園の小さな夏祭りを何時間もぐるぐる回る汗ばむ夜。 儚く脆く消えそうなくらいささやかな記憶のかけら。 大人として生きる日々では思い出すことのないかけら。 でもきっとおばあちゃんになって思い出すのはあの夜のかけらなんだと思う。
4月が終わる。 終わっていって、始まった4月。
3月、が終わりを迎えています。 年度末という一区切りを迎えて、 保育士をしている私は一年のクラスに想いを馳せるわけです。 今年度は初めて障害児を担当して クラスの立ち位置としては副担任。 そして新規採用の方が主担任。 つまり私はクラスの運営を補佐したり 支援が必要な子とクラスに入っていったりする そんな役割でした。 求められることや 周りの環境との足並みがどうにも揃わなくて 心や体をガタガタと崩してきた一年でした。 そんな一年の締めくくりとして迎えた3月は これまたバ
2月。 自分を見つめ直す時間を作り、 具体的にまとめていった2月。 どんどん素直になっていく〜 その分、素直じゃない時間から脱却しようとする〜 この先、私はなにになるんだろうね、 どんな人として生きていくんだろう〜 人生第2章のはじまりを感じる最近!
新年明けまして、 はや1か月が経とうとしています。 この1か月、振り返るとそんな劇的な日があったわけではなく 素朴な1日1日の積み重ねでした。 ただ、その「1日」に 静かな覚悟が宿っていたり 深い愛情がこもっていたり 切実なやるせなさや悲しみが隠れていたり つまり色とりどりな日々でした。 1年と1か月前、私は漠然と年を越すことを恐れていました。 ただならぬ『変化』がひたひたと忍び寄っている という直感に。 人間はやっぱり動物なのかと思い知らされるほどに自分の直感
2023年は大切な感情をたくさん感じて 必要な涙をたくさん流したね、 場所も人も感情も 新しく出会わせてくれてありがとう!の1年でした! 来年はたくさん笑う1年にしたい。 【来年の“たい”】 首と背中の力を抜いていきたい たくさん文章を書いていきたい たくさん笑っていきたい 憧れの人を見つけたい タイに行きタイ (少し未来ではヨーロッパに行きたい) お部屋をより一層作っていきたい 筋トレ続けたい 振り返り癖が私の長所だった。 けれど今年は自分を傷つけたり踏み
11月。一気に寒くなったここ最近。 気づけば今年もあと1ヶ月。 11月は 私が生きてきた年数の区切りを数える月。 11/1に26歳になりました。 11月も砂時計のように時が進んでいった。 そう、一年前。 2022年11月から なんだか私の中のリズムが変わっていって、 年を越すのが怖かった。 逃れられない変化や転換がやってくるのを察して恐れた。 そこから一年。 本当にめまぐるしく、それまで生きてきた中の経験では予測できない波に飲まれた。 再びやってきた11月。 少し
10月最後の日は25歳最後の日。 年齢を重ねることが面白いと感じさせてくれる 周りの人や出来事。 これまでのことに感謝しています。 25歳の1年は心や感情を使い果たしたと思う。 体と心を隅々まで使って生き抜いたと思う。 また素敵な1年を過ごさせてもらった。 重く、大切な25歳でした。 25年前、お腹を痛めて産んでくれた母。 誕生を喜んでくれた方々に生きる背中で恩返ししていきたいです。 ありがとう。 かっこいい女性になりたいです。 自分がなりたい大人になりたいです
下書きに残っていた文章。 なぜ投稿しなかったのか、 たしか、あまりに暗く重い内容だったから辞めたような… 特に意図はないけれど、公開しておこうと思ってアップロードしたら 作成日ではなく今日の投稿になってしまった。 でもまぁ、記録として。 がんばったね、私。 あっという間に2日間が過ぎていきました。 同時に、とっても長い2日間でした。 先日noteにも書いた叔母と最後のお別れをしてきました こんなに行きたくない関東は初めてだった。 準備をしてたら祖母が泣いた。 「本
こんばんは、 昨日は中秋の名月でした。 満月でした。 あんまり嬉しくて、さつまいもで芋もちを作ってみたけれど、少し失敗しました。 味はにじゅうまる。 さあ、9月が終わろうとしています。 先月、激動の半年を振り返る投稿をして あっという間に1ヶ月が経ちました。 この1ヶ月、 お仕事の面で上がったり下がったり。 下がったり、下がったりして、 腹を括って、 拗ねるのやめよう、と思って、 早寝早起きをして、 最後の1週間、すごく穏やかに元気です。 芋好きの私はたくさんさつま
この半年を振り返ります。 公私共にあまりに激動だったので。 本当は7月終わり頃にいろいろ一段落を迎えて、振り返ろうと思っていたけれど、 言葉を探しているうちに1ヶ月近く経ってしまいました。 半年と言いつつ昨年の11月頃からなにかと私の中で 『この先なにかが大きく変わる…』 という感覚が強くて、 基本、未来楽しみ人間にしては珍しく、 未来が怖かったです。 そして迎えた12月頃から実際に心が揺れ動くことが増えていく。 自分の中のもやもやが出てくる穴も、消えていく先も見え
大切にしたい感覚を少しでも長く留めていたい。 その為に文字にしている。 いつか忘れる。 それでも少しでも長くだいすきな感覚が自分の中に残るように。 でも言葉で残しておけないことの方がうんと多い。 だから繰り返し思い出して何度も『その時』に心を飛ばして思い返しては言葉を重ねる。 できる限り『その時』の色を変えてしまわないように慎重に慎重に。 『その時』に感じた形ないものを少しでも違わず言葉という形にできるように、 言葉を探して選んで当てはめていく。 その作業がとても
自分が自分を大切にできてなかった 言いたくない言葉 したくない選択 とりたくない態度 今を生き抜くために それらを貼り付けていったら どんどん私がいなくなって 自分の言葉 自分の選択 自分の態度 が全部嫌になった 少し違うな。 嫌になる暇もなくて 嫌なことにも言い訳していた。 「だってこうしないとやってられないじゃない」 「じゃあ他にどうすればいいの?」 この状況を生き抜くためには 嫌な自分にならなきゃいけない? 自分を立て直そうとする手段どれも違う。 あれも