第2話 ゲームが禁止だった話

最近、こんなニュースが流れてきた。


・香川県条例素案にゲーム利用時間制限

香川県議会は、高校生以下の子供を対象にゲームなどを利用する時間を1日あたり平日60分、休日は90分に制限するなど、制限することが素案に盛り込む。

子供たちに守らせることを保護者や学校の「責務」として明記。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/20200109/8030005560.html


僕のツイッタータイムラインには批判のコメントが殺到している。


もちろん、それは僕がフォローしている、「時事問題に関心を持った人たち」

がいいねをしたツイートが流れているだけなので、

決して世論をそのまま表したものではないが。

余談だが、逆に「時事問題に関心を持っ」ていない人たちは、職場の愚痴を呟くか、ツイッタランドから姿を現さなくなったかになっている。


話を戻そう。

このゲーム禁止教育のリスクについて、

自分の経験談をツラツラと書いていこうと思う。



僕が初めてゲームをやりだしたのは、確か2000年。4歳〜5歳だったと思う。

幼稚園年中だった。

僕は生まれつき、気が弱いタイプだったので幼稚園ではいじめられがち、ましてや運動神経が残念だったので、周りの友達が園庭でサッカーをしている中、教室でボーッとしている人だった。


だから、家に帰って遊ぶコロコロカービィ(当時はゲームボーイカラー!黄色いやつ。単三電池で動いていたんだぜ)が楽しみで仕方なかった。


他には、亡くなったおじいちゃんが持っていたスーパーファミコンや

エポック社のエキサイトピンポン、エキサイトスタジアム。

その後プレイステーション2を買ってもらい、仮面ライダーアギト、ガオレンジャー、ウイイレ、プロ野球JAPAN2001、タイガー・ウッズPGA TOUR、、、

当時の幼稚園生の中では全国レベルに入るんじゃないかってレベルでプロゲーマーだったと思う。


確かに、依存症みたいな症状は4歳にしてすでに出ていた。

コロコロカービィってのは、無限に転がるカービィが、すぐ落とし穴に落ちるから、段々イライラしてくる。

カービィが落ちると、よくおばあちゃんに八つ当たりしていた。平気でお年寄りを殴っていた。


親が様子を見かねてゲームを取り上げられると、発狂して家の物を壊したり。


やがて幼稚園の年長後半、

ついにゲーム禁止令が下される。

正確に言えば、ゲーム機ごと隠された?

最初は見つけられるんだけど、

親との攻防の末、本気で見つけられないところに隠されるんだよね。


もう1つ、ゲームが禁止になった理由がある。



受験だ。

僕が住んでいた地域(横浜市保土ヶ谷区)には有名な不良中学校があって、もちろんそこに進学する運命にある小学校もある。


そこに通うのを回避すべく、

あるいは母親が典型的なバブル期真っ只中の高学歴主義な人間だったというのもあり、

幼稚園年中にして進学塾に通わせ、小学校お受験をさせたのである。


お受験勉強のおかげで禁止になった、の方が理由として正しいと思う。





結局小学校受験は、のちに高校までエスカレーター進学する私立小合格し、

ゲームは一時許可される。




しかし、ゴールというものはあるようでない。

「受験に合格したら」という禁止令解除の条件が、

「宿題が終わるまで」

「テストで学年3位以内になるまで」

「95点以上取れるまで」

と段々厳しくなるわけだ。


ついに親の巧妙な手口によりゲームは永久的に禁止になったのである。



ここから現実が僕に突きつけられる_______


1995年生まれ、2000年代前半真っ只中の小学生時代、友達(特に男子)の会話のほとんどはゲームの話題なのだ。

奴らは友達のことを「何レベのポケモンを持っている人」という認識で毎日を過ごす(恐ろしいほど偏見かもだが)。その他、ガリ勉、走るの速い人、臭い人、汚い人、うざい人、ドッチボールうまい人、運動会のソーラン節ダンスがうまい人、などなど。


学校がない休日、誰かの家に呼ばれて遊ぶというイベントは、公園でドッチボールをして疲れたら家でゲームをしてバトルする、という流れ。

運動神経が苦手でゲーム禁止なワイ、勝ち目ゼロ。

6年間で2回しか呼ばれなかったね。


とにかく小学生時代の半分くらい損したと思う。

おまけに自分の周りのポケモントレーナー、みんな自分より全然いい大学に行ったし。


中学高校になると部活だ恋愛だ勉強だ、で段々話題に多様性が生まれるためマシになった。


が、今になってまたしわ寄せが来ているのだ。

大学生、あるいは社会人になると、他人との共通性を探る機会が多くなったからなのか

「ゲームの話題」が再来したのだ!!!


それどころか、自分がやったゲームをルーツにして仕事をしている人さえ、たくさんいることに気づかされる。


小学校の給食の時間に味わった、ゲームの話題になると手も足も出ずひたすら自分の爪をイジイジする時間の再来。


2010年代後半、ゲームで飯を食っている人がたくさんいることに気づかされるの巻。

それどころか今の時代、おもちゃ屋は次々とシャッターを下ろし、ゲームが遊びの主流になって来たんじゃないかとさえ思う。

サブカルチャー、恐るべし。


職場でゲームの話題が白熱すると、そこにいるのさえ申し訳ない気持ちで苛まれる。

無知でごめんなさいって。



私たちはもっと、勉強と遊びと趣味と仕事のつながりについて考えないといけない、と思った。

今の時代、趣味を仕事にし、のちにプレイヤーになる人はたくさんいるし、

各界のプレイヤーがインフルエンサーにもなる可能性もある。


しかし我が国の教育の理想モデルは、

たくさん勉強or運動をし、大企業に行く、エラい人になるorアスリートになる。

この形が50年くらいに渡って重要無形文化財レベルで保存されていると思う。


だからそこのレールを歩いていた人が、逸れた瞬間、大きな虚無を味わう。

正解しか見ていなかった人が正解とは限らなかったことに気づく、みたいな。



長くなってしまったが、とにかく禁止することに対してのデメリットを議論した方が良いということ。将来の可能性を狭める恐れがあるということ。

そして禁止したものの多くが別の形で反動として返ってきてしまうということ。


ちなみに僕の場合は、小学校5年の時に携帯を与えられたため、SNSに依存した。モバゲータウンに始まり、グリー、アメピグ、ミクシィ、ツイッター、FB、インスタ、、、全部網羅してんじゃん。

結局人間って、禁止されても無駄だと思う。なら禁止しないほうがマシ。


厳しい親で育った箱入り娘が、出会い系で出会った人との性犯罪に巻き込まれる、あるいは自傷行為に走る、なんて話しもよく聞く。

禁止すること、厳格に育てることが教育上の正解ではないんだな、と思う。



にしても、このゲーム・ネット禁止令を香川県条例にするってやばすぎでしょ。

公共の機関によるサブカルへの冒涜。

この先、香川県からはクリエイティブな人間は生まれることはありません。

みんなたっくさんお勉強して、地元の国立大学に行って、大企業に入りましょうね〜〜。

ちゃんと働き続けて、結婚して、子供産んで、マイホーム買いましょうね〜〜。

退職金と年金で老後を暮らして死にましょうね〜〜〜。

年金も終身雇用も何もかも保障できないけどね。


なので嫌な人はみんな香川県から出て行きます。

まあ、ほとんどの子供は嫌がるでしょうけどね。若者全滅して高齢うどん県として頑張ってください。

みんな酒とタバコとパチンコはやるけどね。


こんなことをやるくらいなので、地方創生なんて無理です。

色んな仕事をやりたい人はみんな東京に一極集中してください。

そのうち中国が日本の文化を買い取って成長するんで。

つい最近の、文化庁があいちトリエンナーレの補助券を不交付にしたことを思い出す。


我が国は、文化を粗末にするくせに、海外向けには「アニメとゲームは日本を代表するカルチャーだ」なんてほざく。

終わってるよね〜。




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