Renaママ25歳帰国後、夢のアパレル業界で働く!
22歳の時、義母の殺意により家を出されカナダ留学へ。
その後いろんな国を旅し視野を広め25歳で帰国。
そして日本のアパレル会社への就職。
小さい頃から洋服が大好きで、中学生まで洋服は全て祖母のハンドメイド。
小学生の時の夢はファッションデザイナー。
しかし父親の後継者として育った私は、跡取りとしての事業にも魅力をもっていたので、ファッション業界の夢は…
「来世で生まれることができたなら!」
と胸に秘めていた。
前回のお話は👇から読んでください。
しかし25歳の私に、ファッション業界は甘くなかった。
経営者の父親に甘やかされ育ち、周りの友達は優しい幼馴染。幸せな環境で育った私は苦労の連続。
なぜ私を理解してくれないの?何がおかしいの?と、会社帰りは毎日悩んでいた。
思い出しても怖いくらい、私の常識がおかしかったからだ。
最初に働いた大阪では、同じ年のスタッフばかりで楽しく働いていたが、3ヶ月で高知県に転勤した後は苦労の連続。
スタッフ皆んなが方言で会話する為、全く意味が理解できず強い口調に怯える日々。
得意のファッションに個性を出すと怒られる始末…。
「絶対負けない!第2の人生なんだから笑顔を忘れず楽しもう!」
と、歯をくいしばり先輩達の仕事を必死に覚えた。
そして何を言われても「勉強なんだ!自分の常識がおかしいんだ。」と素直に受け入れた。
結果、1年でたくさんの顧客様(自分にファン)が付き店長に抜擢されたのだ。
1番辛かったのは、先輩からの嫌からせ的な発言でした。しかし…「可哀想な人なんだよね!精神的病気なのかも?」と勝手な解釈をする事で、ストレスが爆発することなく過ごせた。
その後、名古屋・静岡と転勤し本社がある東京店で働く事に。
しかし…会社からの評価が上がるにつれ仕事に追われる日々。
いつの間にか心と体が悲鳴をあげ、作り笑顔が得意になっていた。
そんな時…父親からの電話。
私の人生が思いもよらない方向に動いたのだ。
そして私が起業するきっかけの
マリンドゥケ島へ。
私の人生は1年ごとに進化しています。
1年前には想像もしていない展開が広がります。
それはワクワクが止まらず幸せの気持ちが溢れる毎日です。
そしてその連鎖反応が「にこまる」を笑顔にしていると思います。
特に「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「家が欲しい」とか「欲しいものがある」とかは全く無い人間です。
実家にいる頃、何不自由ない生活を送っていても、幸せが溢れるようなワクワクが止まらない感覚はなかったからです。
毎日小さなことに喜びを感じ「にこまる」と一緒に笑って幸せを感じたいと思う人間です。
そんな生活の中では毎日気付きがあり、ハイヤーセルフからの助言と偶然ではない出会いがあり成長しています。
私の行動は、前から決めていたことでは無く、急に浮かんだインスピレーションにて行動し成功しています。
毎日笑顔で周りに感謝し、優しい気持ちを忘れず、そして1番は自分に優しくすることです。(甘やかすことではないです。)
自分に優しくすると、自然と幸せオーラになりなります。(自分の1番の応援団になり自分を褒めて励ますのです。)
そしてそれが、幸せのループに繋がっているのです。
noteを始めたきっかけも偶然ではない出会い。
親友さえもしらない私の幼少期の体験談。
私の幸せになる為の成功ストーリーが、少しでも誰かのヒントになればと思っています。
全ては自分の考え方しだいだから…
楽しい方へ、幸せな方へ。
Renaママ