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三線を持って沖縄へ#04石垣島のナミィさん・その①

新城 浪(あらしろ なみ)さんは沖縄県石垣島出身。
120才まで生きるという目標を掲げ、私に歌三線と生きる人生の素晴らしさを教えてくれた。

会ったことはない。

「ナミィさん」と皆に呼ばれていた浪さんを知ったのは1冊の写真集だった。
ある日、夫が図書館から借りてきたモノクロの写真集が茶の間の床に無造作に置いてあった。表紙には三線を片手に持ち、斜にかまえて凛とした視線をこちらに向けているおばあちゃん。
ページをめくると、シワシワのおばあちゃんの写真と共に衝撃的な一文が目に飛び込んできた。

「9歳の時に250円で那覇の料亭に身売りされた。」

「一緒に売られた女の子はナミィさんよりも可愛かったから、50円高かった。」
その夜は上手く寝付くことが出来なかった。

ナミィさんは売られた那覇の料亭で三線を叩き込まれ、芸子として働き、歌三線を武器に生きた。
時代に翻弄され、サイパンや台湾に渡ったり、お金持ちの男性の妾にさせられたり、夫がダメ夫だったり、とにかく紆余曲折過ぎる人生を駆け抜けて、2017年1月31日、97歳で石垣島の病院で亡くなった。
お墓は石垣島にある。

写真集には三線に熱心に取り組むナミィさんの姿がある。まるで三線初心者の様に必死で三線にかじりつく、なんとも若々しく美しい女性が写っていた。

ナミィさんの人生を垣間見て、写真集の表紙を改めて見返すと、真っ直ぐな瞳は壮絶な人生の戦いでやさぐれた様子もなく、揺るがない太い芯のようなものを感じた。
歌三線の端くれとして、いつかナミィさんに会いたいと思ったが、遅かった。
せめて、いつか石垣島に行く機会があったなら、墓参りしよう。
そう決めていた。
石垣島に行く予定はないのに、出版社であるポレポレタイムス社にメールを送った。
ナミィさんに会える手段を1つでも持っていたかったからだ。
「いつかナミィさんの墓参りに行きたいので、その時には娘さんの許可をいただき、お墓の場所を教えていただけないでしょうか?」っと。

ポレポレタイムス社の早川さんからは早々に「娘さんに連絡しました。石垣島行きが決まったら娘さんの連絡先をお伝えしますね」と嬉しい連絡があった。

いつかナミィさんに私の三線を聞いてもらいたい!
三線練習に気合いが入った。
つづく。