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三線持って墓参り#03赤犬子の墓参り

歌三線の始祖と言われている赤犬子は「おもろそうし」という古い歌集には度々登場するが、実在した記録はない。

実在したか定かではないし、誰が建てたかは分からないが、墓がある。

行くつもりはなかったが、直前に赤犬子を奉っている赤犬子宮を参拝して気分が盛り上がってしまった故の墓参りくらいしないとなと言う気分になった。
墓は沖縄県読谷村にあるユーバンダの浜の片隅に海を眺めるように立っている。
この場所の分かりずらさは難題だった。
たどり着くまで頭がクラクラするほど道に迷う。
ナビは頑として海岸線の際を指し続けるが、際が海辺なのか海岸の崖の高台なのか分からない。
ここだと目標を定めて下りた海岸は緩やかに弧を描く小ぶりの浜辺であった。
崖したの自然に出来たくぼみに海を眺められるように建てられていた墓は決して甘美でなく、ひっそりと建つ墓だった。
しかし、墓から見える景色はまさに景勝地である。
小さな波は波打ち際の白い砂をくるくると回し、海に戻ってはまたやってくる。水遊びをしている女の子に日の入りを知らせているのか、赤く染まり始める入道雲が浮かぶ。
一日中照らされた私の肌に生暖かくもしつこくない湿気を帯びた南風が当たっては消える。
赤犬子が毎日見ている景色は沖縄では日常的な出来事か知れないが、私にとっては特別席から鑑賞する映画ようだ。
そう思うと急に赤犬子がうらやましくなった。
四季折々の沖縄の景色を見ながら、永遠に歳を取らず好きなだけ三線を弾きながら過ごせる。
沖縄が好きで歌三線の道を歩み始めた私に、その生活が刺激的に思えた。
飛び込んだ歌三線の世界は美しい世界だと言うことを赤犬子は私にこの墓からの景色を見せることで気づかせたかったのではないかと想像してしまう。
日々の生活に追われる隙間を見つけては今日も赤犬子の墓からの景色を思い出し、三線を膝で構える。

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★赤犬子の墓から見えた景色