三線持って沖縄へ#06谷茶前の浜、谷茶前節
沖縄県、読谷村の海岸に沖縄民謡「谷茶前節」の碑がある。
歌詞に出てくる谷茶前の浜は夏の光が複雑に反射して様々な青の集合体だった。打ち寄せる波の賑やかさが、漁師と魚売りの若い女性たちの声がこだます海岸線を想像させた。
谷茶前節の歌碑を訪れた時に私はまだ「谷茶前節」の歌三線が出来なかった。
今から約1年前の事だ。その頃は通勤中の車の中でスピーカーから流れる歌三線の師匠である山内昌也先生の谷茶前節に憧れていた。
いつか私も聴く人の心が弾み、気持ちが明るくなるような演奏ができる人間になりたいと思っていた。
思い立って自己流で練習するものの自力では限界があった。
なぜなら谷茶前節はタッカ、タッカと沖縄独特の早弾きのリズムで三線を弾いて歌を合わせる。
頭では分かっていても指と声はあっちこっちにバラバラに動き、収集がつかなくなる。
さらに難易さに輪をかけるのは同じ2つの音を交互に何回も弾き続けなければならない音の作りだ。
音の組み合わせを何回弾いたか、今、どこを弾いているのか迷子になる。余計に弾いたり、微妙に音を間違えて覚えていたりと言う有り様だった。
恩納節の歌碑の前でも安波節の歌碑の前でも、なんとなく弾いて歌って、その場を楽しんだ。
しかし、谷茶前節の歌碑の前では、ろくにどころか歯も立たない。
そもそも三線は弾けるのだから、もっと早く山内先生に「谷茶前節を教えてください。」と言えば良かっただけの話である。
歌碑の隣に目を移すと何やら仕掛けのようなボタンが付いていて、押すと谷茶前節が流れる仕組みだった。
しかし故障中なのか何度押しても軽快な三線の歌持ち(前奏)は流れない。
意固地になってボタンをカチカチ押す。
谷茶前節を弾けない私はこのボタンだけが頼りのような気がして、長押ししたり押しながらグリグリしたり、手を変え品を変えた。
ウンともスンとも言わないボタンを無視することが出来なかった。それは谷茶前節を教えて下さいと言えなかった自分への苛立ちかもしれない。
あれから1年が経ち、山内先生にご指導いただいたおかげで谷茶前節が何とか形になってきた。覚えが悪く練習していて遠くを見つめる日が何日も続いたが、めげなかった。
原動力は練習する度に思い出す谷茶前の浜の輝きと歯が立たぬ情けない自分の姿である。
目指すは谷茶前の浜で谷茶前節の歌三線リベンジだ。
きっと、乾いた三線の音に大漁の活気が満ち溢れる漁師や魚売りの影が踊りだす姿を見ることができるだろう。