桜と三線
桜のつぼみがひらく時、人間の心が動く瞬間を見た。
桜並木にテン、テテテン🎵と三線の乾いた音が鳴り響き、小さな河川敷の桜並木に三線の音符が青空高く舞いあがる。
のんびり花見をしたいから三線は置いて行こうと夫に提案したが、「この青空は三線日和だよ」と夫は譲らなかった。
満開までは2、3日先になりそうな開花具合だが、予想以上に花見客が多い。花の密度が低い分、夫の弾く三線の音が目立っていそうで恥ずかしさを覚える。夫はそんなことはお構いなしに、そらんじてもいない曲を間違い上等で威風堂々と弾いている。
すれ違う花見客の反応といえば、見て見ぬフリをする人、すれ違い様に立ち止まり振り返る人、3歳らしき女の子は異物を見るかのようにジッと見つめる。
皆、三線の音に戸惑いを隠せない様子だ。
その反面、三線の音に楽しい反応をしてくれた人たちもたくさんいた。
1組の初老の夫婦が後ろから私たちを追い越した時だ。
旦那さんらしき男性が「いいねぇ~、素晴らしいなぁ~」と満面の笑みで声をかけてくれた。奥さんの方もテンションが上がっている旦那さんを微笑ましく見つめている。
望遠カメラで桜を撮っていた人からは「ちょっと一枚良いですか?ご夫婦で、並んで」と即席写真撮影会になった。
少し遠くから女性が「なんとも言えない音で素敵だわぁ」だったり、スケートボードに乗った小学生の女の子は「私、この曲聞いたことある!」っと言いながら颯爽と駆け抜けて行った。
「ありがとう」っと一言だけ声をかけてくれたおじいちゃんもいた。
「ありがとう」
「ありがとう」ってどういう意味なんだ?
「ありがとう」に含まれていたモノを考える。
それは「心が弾んだ」ということかもしれない。
なぜなら、私も三線の音を聴いて「心が弾んだ」ことがあったからだ。
西表島の民宿さわやか荘で、初めて参加した三線教室で心を弾ませた。
いつの間にか、乾いた三線の響き、黒檀の手触り、太鼓部分に使われているヘビのウロコの陰影、その全てが私にとって日常となっていた。
私が花見直前に感じた「ゆっくり桜を見たい」という言葉の先頭には「三線はいつでも弾けるから」というなんとも恥ずかしい言葉が隠れていた。
桜のした、私は三線のことを知ったかぶりの若輩者だった。
私は夫から三線を奪い取り、満開になれとばかりに意気揚々と三線を弾き始めた。