苦しむ患者全員を助けたい医者は危険

医者や病院のホームページを見ると、
「患者さんみんなの健康ため」というメッセージを見かけますが、
コピーならまだしも、本当に信じきって努力している医師はやばいというお話です。

無理どころか、副作用で犠牲者を生むことになります。
どうしてそうなってしまうのか、考察をしました。

多様性を持つ集団を全てよくしようとすると、逆作用が生じる個体が出てくること、
自然現象に対して理想を一つに決めて努力すると、強力なバイアスがかかり、勘違いをしやすくなること、
が理由として挙げられます。

まず、
考えてみましょう。
ある会社の社員の論理的思考能力を一律向上させようとして、研修を増やしたとします。
多くの人にとっては必要な研修かもしれませんが、一部の人にとっては、無意味と感じたり、仕事の時間を取られると感じたり、残業が増えたりしてしまうかもしれません。
そうなると、中には病気になって休職したり、退職してしまう人が出る可能性があります。

単一の目標を全員に対して向上しようとすると、逆の作用が生じる可能性が残ります。
一つの尺度をシンプルな方法で改善できるのは、工場の製品など、均質なサンプルだけです。

これを医療でやると、がんの早期発見を目指してやった放射線を使った検査によって、発癌を作り出すみたいなことが起こってしまいます。

つまり、単純なもんじゃないってことです。

次に、
例えば、〇〇がんで苦しんでいる患者の死亡率の低下を目標にすると、
他の要素が目に入らなくなってしまいます。

手術をしまくったはいいが、手術の副作用で死ぬとか、
死亡率は低下したかもしれないが、抗がん剤の長期毒性で苦しみ続けるとか、
違う要素が見えなくなって、全体として、「本当にこれでいいの?」っていう状態になってしまうケースが多いです。

現象は複雑な挙動を示すので、先入観を少なくして分析していかないと、解決が難しい問題は多いです。
自分でやっていることを自分で信じすぎて、勘違いで戻れなくなっている人も多いです。

このような理由から、やる気満々な医者は、疑ってかかったほうがいいです。
新規ビジネスにすら、「みんなのために」「社会貢献したい」といったコピーが流行っています。
綺麗事は受けがいいです。

ただ、生体に対して一つのKPI(重要業績評価指標 ビジネスでいうノルマ)に向かって全力で突き進むことは無用な被害者をうみ、ともすれば有害になり得ます。

それをしたいなら、医師ではなくて、市長になって、上下水道を整備するとかのほうが効果的でした。
(コレラという伝染病は衛生状態の改善で、劇的に患者が減りました)

全員でなくても肺癌で亡くなる人を減らしたいとしても、
呼吸器外科医になるのではなく、
議員とかになって、タバコに課税しまくるとかの方がいいです。
目的に対する手段がズレすぎって思っちゃいます。

僕の意見ですが、

広く患者さんのためには、無理ですし、死人が出る危険がありますが、

自分が接する、限られた人たちを助けることくらいならできると思います。