医者が病院を辞めた後⑥

僕らはどうして比べたがる?

SMAP 世界に一つだけの花より

僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。
ほとんどは、物思いに耽ったり、運動や読書や勉強や散歩をしながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。

今回お話しする病院を辞めた後に気づいたこととは、

人が一位になるのではなく、一位の人は作り出されている、です。

どういうことかピンとこないと思います。
なんでも一位や賞は、その人の業績や能力を表すものに決まっていると。
医療業界でない人にも当てはまると思うので、以下解説します。

医療業界でも、さまざまな人たちが表彰され、それぞれランキング一位を目指したりしています。

順を追って説明していきます。

まず、「江戸時代のゴルファー」という寓話をお話ししたいと思います。

江戸時代の日本にゴルフはないので、ゴルファーなどいるわけがない、当たり前です。

ゴルフは1901年に、イギリス人がコースを作ったのが初めとされています。

それ以前に仮に、タイムマシンで、江戸時代の人たちにゴルフを教えていたら、どうなったでしょうか?
ゴルフをやり始めた人の中で、日本一上手い人が絶対生まれるはずです。
もちろん2位もでてくるはず。

でも現実にはいない。いないのはゴルフという競技がなくて、優劣をつけられなかったからです。

裏返すと、ゴルフというスケール(物差し)さえあれば、必ず一番優れている人が生まれます。

これを踏まえると、なんでもスケールを当てることができます。任意のものに人為的にランキングを作ることができるわけです。たとえ、ハイハイが一番早い人でも。
でも、速くハイハイで移動できることに意味ってありますか?
速く走れたり、速く泳げた方が意味があるような気がしますよね。

100m走はタイムを競う競技なので、ランキングをすぐに決めることができます。
では、森の中でクマと出会った時、逃げ切って生き延びることができる能力はどう測ればいいでしょうか?

ここで、人の能力をスケールにするというのは、単一の指標で比較しているのに気づくと思います。

現実に意味のある能力とは、さまざまな能力を合算した複合的なものであるはずです。
クマから逃げ切る能力は、走力、視力、武器を作る能力、木を上る能力などです。
全部点数化して合計しても、本当に逃げられるかはわかりません。
逃げられるかどうかは、その場にいて逃げ切るかどうかだけです。スコアではありません。

これらは比べることができませんよね。つまり、単一指標(物差し)での比較は、限界があるのです。
正確に定義すらできません。

では、これを医療に当てはめると、

医療で求められている能力とは、クマから逃げる能力と同じく、結果ははっきりしているけど捉えどころのない性質のものです。

他人の話への理解力、正確な記憶力、一旦戻って考えるクリティカルシンキング、もっともっとあるでしょう。

しかし、あろうことか、そもそも正確に定義することすら難しい能力を、現実において目にすることのないシチュエーションで点数化、ランキング化したりしています。

例えば、
放射線で、癌を治療する専門医の試験では、
癌の治療法を口頭試問(その場で質問して答えられるかどうか)します。

癌の患者は、数秒を争う場面で、適切な治療方針を決めなくてはいけないなんてことはありません。
ある程度時間をかけ、患者のデータを漏れなくチェックし、各治療法のメリットデメリットを比較して、患者と話し合いながら適切な方法を模索していきます。

つまり、現実は複雑でもっと繊細なのに、限界のある単一指標(ここではテストの点)で評価し、しかもあり得ないシチュエーションで能力を試す。

生命を、生体を舐めているのでしょうか。

逆に考えると、現実的には意義がなくても、とりあえず持っている人間とそうでない人間の境を作っておき、
持っていない人間に、資格を切望させるために制度を作ったという意図が見え隠れします。

専門医の受験資格に、認定施設(それなりに大きい施設。大学病院を含む)で研修しないといけないなどの条件をつけておけば、人事的な安定化が図れて完璧です。

雑用を押し付けられる使い勝手のいい奴隷が確保できるからかもしれません。

それは誰も明言していません。
明言していなくとも、そうでないと出鱈目の存在が説明つかないとなると、どうでしょうか。

このように実践的でない能力を測り、裏の意図が見え隠れするランキングやスケール化が、横行していることに気づきました。
というか、大半は実態以前に意味すらないものですが。
(人権侵害になりうるものに特殊な権限を付与する専門医などは別)

なぜ気づいたかというと、この生活をしていると、そもそも周りに比較対象者がいなくなります。
さらに、時間があるので観察力が上がってきます。
医療業界以外の人々がどう行動しているのか注意するようになります。

すると、有能な人は世の中にたくさんいることがわかります。

それらは誰が優れているか、優れていないかなんてはっきり比べられないことに気づきます。

危機を察知して未然に回避する人、

どんなことが起こってもメンタルが揺れない人、

ネガティブな感情があっても脇に置いて、面倒ごとを立ち所に解決する人、

どうしたら再現性を持った方法で評価することができるでしょうか?
人間の能力は、複雑すぎるんです。

素晴らしい学歴を持っていなくても、明らかにできる人がいます。
言葉で言い表すことは難しくとも、見れば一発にわかります。

こういった人たちが、実際生み出しているものを目の当たりにすると、医療業界の技能をスポーツ化して、スコアが高いかどうかでお祭り騒ぎを繰り広げ、スコアの大小で都合よく他人を動かそうという連中を見て、情けなくなってきます。

もう一つ付け加えると、
単一の指標で測る能力は、ハッキングしやすいです。
つまり、能力とは別に評価のスコアだけを効率的に上げる手法が存在します。

受験で使う数学の参考書なんてものがあること自体がハッキングが存在することの証左ですよね。

そうなると逆転現象がおこります。
取得が難しいと言われている総合内科専門医を持っていても、基本的な検査のセットすらまともにオーダーできない、身体所見(医者の診察)をしないというポンコツもたくさんいます。

だから、僕のヒューリスティック(経験則)として、専門医が3つ以上ある医者は逆に信用していません。

そんなに多くの専門医を持っているということは、実力を見せかけたくて、ハックに勤しんでいる人かもしれないですからね。



続く