コンピュータを発想した天才が感じた自身の限界
皆さんが今使っているコンピュータは、概念・構想が最初に生まれ、その後でものができました。
最初の着想のきっかけを作った人は、イギリス生まれのアラン・チューリングという研究者です。
彼には人間の無限の可能性ではなく、人間の限界をはっきりとわかっていました。
小学生や中学生の時の、算数や数学の図形問題を解いた方では、補助線という方法を覚えているでしょうか。
https://www.try-it.jp/chapters-876/sections-887/lessons-893/practice-3/
そのままでは問題が解けないけれど、簡単な線を引くことで、立ち所に解けたりします。
でも、人によっては、補助線をどこに引くかひらめかなかったから全然解けなかったという人もいるんじゃないでしょうか。
受験勉強では、範囲が決まっているので、ある程度補助線の引き方はパターン化できますが、なんでもありになると、かなり難しいです。
補助線をそもそも引けばいいのかどうか、どこに引くのかという自由度の高い選択に迫られます。なかなか難しいですよね。ある問題はひらめいて解けても別の問題は解けなかったという経験はあるかもしれません。
彼は、ひらめきや洞察なしに、与えられたルールに従えば、好きなだけの時間と、好きなだけの紙と鉛筆 を使って実行できる手続きを構想しました。
つまり、補助線を引く直感がなかったとしても、あるやり方をやっていけば、ある意味考えなくても答えが出るのではないか、という問題に挑戦しました。
このやり方つまり計算をする仮想上の機械を考案し、架空上の抽象的デジタル機械を提案して、
手続きを続けても、解ける問題と解けない問題があることを証明しました。
実際計算してみなくても、原理上、解けない問題があるということに気がついたのですね。
この機械を万能チューリング機械といって、コンピュータの登場を予見するものでした。
その論文「計算可能な数について、その決定問題への応用」では、論文の詳細には立ち入りませんが、
「計算できる数」とは何かという暫定的な定義をする背景として、「人間の記憶にはやむを得ない限界があるという事実にある」という記載があります。
数学の論文に、人間の能力の限界を述べているということです、意外でした。
万能チューリング機械は、無限のテープと情報を読み取るヘッドとだけという仮想の機械(仕組み)ですが、その背景には、人間の着想や洞察に限界があることがあったのではないかと思います。
気づきや直感だけで解けるか解けないかというのはどのように捉えたらいいのかといった問題が、彼のライフワークだったようです。
天才は、自分や人間の能力の限界も強く感じるのでしょうか。