何かあっても蘇生しない=何もかも諦める
癌の末期など、そのまま亡くなることが確実な場合、何かあっても蘇生しないという決定をします。が、現実には、その直後に蘇生行為以外も諦める傾向があるようです。
Do Not Attempt Resuscitation略してDNARという名前の決定がなされる時があります。
心肺停止時に蘇生処置を行わないことを意味し、癌の末期などそれで亡くなることが確実な場合蘇生しないという意思決定です。
でも、それを患者や患者家族から確認した途端に、そのほかの努力のほとんどを諦めてしまう傾向があります。
そう言った傾向を見ているからか、集中治療学会では次のような勧告をしています。
これは緩和ケア講習会(大体の医師はこの資格を持っている)など、死を目前にした患者のケアにおいて、よく出されるテーマです。
が、実際には、それでも諦めるケースはよく目にします。
DNARという意思決定は、何もかもしなくていいというわけではありませんが、医療者の緊張度を幾分か下げる影響があります。
そうなると手抜きも発生したりします。
例えば、大きめの癌が偶発的に見つかっても、何の癌なのか確かめようともしないケースは多いです。
手術や病理検査など、体の痛みを伴う行為をしないのは理にかなっていますが、ルーチンで行っている血液検査で癌のマーカーを出すこともしないと言ったケースです。
治療が難しくとも、病気の名前をきちんと出すと、その病気から予想される今後のトラブルをあらかじめ予想して対策を打っておくことも可能だったりします。
例えば、乳がんだとわかれば、骨転移に対して、慎重に身構え、発症したら、痛みを抑える治療にスムーズに繋げると言ったことですね。
そこで、探究を諦める医師を見ていて、あくまで印象ですが、普段から患者の体に起きる異変に対して、考え抜いたり、掘り進めるみたいな立ち回りが弱い人が多いです。
そのように手抜きをしている人で、いざ真剣に向き合って考えないといけない難しい患者を相手にした時に、うまく戦えない状況も何回か目にしました。
能力が落ちていっているんですね。
あるいは、死因が別のものなのに、患者の持っていた病気のせいにして、無理やり死亡診断書を書いているケースもありました。いったん書いてしまったらこれを覆すのは難しいです。患者の家族への説明も無理がありました。
つまりモラルハザードも起きています。
体を余計に傷つけない範囲での情報収集はやったほうがいいし、できる範囲の介入もあると思います。
蘇生をしないという意思を確認したら、「この患者(仕事)はもうこれで終わり!」と思っていては浅はかかもしれません。むしろ限られた情報でどこまでケアできるか、とても頭を使う仕事になるかもしれませんね。