医者が病院を辞めた後⑦

私は、海岸で遊んでいる子供のようなもの。
ときに、なめらかな小石を見つけたり、きれいな貝を見つけたりして、はしゃいでいる存在に過ぎない。

アイザック・ニュートン

僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。
ほとんどは、物思いに耽ったり、運動や読書や勉強や散歩をしながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。

今回お話しする病院を辞めた後に考えた末たどりついたこととは、

自分は(みんなも)大したことはしてきてないし、今もしてないし、これからもしない、

です。

僕がそう思えるようになった経緯と、その根拠についてお話ししていきましょう。

自分にとって尊敬できる人はたくさんいる、自分は素晴らしい業績を残しているのに、お前は人をバカにしていると、受け取られるかもしれません。

まず事実として、ほとんど全ての人は、歴史に名を残しません。
今人気のインフルエンサーも、政治家も芸能人も科学者も。
ほとんど全ての人は何も成さないで死んでいきます。みんな忘れ去られます。
万が一、歴史に名を残した時には死んでいますので、確認はおろか実感すらできません。

しかし、大したことないと言われると、ほとんどの人間は怖い感覚になると思います。

毎日自由人になると、感覚が変わってきます。
以下僕の経験をもとに具体的に解説していきます。

まずは、時間感覚が劇的に変化してきます。
薄々気づいていましたが、自分の残りの時間は短く、終わりを自覚することなくいきなり終わるかもしれない、と意識するようになりました。

注意を自由に向けられる時間が多くなると、
わずかな変化に気づきやすくなります。

毎日周りの世界が少しずつ変化している感覚が強くなります。

少しずつ変化していると、自分も知らず知らずのうちに変化している。
つまり、一定のものは何もない、と実感できるようになるんですよね。

となると、時間感覚がとてもゆっくりになる一方で、自分も突然何かあるかもしれないと、人生全体の時間感覚が短くなるんです。

自分の人生は短いから、大したことしてやろうと思っても、できた人間ではないし、これからも大したことはできないかもしれない、と考えるようになります。

医師免許を持っている→単なる社会での一役割
患者さんのための医療をしている→完璧とは程遠い。
困った患者さんを多く助けたい→限界があるだろう
冷静に考えればこうです。

病院で白衣のポケットに手を突っ込み、偉そうに誰彼構わずタメ口を使っていても、
やっていることは、iPhoneの修理をしてくれるGenius barと同じです。

次に、自由に世の中を散策するようになると、今まで見えていなかった、無数の種類の人間がいるという事実をまざまざと見せつけられます。

病院にいると、これがわかりません。しかも、権限を一番持っていて、いろんな職種と一番関わってくるので、ここで全部だと思いがちです。

でも、一歩出ると、自分と同じように、専門技能を持っている人は、無数にいます。

例えば、心臓血管外科医は、だいたい30代後半くらいで、執刀医として手術を任され始めることが多いようです。
卒後、10年くらいは修行が必要です。

一方、皆さんの家には一台はある、エアコン。
電気屋さんに聞いたところ、エアコンの取り付けを一人で怖くなくできるようになるには、10年かかるそうです。
製品も多様で、設置場所も多様なため、かなりの経験が必要なのです。

こんな例を見ると、
世の中には、人の生死にかかわらなくても、習得に同じくらい時間のかかる業種もあるから、
より客観的になり、自分もその中の一員なんだと思えるようになります。
特に専門技能を持っていない人も、無数にいます。優劣やいい悪いではなく、それが普通です。

最後に、一見大したことをしているように見える人も、偶然の要素も大きいこともわかってきます。

考えてみてください、果たして今まで自分の実力だけでやってきたことがどれくらいあるでしょうか。

自分の実力による成果と思えても、そのきっかけを与えてくれたのは別の誰かだったり、何かだったりしないでしょうか。

医学部に自分の力で合格したと思っていても、何人かが体調が悪かったり、志望校を落としたりしてくれた結果、自分が相対的に合格最低点を上回っただけかもしれません。

時間があると、どういう経緯があって、今があるのか思い起こすようになります。つまり、昔の自分と今の自分の連続性について辿ったりすることが増えるんです。

自分の人生は、どこまで自分の力によるものだったのか、本当の姿は、ちょっと怪しくなってきます。

記録されている、歴史上の大きな業績の成り立ちを読んでみてください。偶然が関わっていない例などありません。

では、医学の進歩も、皆が褒め称えるほど、偉大なものなのでしょうか。
全員寿命があり、亡くなることはわかっています。
”直”せるところは直し、”直”せないところは”直”せない、以上でも以下でもありません。

外科手術の再建術は、使い物にならなくなった組織を新しく替えて、元通りに戻すことではありません。
別の組織をかき集めて、元に近いように縫い合わせることです。

極端なエビデンスを紹介しましょう。
ここ50年間で、60歳以上の人の平均余命は、4ヶ月しか伸びていないという試算もあります。
CDCのデータはこれより長く伸びているものの、それでも、100年前と比べて、20歳まで生きた人の平均余命は、16歳しか伸びていません。

昔の死亡のほとんどが周産期(胎児、新生児)、小児の死亡が大部分を占めていたり、外傷やそれに起因する感染症での死亡が多かったんです。
つまり、昔から今の平均余命が大幅に伸びているのは、社会的に清潔になったり、避妊ができるようになったり、抗生物質が発明されたことによる、一部の若い患者の死亡数の減少に起因します。

医学の進歩は偉大と思っていても、実はそこまでではないのかもしれません。

だとしたら自分自身も、もっと謙虚に受け止めなければダメなのかもしれません。

続く