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「この先行き止まり」の看板(研究)


人間の体についての記事で、このような見出しがあります。

クレアチン摂取で筋損傷の回復が有意に促進、試合が続く時の対策に有望か プラセボ対照RCT

https://sndj-web.jp/news/002792.php

内容については読んでいません。無作為に検索しただけです。

言い換えると、
クレアチンを接種する人、接種しない人をランダムで何人か選んで2つの集団に分けました。(だいたい同じ人数)筋肉の損傷からの回復が、クレアチンを飲んだ人の平均をとると、偶然ではないレベルで早くなっていた、という意味です。

複数人をランダムでわけるというのは大きな発明の一つです。
1人がクレアチンを飲んで、もう1人が飲まなかったとき、結果どうなったかを比較すると、個人差がでてしまうかもしれませんよね。

でも、個人差がどれくらいあるのか、事前に見積もるのはむずかしいです。

これを多数の人数から、ランダムで2つの集団に振り分けると、一人一人の個人差や年齢による変化を平均化することができる、つまり、事実上個人差を消すことができるんですね。

一人一人は個人差があったとしても、集団であれば、その個人差の平均も同じになるということですね。

2つの集団の結果の差を比べるのですが、ある程度までは誤差がでるかもしれないが、これ以上は誤差ではないということにしようという基準が設定されていて、こえると、有意差(意味のある差)があるといいます。

ここまではみなさんも知っているかもしれません。

大体こういう結果を出すときは、かなり労力が必要です。

ネットメディアのどうでもいい記事みたいにぽんぽん出すことはできません。数ヶ月、場合によっては10年とかかる場合もあります。

となると、やはり出す側にとっては、「効果がある」=「有意差がある」(厳密に言うと本当は必ずしもイコールではない)と”したい”という思惑が入ってきてしまいます。出世や立場の維持もどうしても入ってきます。

したがって、効果があるというものだけ公表して、なかった調査結果は、お蔵入りということがおきますよね。

なので、全体的には、「効果がなかった」と公表している調査結果のほうが少なくなります。もちろんよくないことですが。

でも、実際、「効果がなかった」という調査結果は、かなり人気があります。(厳密には、「有意差がなかった」=「効果がなかった」とも必ずしも言えない)

なぜかというと、「この先行き止まり」の看板と同じで、あとに続く人が、「こっちは行ってもしょうがないかもしれない」と考え、別の方法を探したり、別の分野で調査を行うことができるからです。

つまり、無駄が省けます。
また、医学でいうと、効果がなかったものを延々と続けるのは、税金や社会保険料の無駄になりますから、かなりいいわけです。

例えば、新型コロナウイルス薬でアビガンという薬がありましたが、効果に有意差がなかったようでした。

(有効である可能性を検出力の不十分さで言い訳しているように聞こえます)

(開発中止しました。ほかのことに労力を注ぎ込めるのでとてもいいことですね。)

ということを加味すると、「効果がある」という調査結果より、もっと「効果がない」という結果を出した人にインセンティブをつけてもいいと思います。