体や内面ばかり意識させる弓道の脳筋指導法
僕は医師で、医療現場で要求される様々な手技をすぐに体得するにはどうすればいいか興味を持って勉強し、実践してきました。
運動スキルを向上させる効果的な方法は、ここ数十年でいろいろわかってきました。
バランスも含めて運動を学習する時、筋肉や体について注意させたり、意識させる指導法は逆効果です。
少なくともここ数十年で指導法に進歩がほとんどない弓道を反面教師として対照しながら、そのエビデンスの一部を紹介しましょう。
スキルを体得する時、体の部位や感覚に集中して注意を向ける指導が行われてきました。
例えば、弓道という武道があります。
弓を引いて的に矢を当てる競技です。
弓道場という板張りの建物の中から、外にある的に向かって矢を射るようなイメージです。基本的にはこの屋内で練習をします。
弓道では、段位のほかに指導者の称号というものがあり、錬士、教士、範士があります。
一般の公営の道場では、教室があったりして、これらの指導者が技術を教えてくれます。
スマホの動画撮影の普及などにより、練習の様子は多少変わっていますが、質的なレベルは少なくとも数十年間、大体同じという印象です。
実際の指導で飛び交うフィードバックの内容は、だいたい
肩の筋肉の入れ方について
弓を引く肘の張りについて、
弓を最大限引き伸ばした時のフォームについて
といったものが飛び交っています。
このような体や動作に注目するフィードバックや指導は、上達が阻害されることがわかっています。
ちなみに、遠的と呼ばれる遠い的を狙う場合をのぞいて、
射る射場から決まった距離のところに的があって、体の位置は固定されており、動かずに射ることになります。
弓道場は通常、風の対策も施されており、天気による外乱は基本的にありません。
矢をいる競技として、アーチェリーがありますが、外乱がない前提なのはかなりの違いです。
つまり、動かない的、動かない体で行うイメージです。
これは想像ですが、動かす箇所が極端に少ないから、体に注意が行きがちなのかもしれません。(バスケットボールやサッカーと比較してみてください)
体や動作に注目するパフォーマンスへの弊害は、熟練者であっても例外ではありません。失敗できない状況で、体に注意がいきシュートをはずしてしまった経験は誰でもあるのではないでしょうか。
これに対して、体の外のもの、すなわち道具や環境に注意を向けると、学習やパフォーマンスが向上することがわかっています。
しかも、長期的にも学習効果が保持されることがわかっています。
この効果は様々な種類のスキルでも実証されています。
逆に、体の感覚に注意を与えたケースは、何にも指示を与えないケースより、良い効果が全くなかったという研究もありました。
何にも指導を与えない方がマシまであるとは、弓道場で真剣に飛び交っている指導の数々が単なる脳筋プレイで、少なからず無駄ということでしょうか。
話はそれますが、肩(肩甲上腕関節や肩甲胸郭関節)の動作を論ずるにあたって、前鋸筋、肩甲下筋や棘下筋の機能解剖、頸部筋の神経支配などの具体的な説明が、数々の指導者の言葉からほぼ出てこなかったのですが、それは存在を知らないからでしょう。さらに、筋肉を使った説明のほとんども、運動学のロジックを無視しており説明になっていません。複数の教科書に書いてあります。読んでも理解できないのかもしくは知識の更新が日常的に行われていないようですが、人体の基本的な構造や働きを理解しないまま人に教えて大丈夫でしょうか。
そもそも体や動作に注意させる以前に、注意させる対象すら間違えている可能性もあります。
話を戻して、道具や環境に注意を向けるとはどのようなことなのか、ダーツの研究を例に紹介しましょう。
注意の向け方として、体や動作に注目するのは
・手の中にダーツの重さを感じること
・ダーツを耳の後ろまで引くように意識すること
・肘が曲がるのを感じること
・指先から離れる瞬間にダーツを感じること
という指示で、経験者の方は、弓道においても似ている印象ではないでしょうか。
体の外に注意を向けるのは、
・ダーツボードの中心に注意を向けること
・ゆっくりと注意をダーツボード全体に広げていくこと
・再度ダーツボードの中心に注意を向けその中心を可能な限り広げていくこと
・注意が向けられたら、ダーツを投げること
といった過程です。
後者の方が、練習中も、テストも成績が良かったとのことでした。
不思議ですよね。
僕の医療現場での実感したのは、カテーテル治療を習得する時でした。カテーテル治療とは、血管の中にワイヤーを通し、病気のところまで進めて、細い管を到達させ薬剤を放出したり、血管を詰めたり、広げたりします。
ワイヤーの先端は、レントゲン装置で体をリアルタイムに写しながら行うので、装置で描出されます。それをモニターに映します。
カテーテル治療は、基本的に持ち方や動かすタイミングといったことが重要になりますが、
ワイヤーの先端を見ながら細かい操作をしていきます。
この時、指の操作の仕方や感覚などをいちいち手元を見ていたら、そのうちにワイヤーがあらぬところを突き抜けてしまう危険性があるので、モニターから目は離せません。
必然的にワイヤーの先端の微妙な動きをずっと見ることになりますが、
ワイヤーの先端の動きを自分の思った通りに動かそうと必死になります。
術中は緊張していたので、自分の手元の動作とかを気にする時間がなかったのに、なぜか結果的に治療は終わっているという感じで、とても不思議でした。
スポーツや体育と違って、制約があり、プレッシャーもあり、練習もできない状態だったのですが、逆に今までの動作や運動の習得が間違えていたことに気づきました。
なぜこのようなことが起こるかという説明ですが、
運動を行っている当事者が意識的に制御しようとして邪魔しない限り、人間の運動システムは、外界の目標に対して効率的に機能して学習していくという説明がなされています。
つまり、ダーツの例では、
的を注意することで、手の動き、肘の動き、リリースなど無数のパラメータ(変動要因みたいな意味)が的に正確に飛ぶために絶妙かつ自動的に調整されていくのではないかということですね。
ちなみにこの発見をした研究者は、ウインドサーフィンを練習中に従来の指導をもとに体に注意を向けまくってもうまくできなかったのに対して、ボードに注意するとうまくできたという気づきから、人間の学習に関する非常に奥深い事実を明らかにする着想を思い立ったとのことです。
新たな世界への扉は、知識の更新を欠かさず、何気ないことにも観察を絶やさない人によって開かれるのでしょう。