枯山水を維持し教会の建設を受け継ぐ者たち
医者から経営者まで、物事を長期的な行動が取れる人間はあまりにも少ないですが、例外もいます。
経済政策において、人間が考える長期的な視野とは、せいぜい10年程度が関の山です。
https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/shisan.html
患者さんの50年後の姿の想像などちっともしないで、背骨を全部固定する手術を行う整形外科医、早く会社をバイルアウトして、成功者としてシンガポールに住みたい経営者などは、人間の脳がその処理能力を長期的な未来のためには使えないという事例と思っていました。
しかし、長期的な未来のことはわかっていないし、現在のメリットもないのに、長期的に行動している人の存在に気がつきました。
例えば、京都の龍安寺というお寺に、石と砂利だけで作ったシンプルな庭園(石庭)があります。いわゆる枯山水です。
僕が訪れた時、みた資料では、
石庭の後ろの飴色をしている土壁は、室町時代からあったとのことでした。
https://kinukake.com/sights-ryoanji.html
土壁は脆く、ちょっとした外力で壊れそうです。
600年近くの間、さまざまな出来事があったと思われますが、極めて綺麗に保存されています。
その間に、ここを維持してきた人は何世代にも渡ったでしょう。
その間に、作庭者やその意図については失われてしまい、詳細は残っていないようです。
枯山水の砂利の模様を作ったそれぞれの世代の人たちは、別に綺麗に整備しておくと法外な報酬を得られるわけではないでしょうから、庭の美しさから、その意図を心で理解して、作業に従事してきたのかも知れません。(もしかしたらイヤイヤだったのかも知れませんが)
この視点を少し推し進めると、他の例も見つかります。
スペインのバルセロナにはサグラダファミリア大聖堂という、1882年から建設が続けられている教会があります。
アントニ・ガウディという建築家がライフワークとして行なった建築でしたが、すでに1926年に亡くなり、その後もずっと建設が続けられています。
https://www.chichi.co.jp/web/sotooetsurou/
建設に携わっている建築家のコメントをみても、ガウディの考えを受け継ぎながらそれに沿った仕事をしようとしていることがわかります。
同じように世代を超えるものに、宗教の教えや、伝統芸能などがありますが、
それらは少なからず変化してきているものや現在メリットがあるものも多いです。
人間(の一部)には、自分に実利がなくても自分の寿命を超えて計画を成し遂げ続ける力がどこかにあるのではないでしょうか。
あるコンセプトのもとに、一人の人間が、一人の世代ができない長大な計画を受け継ぎながら実行するというのは、他の動物には成し得ないことができますよね。
明らかに備わっているこの能力は、進化のどこで手に入れたのか、興味が尽きないです。