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死後自閉症だとわかった祖父


僕の祖父は変わった人でした。
友達は一人もおらず、あの年代には珍しく仕事は合わず転々とし、日常会話でのトピックはなんでも法律と結びつけて話し、認知症でもないのに同じ話を毎日延々と話していました。

あるきっかけで、自閉症スペクトラム障害について、勉強していたところ、
細かい特徴が祖父に片っ端から当てはまっていることに気づきました。
自閉症スペクトラム症候群は前から知っていましたが、祖父がそれに多く当てはまっていることには気づきませんでした。

相撲や柔道はうまかったですが、体が固く、
車を運転していても、助手席には僕か祖母しか乗せませんでした。自分の中にきまりがあり、それを破られると不快だったようです。
家の掃除も自分の手順でこなしていました。
人とコミュニケーションがうまくいかず、友人が訪ねてきたことは一度もありませんでした。

これらは自閉症スペクトラム障害といういわゆる自閉症の特徴とされています。そういう人を症候群扱いしていいのかという問題はありますが、一応そうなっています。

考え方も行動も、ものごとを決まった手順でしかできず、外れると強烈な不快感が生じてしまい、
仕事や人間関係がうまくいかなくなってしまって、困っている人もいます。
(自分の能力の低さのせいで仕事がうまくいかず、結果人間関係が壊れてしまう人は、別だと思います)

もう大腸癌で亡くなってしまいましたが、
晩年はよく旅行に行っていました。というか、僕の両親が連れ出していました。

普段、ガチガチに固まった考え方も行動をとっている人が、いろんなところを旅行に行くと、それこそ不快感をあらわにするんじゃないかと思いますよね。

意外にも、「世界が広がった」「考え方が変わった」と言って喜んでいて、
旅行したところを正確に記憶していました。

ちょっと、いわゆる自閉症の特徴と相容れないですよね。
年齢を重ねて不安感が減ったのかもしれませんが(そういう研究もあります)、
ガチガチの自閉症でも、完全に外界の影響を受けずに生きるものではなくて、なんらかの形で影響してくるのかもしれません。

脳の学習の可塑性(要するに、変わっていくこと)みたいなものが完全には失われていないということではないでしょうか。

家族も誰も本人の苦しみに気づいてあげられませんでしたが、晩年はそれは幸せそうでした。
「思い残すことは何もない」と言って亡くなっていきました。

これって結果的に、果たして本当に「障害」なのでしょうか。