地図を拡げる人
人間の体のちょっとした構造の違いをひたすら調べまくる人がいます。
そういう人の心境は地図を作る探検家に似ているのではないでしょうか。
肺は、空気と広い表面積で接して効率的に酸素と二酸化炭素の交換を行うために、スポンジのような構造をしています。スポンジは気泡がいっぱいあって、気泡同士がつながっています。気泡の分だけ表面積が広くなるんですね。
スポンジの気泡に当たるものをを肺胞と言います。
口から息を吸い、気管を通って肺に到達しますが、
この肺胞に到達するまで、気管から管が細い管が分岐して肺胞につながっています。この細い管のことを気管支と呼びます。よく気管支炎とかいったりしますよね。
気管と気管支だけを見ると、枝が二つ分かれた木のようです。
ちなみに、枝の本数はだいたい決まっていて、右の肺はまず3本、左は2本さらに、右は10本に分かれ、左は8本に分かれます。
分かれた後、さらにそれぞれ2、3本に分かれます。
研修医はこれを全部覚えねばなりません、肺の中で病気があった時の位置を示す座標になるからです。
なので、この話は、どんな教科書にも乗っています。
最初発見した人は、解剖したりして、基本的な構造が似ていることに気づいたのだと思います。
10本と8本に分かれるのが基本ですが、人によって微妙に違ったりします。
人体では、基本は同じなのに、微妙に違うことが多々あります。
ほとんどは、問題を起こすことはありませんが、病気があって、手術をしたりするときに、基本構造だと思っていると、難しい時もあります。
どうやら人によって差が現れる正確な理由はわかっていないようです。
発生の最終の段階でランダム性みたいなのが関与しているのでしょうか。
たとえば、皆さんの手のひらに浮き出ている血管を見てもらうとわかりやすいのですが、左右で分布が異なっていることが結構あります。
医学生の時、「動脈はだいたい同じだが、静脈の作られ方は結構適当だ」と教えられました。
ところで、そういう実用上の理由からは説明できないほど、
大量の患者から一人一人の微妙な違いをひたすら調査した本があります。
僕の師匠から、「筆者は病的だ」と言われて紹介されました。
違いをひたすら細かく分類してあります。僕自身は頻繁に使うことはないのですが、確かに病的に感じます。
ちなみに、母校の解剖学の教授は、「人の体の変異を細かく調べても学問的価値はない」といっていました。
こういう地味で途方もない仕事を完遂できる人を想像してみたのですが、
伊能忠敬みたいな、地図を作る人みたいな心境に近いのかなと思います。
僕もいくつかの研究をしていて感じましたが、
みている世界全部をマッピングしたいという欲求に突き動かされる時があります。地図を拡げることそのものが報酬なのかもしれません。
地図にわからないところがあるというのが、気持ち悪かったのかもしれません。
でも、学術的価値がないと言われるこういったマッピングこそが、道に迷ったときに使えることもあります。
気管支がいつもと違った時、それがありふれたものなのか、そうでないのか、違う形だからこんな病気になってしまったのではないか、そう考察した患者に出会った時もありました。