皆で相談した結果、大間違いに突き進む②
医療現場では主治医が患者の治療方針に迷ったり、難しいと感じたら、会議でいろんな人に相談して意見をもらって、方針を決めることがあります。
責任をシェアしたり、経験ある人にアドバイスをもらったり、他の職種の意見を聞いたりして、より良い意思決定をするためです。
しかし、やり方を間違えると逆効果です。医療現場以外でも同様のことがあるかもしれません。
実際経験した事例をもとに解説していきます。
大きな病院では、各主治医が担当している患者の一覧を簡単に全て報告したりする会議があります。主に、問題がないか、典型例から逸脱がないかどうかチェックされます。
僕の印象ですが、現場で見ていて、有効に機能しているようです。
チェックみたいな感じなので、あまり時間もかからないで、スピーディに終わります。
一方で、病気の診断や治療、何らかの問題が起こったりしたことについて、責任をシェアしたり、ベテランに助言をもらったり、部署全体の看護師や技師などの他職種に意見を聞いたりするような、コンサルトのような会議の場があります。
民主的で聞こえはいいですが、実態としてはより良い意思決定どころか、あらぬ方向に突き進んでしまう危険なケースが多かったです。
会議すれば難しい問題にもうまい解決策が生まれると思っていると、問題を大きくするという何やっているわからない現象について、
心理学的な側面から、いくつかのポイントに分けて解説します。
二つ目は、責任はシェアできているとは限らない、です。
対応の難しい例について、もし好ましくない結果になった時、話し合っておくことで、集団で意思決定を行い、一人の医師に責任が行かないようにするという意図があります。
つまり、訴訟を防ぐためですね。
ところが、起訴というのは対象が選べます。
病院全体を訴える人もいるし、担当の医者を訴える人もいます。
それは訴える人が選びます。したがって、原理的に訴訟を必ずしも防ぐことができません。
例えば、前の主治医、前の前の主治医ともトラブルを起こして、訴訟をしている直腸癌の女性患者が来ることになりました。
そのトラブル内容は詳しくは明かされませんでしたが、僕の科に来るにあたって、
「女性スタッフでないと絶対ダメ」
「男性は自分の目に触れないようにしてほしい」などと、意味のわからない要求を突きつけていました。
(診療科は、スタッフの男女比は男性7割女性3割で、他の患者は文句言っていないので、明らかに逸脱しています。)
対応方法について、科内全員で何回も討議して、受診される時は動線をその人のためだけに設定して、男性スタッフが目に入らないように厳戒態勢を取ることが決められました。
腫れ物に触るような体制をとった結果、パーテーションの隙間から男性が見えたことで、クレームが出てきて、
結局主治医は四苦八苦したようです。
理由は詳しく明かされませんでしたが、結局その後、主治医の名前で訴えられました。
(主治医は詳しく説明していましたが、それでも治療の副作用について何時間も苦情を言っていたので、説明と違うという訴えかなと思います)
僕は、あの会議なんだったのかなとこの時思いました。
そもそも、こういう非現実的な要求をする人を受け入れるのかどうか問題を討議すべきでした。
(まだ受診していないので、応酬義務違反には当たりません)
当院ではその対応は無理ですと、いうのかどうかという話し合いはされませんでした。
あと、主治医には、自分一人ではどうすればいいかわからないから、みんなで話し合って何とかしてもらおうと、
問題の決定をちょっと投げているコメントがありました。言い方を変えると、当事者であるという感覚が薄かったです。
「自分で決めるのは怖い」という内容の発言をいつもしていました。
みんなで話し合っても、話し合わなくても、決定し実行するのは自分です。
体のことが、主治医に一任されているのは、システム上の決まりでもありますが、一番把握している/すべきだからですね。
重大な決定をみんなでシェアするには、自分が決定の主体である前提があってこそです。
判断を外注するために会議を利用すると、外注できないばかりか大丈夫だと思っていた自分の責任が問われることがあるという貴重な教訓を学びました。
人の体は、思いもよらない結果を辿るので、怖いことは怖いですが、逃げたらどこまででも恐怖は追ってきます。
怖がりであってもいいが、臆病者ではやっていけないかもしれません。
続く