「バイリンガル」とは、1+1=2ではなく1/2+1/2=1ということ
最近ようやく、自分の中で英語という言語が脳の中に違和感なく吸収されていく言語になったことに気がついた。
留学に来たばかりの時は、ReadingもListeningも、脳に届く前に複雑なジェットコースターを通って、ぐるぐると面倒な処理を得てからようやく「理解」するという段階に達しているような感覚があった。
Speaking, Writingに関しても、言いたいことが出てくると、SVOCだの前置詞だの倒置法だの品詞だの、ぐるぐるぐしゃぐしゃなジェットコースターで処理したあとに、ようやく口や手を通して文章がでてきた。
つまり、英語に対して壁があって、少し構えないといけないものだった。
でも今はなぜだろう、無意識のうちに、読んだり聞いたりしたことをスッと脳がスポンジのように吸収してくれている感覚がある。ジェットコースターを経由しなくても、理解しようとするより先に、脳が理解している。
同じく、これを言おうと日本語で考えて文法と単語の機械に通すより前に、口が言葉を発している。ちょっとまって、と思ってもどんどん言葉が出てくるようになった。
この過程に関してはまたいつか記録として残しておきたいと思っているが、今回はこのレベルに自分が達したと感じたとき、思ったことを記録したい。
「バイリンガル」についてだ。
私の終わらない英語学習の旅路のゴールは、限りなくネイティブに近づけた言語能力を所得することであり、その際に、バイリンガルというものは私の大きな中間目標の一つであり、途方もない憧れであった。
自分がバイリンガルになれたとはまだ感じていないが、バイリンガルになる道のスタートラインには立ててるかな、と感じるようになった。
そのスタートラインに立った時、感じたことを記録しておきたい。
バイリンガル、を考えたとき、私は二つの言語を、チャンネルをピッと変えるように、難なく操れるような人間だと思っていた。第二言語のための脳のスペースが、第一言語と同じ分、もしくはそれ以上増える。つまり、元から自分が持っている一つ目の言語に加えて、新たな言語を加える、1+1=2になることだろう、と。
しかし、いざこのバイリンガルという感覚の一角を感じたとき、私は、決まった脳のスペースを第一言語が身を寄せて、どうぞ、と第二言語に半分譲ってるような感覚を覚えたのだ。つまり、1/2+1/2=1である。
もちろんこれには個人差があるだろう。二つの言語を使いながら生まれ育った人たちはおそらく違う感覚があるだろう。もしくは、私があくまでスタートラインにしか立っていないからこう感じるといった節もあるだろう。
ただ、英語を日本の教育で学び続けて、留学で感覚を得た私の、個人的な感覚としては、二つの言語を同時に、同じくらいの割合で脳に維持することは難しいと思った。
例えば、海外にいて、一日の半分以上を英語に費やすと、日本語を本当に忘れてしまう。文章を書くことは得意だったはずなのに、なぜか自分が言いたいことをうまく表現できないという事態が起こる。意図的に日本語に触れるようにしないと、今までなんとはなしに使っていた言葉が、さらっと出てこなくなるのだ。漢字を書こう、となるとそんなものはもっての外だ。中学生レベルの漢字が出てこない。これは日本語を受動的に理解しようとする時も同じで、例を挙げると、先日、「歯に衣着せぬ物言い」ということわざをSNSのキャプションで見たとき、どういうこと、?と一瞬迷ってしまった自分に軽く寒気がした。
おそらくこれは、帰国子女あるあるとして馬鹿にされやすい、英語と日本語を混ぜて話すルー大柴状態が起こってしまう原因だともいえる。
私自身も、自らが帰国子女になる前は、そんなの英語が話せることをイキってるだけだろとか馬鹿にしていた立場だったが、本当にルー大柴の話し方が心地良く感じてしまったときはわざとじゃなかったのか!と衝撃を受けた。
その原理としては特に、英語の単語やフレーズでのほうが自分が言いたいことを性格に表現できるときに起こる。
例えば、I'm so proud of my self や、You deserve better などは、まあまあ日常生活で使うフレーズなのだが、日本語ではこれに値するナチュラルな表現はあまり思いつかない。もちろん直訳して、「自分のこと誇りに思う」とか、「あんたにはもっと価値があるよ」とかにして言えるが、そんなにバンバン使う表現かと言われると個人的には首をかしげてしまう。
他には、日本人がカタカナ言葉を使うのと同じように帰国子女は英語を使っているように思う。
例えば、エネルギッシュだよね、とか、エビデンスが~、とか言う社会人がいるように、(まだ実際に遭遇したことはない)ほんとあの人ってcrazyだよね、とか、なんか彼氏とvibesが合わなくてさ、といった具合である。
その方が、ニュアンスとか言いたいことにマッチしていたり、もしくは単純に日本語だと長くなるところを一言で言えたりするときに、パッと言葉が出るのだ。きっと、日本に本帰国してしまって英語に触れる機会がガクンと減ってしまたら忘れてしまうような、貴重な感覚だろう。
しかし、先述の通り、おそらくもっとレベルが高い人は上手く使い分けられそうだし、世界にはありえない数の言語を使いこなす人達も存在している。そのような人たちの頭の中はいったいどうなっているのか私には想像できない。でもその感覚も体験してみたいから、言語の旅はまだ続けて、いつかその感覚が理解できたとき、また記録したい。
とにかく今は、日本に戻った時のことを考え、日本語の感覚を忘れないように、脳のスペースを平等に分け与えるようにするためにも、このようにnoteで色々記録していこうと思っている。慣れすぎてしまっているこの非日常的な日常を記録するうえでも、だ。