サイドナヤ刑務所と困難な証言の聴取
この記事の要約
12月8日、シャーム解放機構によってダマスカスが解放され、アサド政権が崩壊した。混迷をきわめ、どのように終わらせるか誰もが考えあぐんでいたはずのシリア内戦が、驚くほどあっけなく終わった。
そんな中、これまで様々な機関から拷問、および不当な処刑が指摘されていたサイドナヤ刑務所もあわせて解放されたことで、アサド政権の罪が明らかになりはじめている。「収容所」とも呼ぶべきこの刑務所の犠牲者は多くいるが、その中で注目を集めている人物にマゼン・アル=ハマダがいる。
彼は「アラブの春」をきっかけに展開した抗議活動中に逮捕され、拷問を受けた結果、オランダに亡命することを決意した人だ。しかし、オランダも彼にとっては安住の地ではなかった。難民に対する支援を打ち切られたハマダは、アサド政権から脅迫されたこともあって、シリアに帰国せざるを得なかった。そして、彼の遺体はサイドナヤ刑務所で見つかった。
ハマダの証言をオランダ当局や国際社会がもっと真摯に受け止めていれば、刑務所の解放はもっと早くに為しえただろう。そして、ハマダは遺体で見つかることはなかっただろう。とはいえ、残念ながらこうした証言者への無理解は珍しい話ではない。
たとえば、アウシュヴィッツ収容所からの生還者であるプリーモ・レーヴィもまた、証言活動のなかで多くの無理解に出会った人だ。彼曰く、聞き手には壮絶な出来事を思い描くための想像力が欠けているからこそ、証言に無理解を示す。
こうした無理解を解消する糸口を探るために、本稿ではミランダ・フリッカーの提唱する「証言的不正義」という事象および、彼女の解決策を参照する。フリッカー曰く、証言的不正義は話し手の「アイデンティティに対する偏見を原因とする〔聞き手の〕信用性の不足」によって起こるものだ。その結果、聞き手は話し手の証言を過小評価したり、最悪の場合は無視したりする。そして話し手は不利益を被り、「不正義」を押しつけられる。
それを解決するためには、偏見が発生しやすい無反省な状態から、フラットに相手の話を聞くための反省的な状態へと「知的なギア・チェンジ」を行う必要がある、と彼女は説く。
この解決策は一見優れているようにみえるが、ハマダやレーヴィのようなサバイバーによる壮絶な証言にも応用できるかは怪しい。彼らの証言は聞き手に対して、強い情動をもたらすものだ。聞き手が強い情動に捉われているとき、フリッカーが推奨するような「知的なギア・チェンジ」を起こす余裕は生まれにくいのではないだろうか。
その代わりに筆者は、証言者が証言を中断する時、つまり、自分の体験を言葉にしあぐねている時に生まれる沈黙にこそヒントがあるのではないか、そこにこそ聞き手が証言者に耳を傾けるチャンスがあるのではないか、と考える。
1.解放されたシリア、そしてサイドナヤ刑務所
1-1.サイドナヤ刑務所の実態
先日、シャーム解放機構(HTS)が電撃的な速度でダマスカスを奪取したことにより、アサド政権が陥落し、長年にわたって続いたシリア内戦はひとまずの区切りがついた。当面の権力はHTSが握るとの観測がある。が、周知のとおり今回の内戦は、複数の勢力が入りみだれて陣地の確保に明け暮れた結果長期化したため、果たして他の勢力が協力的に振舞うかどうかはまだまだ不透明だ。さらに、この機に乗じてイスラエルが国境を乗り越え首都付近にまで侵攻してもいる。
諸々の状況を踏まえて、シリアの将来について悲観的な見方をする識者もいるが、一方で筆者としてはバッシャール・アル=アサドが打倒されただけでも相当な成果だと考えている。今回の内戦に限っただけでも、アサドは多くの罪を犯した。何度となく行われた化学兵器での市民への攻撃、20万人以上にもおよぶ民間人の殺害、無実の人々に加えられた拷問……間違いなく今回の内戦で多くの人々を残虐に扱ったのはアサド、および彼の名のもとに行動した政権関係者だった。もちろん、HTSを全面的に信用するわけではないが、少なくともアサド政権が倒れただけでも多くのシリア人にとって最悪の事態は終わった、と言えるだろう。
なにより、ダマスカス郊外にあるサイドナヤ(セイドナヤ、セドネイヤ)刑務所が解放され、明らかになった実態を見れば、とうていアサドは擁護しようがない。刑務所が解放されるとともに多くの収容者が外に出てきたが、スマートフォンの存在を知らない人はもちろんのこと、30年以上にもわたって収容されていた人さえいたという。
さらに、刑務所の中にはなんと子供もいた。看守が女性をレイプし、その結果出産せざるを得なくなった結果子供ともども刑務所のなかで暮らし続けていたものとみられる。
また、同時に解放された病院の遺体安置所には少なからぬ遺体が放置されていたが、彼らの体には拷問の痕跡が多数あったという。その中には、つい最近まで生きていたとおぼしき収容者の遺体も含まれていた。つまり、拷問や処刑はHTSが電撃的な解放を実現する直前にも行われていたのだ。
サイドナヤ刑務所で起こっていた人権侵害については、内戦の最中からさまざまな機関が調査を進めていた。一例を挙げれば、2017年にアムネスティ・インターナショナルは、2011年から2015年の間に最大1万3千人が絞首刑に処されたと指摘し、さらにおよそ1万7千人が拷問や飢餓、病気などによって死亡したと報告している。
ここまで一応、筆者は公式の呼称にしたがってサイドナヤ「刑務所」と書いてきた。しかしながら、ここに収容されていた人々のなかに、2011年以降に民衆蜂起に参加した活動家や政権批判者が多く含まれているし、それ以前に政権に逆らって長期収容されていた者も含まれている――そして、なかにはデモにすら参加していなかった人さえ含まれている――ことを考えれば、我々がイメージするような「刑務所」とはまるでかけ離れた場所だと言わざるをえないだろう。
すくならぬ人々が指摘しているように、実態を踏まえれば「強制収容所」ないし「絶滅収容所」と呼ぶほうがふさわしいように思われる。たとえば、Stand with Syria Japanの理事長山田一竹は以下のように投稿している。
収容所に入る前に服や靴を脱ぎ捨てることは、ナチスの強制収容所においても「儀式化」されていた。ユダヤ人をはじめとした収容者たちはシリア人たちと違ってその後囚人服に着替えさせられたが、一方で脱ぎ捨てられた服や靴は、ポケットに入っていた貴重品などもふくめてSSによって奪われた。
こうした符号も踏まえれば、やはりサイドナヤは「強制収容所」ないし「絶滅収容所」と呼ぶのが適切だと思われる(また、サイドナヤについて報じるさまざまなメディアの凄惨な情報に疑いを投げかけたり、果ては否定したりする声もさっそく聞かれることに鑑みれば、因果なものだがやはりそこにもナチスの強制収容所との符号を見出さざるを得ない)。
また、シリアにはまだまだ実態が明らかになっていない収容所がいくつも残っている。言いかえれば、以上のような凄惨な事態も氷山の一角にすぎない可能性がある。アサド政権が犯した罪(その中には化学兵器の使用も含まれる)を明らかにする意味でも、シリアの一刻も早い情勢の安定が望まれる。そして、ロシアに亡命したアサドが正式な形で裁かれることが望まれる。
1-2.マゼン・アル=ハマダとは何者か
今回収容所が解放されたことによって、これまで行方不明とされていた人々の所在が続々と明らかになっている。残念ながら、遺体として見つかった例もある。その中で現在世界から注目を集めている人に、マゼン・アル=ハマダがいる。
収容所が解放されて数日後に行われた彼の葬儀には、数百人の民衆が参列した。民衆によって掲げられるハマダを始めとした犠牲者たちの遺影、棺に被せられたシリアの新たな国旗、「君の血は忘れまい、マゼン!」と繰りかえされるチャント……そうした参列者の様子を見るならば、単なる葬儀にとどまらず、ハマダや収容者たちの拷問による死を世界中に知らしめようとするデモンストレーションでさえもあると言っていいだろう。
ここまでの待遇をうけるマゼン・アル=ハマダとは何者なのか?
周知のとおり、2010年末に起こった「アラブの春」がシリアへも波及したのは2011年に入ってからだった。当時33歳で多国籍企業SLBの技師として働いていたハマダは、すぐさま民衆のデモに参加する。彼は同年4月、および12月に逮捕されているが、一度目はすぐさま釈放、二度目も2週間拘束されたのち釈放された。
その後ダマスカスから離れつつも、ハマダは民衆蜂起を援助しつづける。2012年に入ってからは幼児用の粉ミルクを密輸しようと企てるが、このとき彼は二人の甥とともに逮捕され、軍用空港の留置所に収容される。ここで自白を拒んだハマダは服を脱いで床に横たわるよう命ぜられ、そこへ四人の男が飛び降り彼の体を踏みつける拷問や、地面から40センチの高さで釣り上げられる拷問などに見舞われた。さらに、尋問室に連れていかれてからは、ここで書くのは憚られるほどの性的虐待も経験したという(この結果、彼は生殖機能を失ってしまった)。
結局、彼は武器の所持を認め、テロリストとして訴追される。一年近くにわたる拘留で肉体的にも精神的にも痛めつけられた彼は、目の感染症を患ったり、血尿が出るほどにもなったため病院へと移送されることとなった。しかし、病院の環境も劣悪で、積み重なった遺体が放置された中で排泄をしたり、職員が患者に暴行を加える様子を目撃したりするほどだったため、ハマダはまもなく拘置所に戻してくれるよう懇願せざるをえなかった。
その後彼は一年七カ月の拘留生活を終え、ようやく釈放される。手首には青い痣が残り、タバコを押しつけられた痕跡や、ミミズ腫れなどが体のあちこちに刻みつけられた状態での釈放だった。とはいえ、すでにハマダの家は破壊され、家族や友人の多くが殺害されていた。さらに諜報機関の尾行もついていた。
それだけでなく、彼が拘留されている間にシリアの内戦はアサド対反政府勢力という構図から、複数の勢力が入り乱れて戦う泥沼状態へと陥っていた。いつ再び逮捕されるかわからない状況に置かれただけでなく、いつ戦火に巻きこまれるかわからない状況にも置かれたハマダは、亡命を決意する。
彼はトルコ、ギリシャを経由し、オランダへと到着した後、内戦がはじまる前に亡命していた妹と合流した。本来ならば、ここで数年間じっくりと肉体的にも精神的にも回復するための時間を過ごすべきだったのかもしれない。しかし、彼は亡命後まもなく証言活動を始める。自らに浴びせられた拷問の数々をさまざまな場所で証言することで、いかにアサド政権が腐敗しているかを、世界中に知らしめる道を選んだのだ。
1-3.ハマダはなぜシリアに戻ったのか
が、2020年にハマダはふたたびシリアに戻る。帰国の理由について、ハマダのオランダでの友人であったパレスチナ人サキル・カデル(注1)はオランダ政府もまた責任を負っていると主張している。
カデルによると、ハマダの証言活動は並外れた意欲にもとづいておこなわれていたが、一方でオランダ当局の「顔のない官僚機構のそびえ立つ書架の中の、何万もある書類のひとつに過ぎ」なかったともいう。
ハマダは当局から亡命者として「これまで与えられたすべてのものに対して、見返りをくれるよう」要求されていた。ハマダは拷問の過程を証言するために様々な国へと渡航していたが、当局から見ればそれは「休暇」旅行のようにしか見えなかったらしい。亡命者は亡命者らしく、道路清掃でもすべきだ、と当局はハマダに迫ったのだ。
年を経るごとに当局からのプレッシャーは強まっていき、ハマダへの給付金は減らされた。家賃は支払えなくなり、住居からも追い出された。「彼の私物はゴミとともに捨てられ」、拷問の「証拠が詰まったノートパソコン」や「深く思い入れのある品物」、そして「彼が抗議活動に参加する際にはいつも誇らしげに振っていた革命の旗」もまとめて捨てられた。
路上生活を強いられたハマダはまもなく、シリアに戻ると周囲の人々に語るようになる。実際、彼が証言活動を行っているあいだもシリアの状況は悪化しつづける一方だった。アサド政権は維持しつづけていたし、化学兵器の使用についても、収容所で行われている拷問についても、国際社会は有効なリアクションを示すことができていなかった。自分の声は世界にまったく届いていないとハマダは「希望を失っていた」。
そして彼は「自分を見失い」、自分の戦いの終わりを内戦の終わりと混同しだすようになる。オランダにこれ以上いても状況は悪くなるばかりだ。それならば、せめて生地であるシリアに暮らした方がマシかもしれない。なんなら、アサドも自分を許してくれるかもしれない――「屠殺場に戻ることが、オランダのシステムの息苦しい支配から抜け出す方法であるように思えた」。
そしてハマダはシリアに帰国し、すぐさま諜報機関に逮捕されてしまう。カデルはこれについて、彼は「自発的に帰国した」わけではない、むしろ「強制されたのだ」と主張する。「オランダでの悲惨な状況が彼を崖っぷちにまで追い詰めたのだ」、と。
カデルはこのように綴っているのだが、一方でハマダは、帰国しなければ家族を殺す、とシリア当局に脅されたからこそオランダを離れざるを得なかったとの情報もある。なので、カデルの証言を全面的に信用するのはややためらわれる。
とはいえ、ハマダの声にオランダ、そして世界中が「耳を傾けな」かった、というのは、収容所が解放されたのち、彼が遺体として見つかったことからも正しいと言わざるを得ないだろう(どうやら、彼の死亡推定時刻はシリア解放の数日前だったらしい。つまり、彼はつい最近まで生きていたのだ)。
くわえて後日カデルが投稿した、生前の会話の映像を見るに、ハマダがオランダ政府から蔑ろに扱われていると感じていたのは事実のようだ。
「僕はオランダ人に僕の置かれた状況を理解して欲しいんだよ」「彼らは僕を不正義との戦いに集中させるべきで、圧力をかけるのを止めるべきなんだ」「もうちょっとだけでもいいから、オランダ人には僕のことを理解してもらいたいんだよ」……仲間内の会話だけに、ハマダは率直にこれらの言葉を発したと見ていいだろう。
2.我々はなぜ証言者を理解しないのか
2-1.プリーモ・レーヴィの例
証言者が聞き手の無理解に遭遇し、ようやく人前で話ができるくらいには癒されはじめていた心の傷が別の形で深くなるというのは、(すこぶる不愉快ではあるが)珍しい話ではない。
たとえば、アウシュヴィッツ収容所を生き延びたユダヤ系イタリア人プリーモ・レーヴィは、数多くの証言活動を通してこうした無理解に出くわした末に、収容所について聞かされた人々が抱きがちな「ステレオタイプ」について分析的に語れるほどになってしまった。
レーヴィは、収容所について聞かされた人々がこうした質問を投げかけるのは、彼らが第三帝国の時代から「時間的空間的に距離」を置けるようになったからだと分析している。平和な国で平和な時代を送っている人々は、殺伐とした国で殺伐とした時代を送っている人々のことは想像力を働かせなければ理解できない、というわけだ。
もっとも、レーヴィほどの人を相手に僭越を承知で言えば、ハマダの例を踏まえるとこうした回答は完全に正しいとは言いきれない。ハマダに加えられた拷問は、世界中で注目を集めたシリア内戦のさなかに起こったものだった。世界は「時間的に」距離のない状態でハマダの話を耳を傾けられるはずだったにもかかわらず、理解を示さなかったのである。
もちろん、ヨーロッパやアメリカ、極東などから見ればシリアは「空間的に距離」がある。たとえば、オランダに住んでいる人々が内戦の最中にシリアの収容所の内実を目の当たりにするのはまず不可能だ。とはいえ、その気になればなんでも調べられるインターネットが発達している時代においては、たとい「空間的」な「距離」があろうが、情報を収集しつつ収容所の概要を理解しようとするのはそう難しい話ではない(現に、先ほどもあげたとおりアムネスティ・インターナショナルをはじめとした様々な機関がサイドナヤ収容所についての情報を公開していたのだから、国際社会がそれにリアクションするのは十分に可能だった)。
つまり、人々が証言者に無理解を示すのは「時間的空間的に距離」があるから、という回答は、部分的には当たっているかもしれないが、まだまだ不十分なのである。人間は、「時間的空間的に距離」がなかろうと、他人の深刻な体験に理解を示さない生き物でもあるのだ。
2-2.Nicht sein kann,was nicht sein darf.
それよりももっと妥当性を有していそうな見解は、ほかならぬレーヴィが出している。
直接言及はしていないが、レーヴィはおそらく収容所の存在について否定している修正主義者のことも念頭に置きながら、この文章を書いているはずだろう。
「Nicht sein kann,was nicht sein darf.」という文言を、レーヴィは「ぎこちない遠回しの表現でしか、イタリア語に翻訳できない」と述べているが、あえて直訳すれば、「可能でないものは許可されていない」といったところだろうか。これは、今日の修正主義者の頭の中を占めている論理とそっくりそのまま同じである。彼らはナチスの収容所や、莫大なユダヤ人の死者について、「そんなことは可能とは思えない、だからありえないのだ」といった決まり文句で否定しようとする(そして、サイドナヤ収容所についても早くもそうした否定論が見られはじめている)。
修正主義者は極端な例ではあるが、「道徳的に存在が正当ではない物事は、存在できない」というのは、収容所の存在については肯定しつつも、積極的にコミットしようとはしない人々も持っている思考回路だろう。
もちろん、彼らは修正主義者と違って道徳的であるので、「そんなことは可能とは思えない、だからありえないのだ」などとは表立っては言わない。しかしながら一方で、本当に収容所で行われていた行為が事実であるかどうかを判断できるほどの能力はないので、とりあえず沈黙している。というか、見ないようにしている。彼らの場合は修正主義者と違って、凄惨な出来事を視界から遠ざけることで「ありえない」話にしようとしているのだ。
収容所の話が本当であれば酷いことだ。しかし、こんな凄惨な出来事が本当に可能なのだろうか。とはいえ、こうした真摯な証言に疑いを示せば私の人格が疑われるに違いない。ややこしい話は遠ざけておくに越したことはない――大方こういった具合に話が進むせいで、無理解な聞き手は証言者を目の前にしても、その話を受け容れようとはしないのであろう。
こうした冷淡な態度は、収容所の生存者のような極限の事例のみに見られる話ではない。レイプに遭った人々、差別に遭った人々、ハラスメントに遭った人々……彼らの精いっぱいの証言に対して冷ややかに接する聞き手は(これまたすこぶる不愉快ではあるが)なんら珍しくないのだ。
3.証言者を理解するために
3-1.証言的不正義とは何か
いったい、どうしたら我々は凄惨な目に遭わされた人々の証言を聞き取ることができるのだろうか?
さしあたり参照できそうな本として、ミランダ・フリッカーによる『認識的不正義』がある。
フリッカーは、ある話し手による証言を、ある聞き手がゆがんだ形で受けとってしまった(ないし、耳を傾けすらしなかった)結果、話し手が何らかの形で不利益を被る事象を、「証言的不正義」と呼んでいる。
『認識的不正義』では、証言的不正義の一例として『アラバマ物語』が挙げられている。この小説は、アラバマ州の田舎町で起きた強姦事件の裁判を、主人公の弁護士が担当する物語だ。被告は黒人で、白人女性をレイプしたとの廉で告発された。弁護士から見て被告が強姦を犯したのでないことは明白だった。しかし、裁判を担当した陪審員は人種主義的な偏見にまみれており、諸々の反証を踏まえてもなお黒人の被告が犯行に至ったのだと結論づける。結局評決は有罪で、被告は護送中に逃走を図ったために射殺される。
こういった具合に、証言的不正義は「アイデンティティに対する偏見を原因とする信用性の不足」によって起こる、とフリッカーは論じている。実際『認識的不正義』では、女性の話し手が男性の聞き手を相手にして不利益を被る場合など、アイデンティティに原因を求められる事例が多く取り上げられている。
そのため、プリーモ・レーヴィやマゼン・アル=ハマダのようなサバイバーの事例において、フリッカーの議論を援用するのは注意を要する(両者ともにユダヤ人、ないし亡命シリア人といったマイノリティ属性があるがために証言の場で差別された可能性もなくはないが)。
だが、それを踏まえてもなお『認識的不正義』には教えられるところが少なくない。フリッカーは、フェミニズムでしばしば取り上げられる「性的モノ化」を参照しつつ、証言においても「認識的モノ化」なる現象が起こりうると述べる。
本来ならば人間は、能動的に行動できる「主体」として扱われるべきだ。しかしながら、マジョリティの偏見にもとづいて不当に遇されると、マイノリティは主体性を剥奪され、単なる「モノ」に成り下がってしまいやすい(今日においても女性は、男性の性的欲望を満たす「モノ」として扱われ、主体的な部分は邪険にされやすいのがその最たる例だ)。
こうしたモノ化は、ハマダも被ったと見なされるだろう。もっとも、彼は「情報源」とさえ扱われなかった。ハマダの証言活動は「休暇」として見られたのであって、オランダ当局は亡命の「見返り」として道路清掃でもやっていろ、と圧力をかけていたのである。彼は人間としてではなく、「重荷」(モノ)として扱われていたのだ。ハマダが見舞われた現象を、証言的不正義と名指すのはそう間違えていないだろう。
3-2.証言的不正義の解決策
さて、こうした証言的不正義を克服するためにはどうすればいいのだろうか? フリッカーはそもそも証言的不正義は「自動的な非反省モード」のなかで起こりやすいと述べている。人間はヒューリスティックな状態にいると、特に偏見に見舞われやすい。なんの注意もしていなければ聞き手は、すぐに話し手に対して先入見でもって応じてしまうのだ(女は感情的だ、黒人はうそをつく、亡命者は遊んでばかりいる……)。
それを避けるために聞き手は、「能動的で批判的な反省モードへと知的なギア・チェンジを行わなければならない」とフリッカーは訴える。
では、レーヴィやハマダの証言をしっかりと受けとめようとする場合、我々はどのような「ギア・チェンジ」を行うべきだろうか? 「人間の犯しうることに限界はない」との意識をもって彼らの証言に臨むのが、ひとまずの解決策として考えられるだろう。
アウシュヴィッツ収容所やサイドナヤ収容所の内情を知ると、我々は「こんなことが果たして可能なのだろうか?」と思ってしまう。特に収容所で繰りひろげられているような凄惨な出来事は、我々が生きているような日常とはかけ離れているので、なおのことイメージがしづらい。その結果、人々は証言者から距離を取ってしまう。それではいつまで経っても、生存者の証言を聞き取ることはできない。
そうではなく、我々がやるべきことは、我々が考えている以上に人間は残酷な行為を犯しうるのかもしれない、との認識の拡張だろう。たとえばレーヴィが、アウシュヴィッツにおいて頻繁に見られた、もはや生きる希望を失い、かといって死ぬための力すらなくなってしまった半死人である「ムーゼルマン」のことについて語るとき、聞き手である我々は、人間はここまで貶められうるものなのか、と目を疑う。
だが、そこで「ギア・チェンジ」をするべきなのだ。こんなひどいことがあるなんて信じられない、でも、証言者がいる以上は現実に起こったことに違いない、だから、信じなくてはならないのだろう――そのように思考を転換すれば、我々は生存者の証言を真正面から聞き取れるはずなのである。
4.我々は深刻な証言に耐えられるか
4-1.「知的なギア・チェンジ」はどんな証言に対してもできるものか?
しかし、このような解決策を見てきてもなお筆者としては、これで本当にすべてが解決するのだろうか、との一抹の不安がぬぐえない。
話し手の証言が重ければ重いほど、聞き手である我々はそれを受けとめかねるものだ。だとすれば、「知的なギア・チェンジ」など行う暇もなくなってしまうのではないだろうか?
壮絶な経験をした人の証言を、壮絶な経験をしたことがない人が受けとめるのはあまりに難しい。我々は壮絶な体験を他人から聞くと、これまでに見聞きしたこともない出来事をどうにか思い描こうと努力するために心のエネルギーを強く傾け、それにともなって感情を強く揺さぶられやすい。その結果、人々は「知的な」思考を働かせづらくなってしまう(我々が激怒したり、悲嘆に暮れていたりする時、いかに客観的な思考ができなくなっているか思いだしてみていただきたい)。
感情的になった聞き手が、話し手に同情するならまだいい。だが、中には感情的になるあまり「こんな話はあるわけがない」などと反発してしまう聞き手もいるはずだ。あるいは、感情を揺さぶられるのを避けるために、証言を無視してしまう聞き手もいるだろう。いずれにせよ、そこでは「知的なギア・チェンジ」が起こしにくくなってしまう。
要するにこういうことだ。「知的な」反応を起こしにくい証言に対して、「知的なギア・チェンジ」を解決策とするのには限界があるのではないか?
筆者がこのように考えた理由は、ほかならぬハマダの証言映像を思いだしたからだった(動画冒頭にもあるとおり、ショッキングな証言も含まれるので読者は注意して再生していただきたい)。
カメラに澄んだ瞳を向けながら、自身が体験した拷問を身振り手振りを交えながら、訥々と語るハマダの姿を(画面越しとはいえ)直視しつづけるのは難しい。とくに、彼が体験した性的虐待を証言する場面にいたると、(英語字幕を頼りに動画を見ていたこともあって)筆者は思わず目を背けてしまった。
この動画の冒頭でも警告されているように(「これからお聞きいただく証言は非常に生々しいものであり、視聴者を動揺させるかもしれません」)、壮絶な証言は時に聞き手を激しく「動揺」させるものである。筆者の体感ではあるが、こうした証言を相手にすると「知的なギア・チェンジ」を行う余裕は生まれえないのではないか、と思った。そして同時に、ハマダの話を聞いてきた人々は、こうした重みに耐えかねて彼の証言を聞き取れなくなってしまったのではないだろうか、とも感じた。
筆者は本稿の2節で、凄惨な証言の聞き手が、なぜ話し手に無理解を示すのかについて仮説を示した。そこでは、証言の内容を汲みとるにあたっての想像力が足りないゆえに(「道徳的に存在が正当ではない物事は、存在できない」)、聞き手は証言を理解できないのではないだろうか、と考察した。だが、以上で見てきたことを踏まえれば、そうした考察だけでは不十分と言わざるをえない。無理解を示す聞き手は想像力が足りないだけではない。激しい動揺を引きおこすような証言を受けとめるための感情の耐久力めいたものが弱いからこそ、人は証言者に理解を示さないのではないだろうか?
言うまでもないが、これはハマダのせいではない。動画を見ればわかるとおり、彼は自分の体験した拷問の内容を、淡々とした口調を維持し、自らの心の傷を広げないように努めながら語っている。また同時にこうした彼の語り口は、聞き手の感情をできるかぎり揺さぶらないように配慮しているともいえるだろう。そうした様子を見れば、彼を責められるわけがない。
そして同時に、これは単純に聞き手を責めれば解決する問題でもない。想像力や感情の耐久力めいたものは、人によってまちまちだ。誰もが想像もつかないような出来事の証言や、激しく感情を揺さぶる証言を受けいれられるわけではない(そうでないとしたら、先ほどの動画の冒頭にあったような警告文なんて、わざわざつける必要がないだろう)。
フリッカーも示唆しているが、証言を正しく聞き取るにはある程度の訓練が必要となる。だがそうだとすれば、証言の内容が壮絶になればなるほど、聞き手はより訓練を積む必要があるだろう。それこそ、カウンセラーのような他人の話を聞くプロフェッショナルのように……しかし、そうした訓練を受けられる人は、この世に限られているのではないだろうか? 言いかえれば、誰もが壮絶な証言を聞き取るだけの想像力や感受性を養えるとは言いきれないのではないだろうか?
4-2.沈黙という証言
もちろん、先ほども述べたようにフリッカーは、「アイデンティティに対する偏見を原因とする信用性の不足」によって起こる証言的不正義を主な研究対象としている。だから、彼女の議論の枠組ではサバイバーが見舞われる証言的不正義をカバーするのは難しいのではないか、と言うのは、ないものねだりに過ぎないだろう。
いずれにせよ、我々は『認識的不正義』から離れて解決策を編み出さなくてはならなそうだ。それを考えるにあたって一つだけ手がかりがある。それは先ほど取りあげた、ハマダの証言映像の4分25秒からのシーンだ。
インタビュアーがハマダに「あなたに拷問を加えた人々のことをどう思っていますか?」と訊ねたところ、彼は30秒以上沈黙し、生唾を呑みこみ、涙を流した後、「神が彼らに責任を負わせるでしょう、法が彼らに責任を負わせるでしょう。彼らを法廷に連れて行き、正義を手にするまで一息もつけません」と答え、さらに10秒ほど沈黙してから「正義は私と、彼らに殺された友人たちのためにあります。私の命をかけてでも彼らを追及し、どんなことがあっても彼らを裁いてみせます」と続けたところでインタビューは終わる。
性的虐待を証言するシーンで目を背けた筆者は、この沈黙につられてふたたび画面に向きあうことができた。しばらく沈黙がつづく中、そこには言葉を発しあぐねているハマダがいた。いったい、なぜ彼は沈黙しているのだろうか? しかも、なぜ涙を流すのだろうか? あれだけの壮絶の内容を一粒の涙も見せず語りえた人が、ここにきてなぜ?――そう訝しみながら、筆者は彼の言葉を待たざるを得なかった。その結果、最後まで動画を見ることができた。
あらためて振りかえってみると、こうした沈黙にこそ我々が証言者に向きあうチャンスが潜んでいるのではないだろうか? 壮絶な証言を真正面から受けとるのは難しい。想像を絶するような他人の体験はなかなか頭の中に思い描けないし、感情を強く揺さぶるような他人の話を聞けば冷静でいられなくなってしまう。
だが、証言者が言葉に詰まり、次の言葉をなかなか発せなくなってしまっている瞬間ならどうだろうか? その時、聞き手である我々は、ある意味で証言から解放されている。壮絶な体験を思い描く必要もないし、感情の揺さぶりに耐えながら話を必要もない。なんなら、「知的なギア・チェンジ」をする必要もない。ただ、目の前の証言者に目を向けるだけでよいのだ。
もちろん、ハマダのように涙を見せる証言者を正視するのは難しくない、とは言わない。しかし、壮絶な証言に耳を傾けるよりは、いくらか難易度が低いはずである。
我々は証言というと、言葉にのみ注目しがちだ。だがここで定義を拡張して、証言者の身振りもまた証言の一つだと考えてみてはどうだろうか? 我々のコミュニケーションは言語だけに限らず、ジェスチャーのような非言語のコミュニケーションも含まれているとはよく言われるところだ。それを当てはめて、証言者が言葉を発さないこと、つまり沈黙する様子もまた一つの証言であると考えてみてはどうだろうか?
こうした定義の拡張は、聞き手の負担を減らすだけでなく、証言者の負担をも減らすという意味でもメリットがあるだろう。凄惨な体験を証言することは、精神的にすさまじい負担になりうる。本稿の一章でも取りあげたハマダの友人であるカデルによれば、ハマダは証言すればするほど彼の精神にダメージを負っていたという(同じように、レーヴィもまた証言活動の繰りかえしによって精神に支障をきたした結果、自殺にいたったと考えられている)。一方で、証言者にとって話せない部分は話せない、というのを許すことで、こうした負担はいくぶん抑えることができる。
むろん、だからといって万能の解決策とも言いきれない。人間は、どこまで行っても言語に捉われる生物だ。証言者が沈黙しているとき、そこには言語がないため、聞き手はその真意をはかりかねる(それこそ、ハマダの沈黙の真意のように)。結果、聞き手は証言者が本当に話したかったことをつかみ損ねてしまう可能性は十分にある。最悪の場合、話し手の真意を誤って解釈してしまう可能性さえあるだろう。
……正直に言って、筆者はまだ思いつきのレベルでしかアイディアを出すことができない。だが、すべての証言者が自分の体験を滔々と証言できるわけではないし、すべての聞き手が壮絶な証言を正しく聞き取れるわけではない、ということは銘記しておきたい。そして、自分の体験をうまく証言できない人々が責められるいわれはないのと同様に、他人の体験をうまく聞き取れない人々も責めるべきではないことを銘記しておきたい。
当面の我々の課題は、そうした人々でもできる範囲で自分の体験を形に残す方法を編みだすこと、そして同時に、できる範囲で他人の体験に関心を持てるようになる方法を編みだすことだろう。そうすれば証言者一人一人の負担は少なくなるし、彼らを援助する人も増えていくはずなのだ。
サイドナヤ収容所の体験の証言は、これからも続けてやってくるだろう。ほかのシリアの収容所からも、多くの証言が寄せられてくる可能性が高い。そして、シリア以外の国々からも、悲惨な体験を証言する人が現れる可能性もまた(すこぶる不愉快な話ではあるが)十分にありうる。むろん、究極的にはこうした証言者を生む悲劇自体が根絶されたほうがずっと良い。だが一方で、この悲劇自体がどうにもなくなる様子を見せない以上は、せめて被害者を救うための体制を整えておくしかないだろう。
脚注
(注1)カデルはカメラマンとして活動し、「銀のカメラ」賞を受賞している。2023年10月7日以前のヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の様子を何枚もの写真に収めたことによって同賞を授与された彼は、一方で『タイム・オブ・イスラエル』から批判されてもいた。同紙は2024年4月19日にウェブサイト上に記事を掲載し、カデルが撮影した一枚の写真――そこにはイスラーム聖戦のヘッドバンドを巻いた死者が写っている――に、「Portrait of a Martyr(殉教者の肖像画)」と表題をつけたことを問題視したのだ。要は、テロリストを「殉教者」と呼ぶとは何たることか、というわけである(イスラエルではヨム・ハショアの英語名をHolocaust Martyrs' and Heroes' Remembrance Dayとしているから、なおさら癪に触ったのだろう)。
これに対してカデルは翌日すぐさま反論をしている。
同紙は写真に写っている人物を銃撃戦で命を落とした「ジハーディスト・テロリスト」と見なしているが、カデルによるとそうではなく、本当はイスラエル軍のドローンで殺された人物だった。
また、カデルは同紙が「Martyr」のアラビア語訳として紹介している「Shaheed」という言葉を誤って理解していること、「反ユダヤ主義」という言葉を(シオニストの常套手段に倣いながら)濫用していること、そして自分がまったく「反ユダヤ主義」とは関係ないことなどを続けて指摘している。
「ゴミ記事(garbage)」の難癖を一通りあしらった後、カデルは以下のようにつけ加える。
10月7日以降(あるいは、それ以前から)パレスチナ人として中傷に見舞われてきたカデルが、友人であるハマダの死をオランダ政府にも責任がある、と述べる理由については、こうした文脈を踏まえながら理解する必要もあるだろう。