全てのことには原因がある、という説明が誰も幸せにならない理由
あなたがもし、恵まれない環境で育ち、親からDVを受けて心に傷を負い、その後社会に出て経済的な安定を手にしたものの居場所を感じられず寂しい思いをしているんだとしたら。
誰かから、自分の寂しいこの気持ちのことを「全てのことには原因があるから」と言われたら、どんな気持ちがするでしょうか?
全てのことに原因がある、そう考えるのは、発言した本人が恵まれて育ってきて、自分が恵まれていることに気付かずに生きているから、とも考えられないでしょうか?
親から愛されずに育ったことが全ての原因だとしたら、その原因を指摘したとしても解決されないのではないでしょうか?そういう親の元に生まれてきた、それは紛れもない事実です。でも、そういう親に生まれたからこそ、自分の心底やりたいことを見つけ、大きな社会貢献をする人がいることも事実です。じゃあ、その人にとって、恵まれない親のところに生まれてきてしまったことは、ハンデなのでしょうか?
いえ、違います。苦しい経験だったには違いないですが、そのことを通じて、自分自身の本当にやりたいことを心の中で探し当て、自分を駆り立ててくれているのです。
私たちが、原因という言葉を使うとき、そこには暗に悪いこと、ネガティブな印象を込めて語っているように思います。
でも、ある悲しい体験がきっかけで、大きな社会貢献をしている人に対して、社会貢献をしている原因は何ですか?とは聞かない。むしろ、駆り立てているものは何ですか?とか、どうしてそこまでできるんですか?と聞きます。
この2つのケースは、原因とは一般的にネガティブな解釈の付け加えられた出来事のことではなく、単に事実をポジティブに解釈したか、ネガティブに解釈したか、という解釈の問題に過ぎないことが分かります。
原因を探すよりも、あなたが本当はどうしたいのか?が大切
原因もしくは、因果関係は分かりました。となったところで、その瞬間から果たして幸せになれるでしょうか?因果関係を事実として、見つめることは大切なことです。でも、そこに良い、悪い、という解釈は必要ないのです。解釈をする事で、良い悪い、という判断が生まれ、心の中に裁判官を住まわせて、全ての出来事をジャッジする思考が生まれます。
考えてみてください。会社で、学校で、誰もが人を良い、悪い、この二つの基準だけで人を見ているとしたら、ギスギスした嫌な雰囲気になります。その人と仲良くしようとは思いません。自分の中に裁判官を住まわせることは、自分をますます嫌いになる方向に自分で持って行っているのです。そして、そんな思考を持っている人は、友達や家族、大切な人にもそういう風に見るでしょう。自分が正しいと言いたいために、周囲の人を悪い、とレッテルを貼ることを必要とする人になってしまうのです。友達も次第に離れて行くかもしれません。
原因を掘っていくだけでは、ネガティブな解釈しか生まれず、誰も幸せにしないのです。
自分への問いかけで人生が変わる
辛い経験をして、自分が何のために生きているのかさえ、分からなくなることがあったり、自分は何をやってもダメなんだと、自分を責め続けてしまうかもしれません。自分にがっかりするのは、こうなったらいいなと、という理想があなたの中にあるからではないでしょうか?理想を持たない人は、落ち込むことがない、と言われています。
あなたの中にある、本当はこうだったら良い!を毎日、毎秒自分に伝えてあげてください。大事なことは、自分も他人も責めないことです。
そして、本当はこうだったら良い!と思うことを、どうしたらできる?と更に問いかけてみてください。自分を勇気づけてあげてください。
自分への問いかけが自分をつくる
そのうちに、自分の本当にやりたいことが見つかり、考えられないようなパワーがうまれて、自分の夢を実現するための環境、人間関係が自然と出来てくる時が訪れます。あなたの夢を応援したいと思う人が集まってくれます。
あなたは、原因を探して縮こまる生き方よりも、こうありたい、という目標、目的を見つけて、それに突き動かされることを選択したから、その波長に合う人達が集まってきてくれたのです。
自分への問いかけを変えることから、初めてみませんか?
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