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たこ焼き職人の道を選んだ理由とは?『たこ焼き たこば』島田さんへのロングインタビュー

昭和27年の創業以来、「絆創膏を通じて、多くの人の”働く”を支えたい」という想いで、絆創膏ひとすじにやってきた『ニッコーバン』の日廣薬品。

私たちは、どんな人の”働く”を支えているのか? それを知るために、日廣薬品の公式noteでは、お客様の声を聞かせていただく連載企画をしています。

今回のお客様は、たこ焼き職人の島田良太さんです。

大阪市東淀川区にある『たこ焼き たこば』は、地元で長く愛されながら、全国からたこ焼きファンが駆けつける名店として知られています。その店長である島田さんが、昔から愛用しているのがニッコーバンです。

なぜ島田さんはたこ焼き職人の道を選んだのか。どんな想いでお店に立ち続けているのか。日廣薬品社長の金尾が、島田さんにインタビューさせてもらいました。

子ども時代の風景と、たこ焼き屋になるまで

── はじめに、島田さんご自身について伺いたいのですが、生まれはどちらになるんですか?

島田さん:
大阪の豊中です。両親が駅前の商店街で定食屋をやっていて、小さい頃から店の手伝いをしてましたね。小学校から帰ったら、店の隅で宿題をやって、店が忙しくなってきたら手伝って。調理もやってたし、両親がいない時は一人で店の留守番もしてましたね。

── たくましい子どもだったんですね。

島田さん:
当時は、そういうのが当たり前だったんですよ。『じゃりン子チエ』は知ってますか?あそこで描かれていることは、僕らにとっては嘘偽りのない日常の風景なんです。だから『じゃりン子チエ』は何十年たっても大阪人に愛されるんですよね。

── 10代の頃は、どんなことに熱中されていたんですか?

島田さん:
うーん、バンドですかね。80年代はバンドブームの全盛期で、流行りのバンドに憧れて、コピーバンドをやる人が多かったんです。僕は昔から人と一緒のことをやるのがイヤだったので、PERSONZのコピーとかをやってました。

あとは、とにかく働いてましたね。高校に入ってからアルバイトをはじめましたが、常に3つくらいの仕事を掛け持ちしてました。僕は昔から超ショートスリーパーで、寝なくても平気だったんですよ。どんどん仕事を入れていって、空いた時間にバンドをやってました。

── 当時は、どんな仕事をしていたんですか?

島田さん:
言い出すとキリがないくらい様々なアルバイトを経験しましたね。やったことがないのはホストくらいかな(笑)。実家の家計が苦しかったので、バイトで貯めたお金のほとんどは家に入れてました。

色々なバイトを転々とするなかで、唯一ずっと続けていたのが、たこ焼き屋です。豊中の駅前のスーパーの隅にたこ焼き屋があって、高校1年生の時から働いていました。ただ、アルバイトといっても店員は僕一人だけで、接客から調理まで全てやっていたので、今とほとんど変わりません。

20代半ばの頃に「30歳になったら、自分のたこ焼き屋をやる」と決めてからは、開業資金のために、北新地にあるたこ焼き屋でアルバイトをしてました。そこは朝までの営業だったので、稼ぎがよかったんですね。

また、「自分で店をやるからには、大阪一番のたこ焼き屋になりたい」と思い、北新地のお店で働きながら、修行のために色々なお店で働きました。大阪にある有名なお店を転々として、お店の味や雰囲気を掴めたら次の店へと移る。そんなことを繰り返してました。いま、自分のお店にそんな奴が来たら、ブチギレますけどね(笑)。

たこ焼き職人の道を選んだ理由

── 自分でたこ焼き屋をやりたいと思ったのは、どんな理由だったんですか?

島田さん:
現在は全国チェーン店が増えましたが、以前のたこ焼き屋は屋台みたいな感じで、一人でお店に立つのが当たり前だったんですよ。アルバイトといっても店長みたいなもので、仕入れから何もかもを一人で毎日やっていました。

その代わり、給料の仕組みは歩合制で、お店が儲かるとその利益はお給料にしっかりと反映されます。だから、アルバイトなんだけど、自分でお店をやっている感覚があって、「だったら、自分でお店を持ったほうがいいな」と思い至ったんですね。

たこ焼き屋は、接客にしても、味にしても、全ては自分次第で自分の責任。

だからこそ、自分のたこ焼きでお客さんに喜んでもらえると嬉しいし、頑張れば頑張るほど自分に戻ってくる。たこ焼き屋さんという仕事は自分に向いていると思って、この道で生きていこうと決めました。

── 島田さんが30歳の時に『たこば』がオープンしましたが、店名の由来は何なんでしょうか?

島田さん:
もともと僕は落語が大好きで、桂ざこばさんが大好きなんですよ。ざこばさんの「ざ」を、たこ焼きの「た」に変えて、『たこば』です。

あと、大阪には昔、雑喉場(ざこば)と呼ばれる魚市場があって、大阪の食文化を支える中心となった市場と言われています。落語の中にも、この市場の話が出てきたりするんですね。そういうのもあって、「ざこば」という名前からとっています。

── 落語がゆかりだったとは意外でした…!

島田さん:
そうですか(笑)。今思えば、落語家とたこ焼き屋は共通する部分もあって、両方とも一人でやるものなんですよね。落語家さんは体ひとつで高座にあがって、お客さんを喜ばせて、お金を稼いで帰る。そういう姿がカッコいいじゃないですか。

昔は、個性的な落語家さんが多くて、落語では古典を扱うけど、プライベートではすごくオシャレだったり。立川談志さんとか、カッコよかったですよね。

── 現在でも、落語を観に行かれるんですか?

島田さん:
見にいきますよ。うちのお店には、落語家さんのお客さんも多いですし。以前は、小さな落語会をお店で開いてましたよ。

格闘技やプロレスの人たちはポスターを持ってきてくれるので、店に貼ったり、SNSで紹介したりしますが、落語家さんはポスターを持ってこないからね(笑)。だから、落語家のお客さんが多いことは、あまり知られてないかもしれないですね。

昔からの変わらぬ味を提供するために

── 『たこば』がオープンしてから今年で20年と聞いてます。お店を続けるなかで、特にこだわっていることを教えてください。

島田さん:
それは開店当時からの味を絶対に変えないことですね。

これだけ物価が高騰すると、商売をするものとしては、「質を変えずに価格をあげる」か「価格を変えない代わりに質を落とすか」の二択を迫られます。これはどんな商売をやっていても避けられない選択です。

世の中をみると、値段はあまり変わっていないけど、中身が変わっているものって結構ありますよね。お菓子の袋を開けたら、以前よりどう見ても量が減っていたりすることがあるじゃないですか。

価格をキープすることが大事というのも企業のひとつの判断なので、それを悪く言うつもりはありません。けど、僕が選んだ道は、「味は変えない代わりに、価格を上げさせていただく」という方向でずっと来ています。

というのも、学生時代に通っていた思い出のお店に行った時に、味が変わってるほうがイヤなんですよ、僕の場合は。久しぶりに来たのに、明らかに味が落ちているのは、自分の経験上、すごく凹むので(笑)。

それだったら、価格を変えてでも、絶対に味を変えない。それをお店のポリシーとして、SNSなどでも繰り返し伝えさせていただいてますね。

──  確かに、 思い出の味が変わって凹む気持ちはすごく理解できます…

島田さん:
だから、ウチで出すタコには、ものすごくこだわっていますよ。タコは高級魚で価格も上がっているため、どの店でもタコのサイズが小さくなっています。でも僕はそんなことをするのがイヤなので、サイズも品質も絶対に下げません。たこ焼き屋ですから。

あとは、出汁にもこだわっていますね。現在は出汁入りのたこ焼き粉が普及してきて、価格を抑えるために、出汁からつくるお店が少なくなりつつあります。でも、ウチは小麦粉を専門業者から仕入れて、出汁を自分でつくり、手間暇かけて生地を作っています。

── こだわりを持ってお店を続ける中で、どんな時に喜びを感じますか?

島田さん:
やはり、お客様から嬉しい言葉をいただいた時ですね。

美味しい、頑張って下さい、また買いに来ます。こうした言葉は、ものすごく励みになりますよね。商売をやっていると大変なことも沢山あるじゃないですか。辛い時、しんどい時、もう辞めたくなった時。そうした時にお客様からの言葉が何度も支えになりました。

あとは、20年もお店をやっていると、地域の子ども達が一緒に育つのが嬉しいですよね。

小さい時によく食べに来てくれた子どもたちも、もう成人式を終えて、大人になっています。で、地元に帰省した時に、友だちを連れて、「ここのたこ焼き、めっちゃ美味しいから!」と食べに帰ってきてくれる。そういうのがすごく嬉しい。

だから、年末年始や大型連休は休めないんですよ。帰省した時にウチがやってなかったら、帰ってきた喜びが減るって、みんなが言うからやるしかない。「おっちゃん、休まれへんやん」って(笑)。

ニッコーバンがないと生きていけない(笑)

── 最後にニッコーバンについても聞かせてください。ニッコーバンを使いはじめたのは、いつ頃からですか?

島田さん:
たこ焼き屋でアルバイトをはじめた時からなので、高校生の頃から使ってますよ。たこ焼き屋は一人でお店をやっているので、営業中は店から離れることができません。なので、薬箱が用意されていて、そこにはニッコーバンがいつも大量に入っていました。

ニッコーバンはベッタリとくっついて、水仕事をしていてもすごく剝がれにくいので、本当に助かっています。

嘘みたいな話ですけど、飲食の仕事をしていると、お客様の商品に絆創膏が入ってしまったっていう話がたまにあるんですよ。だから、剥がれやすい絆創膏だとダメで。でも、傷があるのに調理をするわけにもいかないから、そういう意味で助かりますよね。

あと、分厚いところもいい。飲食業で一番困るのは、擦り傷じゃなくて、火傷なんです。小さい火傷でも、火を使う仕事なので、めちゃくちゃ痛い。そういう時にニッコーバンを重ねて貼っておくと、平気なんですよ。

年がら年中、指のどこかにニッコーバンを巻いている感じで、ポケットにはニッコーバンをずっと入れていますね。ニッコーバンがないと生きていけないくらい(笑)。

だから、金尾さんがお店に来てくださった時は嬉しかったですよ。まさか、自分が好きで使ってる商品の会社の社長に会えるとは思ってなかったので。

── 私のほうこそ嬉しいですよ。高校時代からニッコーバンを使ってくださってる方に会えるなんて奇跡的ですからね。お客様の存在が励みになっていると、島田さんはおっしゃっていましたが、私も同じなんです。「ニッコーバンがないと仕事ができない」とおっしゃってくださる方々の存在が、最大の励みになっています。

また、「品質を変えないことを大切にしている」という話がありましたが、そこも完全に同じだと感じました。私たちも品質を変えないことを大切にしています。お客様の期待を裏切っては、私たちの存在価値はなくなってしまいます。

なので、値段を少し上げさせていただく代わりに、変わらぬ品質を提供し続ける。そこは共通しているし、同じような想いでやっていることがわかりました。

島田さん:
そうですよね。価格を抑えたいからといって、ニッコーバンの品質が下がってしまったら、他の数ある絆創膏と一緒になってしまいますからね。変わらぬ品質でいてくれるから、僕らも安心して使えるわけで。

ただ、繰り返しになりますが、価格のために品質を落とすことも一つの判断なので、他社のことを悪く言うつもりはありません。ただ、僕がその意見ではないというだけの話です。

僕の筋としては、品質を落とすくらいなら、この仕事をやめる。価格を上げて、お客様が来なくなってしまっても、後悔はない。だって、嫌なことをしながら商売をするのは、もっと嫌だから。だから、お互いに頑張りましょう!

── ありがとうございます!これからも変わらぬ姿勢で、ものづくりを続けていきます!

撮影協力:たこ焼 たこば
【住所】大阪府大阪市東淀川区大隅1-1-19 プレアール大隅1階
【TEL】06-6323-7822
【営業時間】11:00〜15:00、 17:00〜23:00
【定休日】水曜日
【公式X(旧Twitter)】大阪 たこ焼たこば(@takoyakitakoba)さん / X (twitter.com)
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編集:日廣薬品 企画部

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