見出し画像

心ゆさぶられたくない

どうも自分はスマホのメッセージと相性が悪いなと思う時がある。文明の利器にはいつもお世話になっているくせになんて言い草だ。
先日、スマホを見ると「緊急」という短い単語と着信が入っていることに気が付いた。身内からだった。この時点で肝が冷える。
メッセージは30分前。電話をかける。出ない。ドッと心臓が跳ねる。
自分は映画館にいて、まさにこれから上映開始といったところだった。
落ち着けと自分に言い聞かせて、これまでのパターンを振り返る。
こういう場合、思いっきり心配して、大したことではなかった事がほとんどだった。自分の性質は昔より分かってきている。きっと大丈夫だ。
そう自分を落ち着けて、劇場に入る。たまたまだったが、一番端の出入り口の席を取っておいて良かった。他のお客さんからも距離が遠い。折り返しに気付けるように、スマホをバイブ設定にして手に持ち、着信時の光が漏れないように自分の上着を上から掛けた。そして上映開始10分後くらい。着信が来た。
キタ!と思ってサッと素早く(この間一、二秒くらい)スクリーンの外に出た。
そして結論から言うと、大した緊急ではなかった。

おい~~~~~!!!

まあなんとなく分かっていたけどさ。でもさあ。うん、……。
やり取りを終えて劇場に戻る。
ちなみに観たのは北野監督の『首』だった。バイオレンスアクション戦国時代。
感想を言うと、とても楽しかった。前面にコメディを押し出してるわけではないけれど、笑わずにいられない台詞のやり取り。血しぶきがスクリーンめいっぱいに飛び散り、首が吹っ飛ぶ。激しいが熱い。面白い。
感想はいったん置いておいて。もしこれが北野監督の作品でなかったら、しっとりラブストーリーものだったりしたら。私は映画に集中できなかっただろう。
電話の要件は相手からしたら緊急だったらしいが、こっちは誰かの訃報か事故かと構えてヒヤヒヤした。

私がおかしいのか?
それとも、ああいうメッセージや着信だけ残して、相手がどう思うか想像できない向こうが悪いのか?

昔、こんなこともあった。
やはりスマホにメッセージが残っていた。
友人Aから「たすけて」の四文字。見たとたん頭が冷えた。
そのときわたしは友人Bのライブを見に来ていて、そのメッセージを目にした途端、気がそぞろになった。
席を外してやり取りすると、「彼氏の親に会うことになった。急な展開に吐きそう。助けてほしいぐらい」という状況ということが分かった。
わたしは手にしていたスマホをぶん投げそうになった。
あの時の衝動は今でもはっきり覚えている。
友人Aは悪くない、勝手に勘違いしたわたしが悪い。そう言い聞かせてライブに戻ったが友人Bの出番は終わっていた。

そういった苦い思い出があり、重ねて最近ではわたし自身の性質を徐々に理解してきたということもあって(前回の記事参照)、突発的な出来事に対しても必要以上に心をゆさぶられないよう努めている。といっても努力していても限界があるのだが。
『異国日記』という漫画に、登場人物の槙生がこう話すシーンがある。

「いちいち傷ついていたら身がもたないから意識的に鈍麻して(中略)…そしたらそのうち本当に心が鈍くなった」

『異国日記』ヤマシタトモコ著

鈍麻(どんま)は、鈍く麻痺すること。
まさにこれ。どうやらむき出しの心でいたらこの世界に耐えられないと分かってから、なるべく心を鈍く鈍く努めるよう努力している気がする。
ふだんの自分の感覚が鈍くなるのは正直嫌だが、ポイントは「なるべく」鈍くするという所。これはHSP関連の本に出てくるが、自分の周りにバリアにも似たうっすら膜を張る感じ。
でなければこの世界に圧倒されて日々すり減らされて、生きていけない気がするから。

端的にやり取りできるテキストメッセージは便利だ。
でも、単語だけで何の事情も状況も伝わってこないゆえに、すぐ色々想像してしまう自分はそれと相性が悪いんだろうなと思っている。そんなことを思いながら今日もわたしはスマホを片手に生活している。

参考にした本:
『異国日記』ヤマシタトモコ(著)