どうも、HSS型HSPです。
自分の感じ方/感覚がどうやら人と違っている、と気づいたのは割と最近のことだ。
昔から、人と会話をしていて、毎回ではないけれど、こちらの受け答えに対して相手からイジられる、ツッコまれる、妙な空気が流れる、というのは割とあった(相手が親しい・親しくないに関わらず)。
何がおかしいのか分からない、けどその場に漂う空気は敏感にキャッチしてしまうものだから、相手の反応を見て”あ、なんか今マズったな”と冷や汗かくのはしょっちゅうだった。わりと地獄。同じ境地に陥りたくないから、その時のシチュエーションや会話の流れを記憶に刻んで、のちの人との会話に活かす(同じ轍を踏まないようにする)、そういうことをなんとなく、今までやってきた。
他人から見たら些細な刺激でも、それに対して”なんでそんなに動揺してるの?”と怪訝な顔をされたことも何度もある。過剰に刺激を受けやすいHSPの特性だからだと、今では分かるようになった。
HSPって言葉は、最近わりと聞くようになった。本屋に行くと関連の本がコーナーに並べられていたりする。HSP=繊細さん/とても敏感な人。シンプルに説明するにはこの上なく分かりやすい言葉だと思ってる。
そして私の場合、人からは”あなたが繊細?嘘でしょ?”と言われる。
HSS型HSP の気質を持つ、そんな社会人女です。
HSS型HSP。HSPと同じく、生まれ持った気質で、病気でもなければ疾患でもない。HSPは二つに分かれていて、HSS型/非HSS型と違いがあるらしい。HSSとは、刺激を大いに求める刺激追求性、好奇心旺盛を指しているとのこと。要はHSS型HSPは大胆なのに繊細、元気なのに傷つきやすい。
思えば小学生の頃、坂道を自転車ですごいスピードで駆け下りながら両目をつぶるということをして、木に激突して病院送り、唇を縫うという経験をしたことがある。我ながらアホすぎる。でも当時は、やりたかったことをやっただけだった。大人になった今だって刺激を求めているのが自分でも分かる。生きているうちにバンジージャンプやスカイダイビングもやってみたい。
同時にHSSが持つ飽きっぽさもとても分かってしまう。この厄介な退屈感/飽きっぽさというのは人生において薄まらない要素だと知って、少しツラい。いわゆる熱しやすく冷めやすいこの感覚はなかなか自分でも厄介というか、持て余しているフシがある。ただ、ハマった時の熱量はものすごい。オタ活しているとき、興味を持ったものに関してはどこまでも調べ上げる性質が役に立つ。でも冷めるとすぐ次の対象に行く。うーん、厄介だ。
自分の特性が分かると同時に、感じたことがある。
それは’’生きづれえなあ世の中は”という感覚だ。HSP関連じゃなくたってそう思ってる人はいっぱいいると思うので、自分だけの感覚ではないと思っているが。じゃあ自分の特性を知らない方が良かったのか、と言われるとそうでもない。
私が知ってよかったと思うのは、生きる方針が見えたからだ。
”自己認識がまず最も重要なステップ”
’’必ずしも自分が人と同じ反応をするわけではない、そしてそれは何も間違ってはいない”
という言葉に元気づけられたからだ。
人を嫌ってはいけない、他人の気分を害してはいけない、という強迫めいた考えはこの特性によるものだった!と知って今では少し気が楽だ。
知らない店に入って、知らない店員さんに接する時にすら気を遣うのはHSPあるあるだと思っているけどどうなんだろうか。
そんなわけで、今日も生きている。
何も特別なことではなく、自分の特性を言い訳にするつもりもなく、ただただ生きている。
参考にした本:
『マンガでわかる 敏感すぎる自分を好きになれる本』長沼睦雄(著)
『傷つきやすいのに刺激を求める人たち』トレイシー・クーパー(著)、喜多直子 (翻訳)