「楽しい」があれば十分
「充実した休日の過ごし方」と検索したことがある。それも一度や二度ではない。
そんな私にヒントをくれそうな本を見つけた。
群像編集部編『休むヒント。』(講談社)
複数の著者が同じテーマで書く、エッセイアンソロジーである。
読んだら、なぜ冒頭のような検索をしたのかも分かってきた。
最初のエッセイで早速はっとする。
私が休みに対して感じていたのは、こういうことなのかもしれない。
ざわざわしながら読み進めていくと、それは確信に変わった。
大人になってから芸術に関する仕事に憧れている。
もしそうだったら、大好きなアート鑑賞という行為が、仕事の一環になるのに。
芸術的才能がないから憧れるのだと疑わなかったけれど、きっとそういう考えも根底にあったのだ。
私はいわゆるクリエイティブと言われるような仕事にたずさわっているわけではないから、アート鑑賞は好きなことをしているだけ。それは価値がないし、値打ちがない。
だから好きなことが仕事につながるような職業に憧れるし、そういう時間の使い方が充実した休みの過ごし方なのだと思っているのだ。
そんな確信をもとにさらに読み進めていくと、「そうか!」と謎がとけたような言葉が出てきた。
「楽しい」と思えればそれで十分なのに。いや、こんな最高なことはないのに。その気持ちを否定してしまうのは、資本主義にのみ込まれてしまっている証拠だ。
そう考えると少し楽になった。調子が悪いときに原因が分かると安心するような、そんな種類の安心である。