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「楽しい」があれば十分

「充実した休日の過ごし方」と検索したことがある。それも一度や二度ではない。
そんな私にヒントをくれそうな本を見つけた。
群像編集部編『休むヒント。』(講談社)
複数の著者が同じテーマで書く、エッセイアンソロジーである。
読んだら、なぜ冒頭のような検索をしたのかも分かってきた。

最初のエッセイで早速はっとする。

休むことは無価値なことで、休めば休むほど自分が無価値な存在になっていくような感覚すらある。

麻布競馬場「不眠者の休息」

私が休みに対して感じていたのは、こういうことなのかもしれない。
ざわざわしながら読み進めていくと、それは確信に変わった。

生まれてしまったからには、命を美しく食べ尽くさなければ、なにか値打ちのあることをしなければ、と思えてならない。

向坂くじら「ホリ子ちゃん」

大人になってから芸術に関する仕事に憧れている。
もしそうだったら、大好きなアート鑑賞という行為が、仕事の一環になるのに。
芸術的才能がないから憧れるのだと疑わなかったけれど、きっとそういう考えも根底にあったのだ。
私はいわゆるクリエイティブと言われるような仕事にたずさわっているわけではないから、アート鑑賞は好きなことをしているだけ。それは価値がないし、値打ちがない。
だから好きなことが仕事につながるような職業に憧れるし、そういう時間の使い方が充実した休みの過ごし方なのだと思っているのだ。

そんな確信をもとにさらに読み進めていくと、「そうか!」と謎がとけたような言葉が出てきた。

ジョン・レノンが「If you enjoyed the time you wasted, then it wasn't wasted time(無駄にした時間が楽しければ、無駄な時間ではなかった)」と言ったとされるように、休むことや何もしないこと、「やらなきゃいけないこと」をいったん放棄しリラックスして休息を楽しむことは、生産と消費を人間の価値に結びつける資本主義社会においてはひとつの「抵抗」だ。資本主義に飼い慣らされた私たちは、休みに対して罪悪感を抱いて当然なのだ。

竹田ダニエル「マインドフルに休みたい」

「楽しい」と思えればそれで十分なのに。いや、こんな最高なことはないのに。その気持ちを否定してしまうのは、資本主義にのみ込まれてしまっている証拠だ。
そう考えると少し楽になった。調子が悪いときに原因が分かると安心するような、そんな種類の安心である。


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