人生という荒波を描き続けた男。葛飾北斎。
「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」の東京展が上野の森美術館で2014年9月13日(土)~11月9日(土)まで開催されます。
展覧会特設サイトURL http://ukiyoe.exhn.jp/
葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
江戸時代後期の浮世絵師。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。フィンセント・ファン・ゴッホなど、数々の芸術家に影響を与えており、過去には、ライフ誌の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一ランクインした。
今回はこの展覧会の開催を記念して、
葛飾北斎の生き様が感じられる名言と、それにまつわるエピソードを紹介します。
「私は絵を描く気違いである」
自ら「画狂老人」と称するほど絵画への執念はすさまじかった。生涯を芸術に捧げたのだ。つまり、狂うほど自分のやりたいことを突き詰めることが大切なのだ。
「百回引っ越してから死にたい」
創作に没頭するあまり、部屋は荒れ果て、その度に住居を変え、死ぬまでに90数回の引っ越しをした北斎は上の名言を残している。なぜ100回したいのか意味はわからないが、天才っぽさがびんびんに伝わってくる。
「餓死しても絵の仕事はやり通してみせる」
貧窮していても、気にせず絵のことしか考えていない。大家が来ても、米屋が来ても、その辺にある金を適当なだけ渡し、足りない時はせがまれ、多い時は着服された。それでも全くの無頓着。もうバカとしか言いようのない変わり者エピソードである。家族は困るが、後に伝説となるので、やってみてはどうか。
「外国人に日本人は人をみて値段を変えると思われることになる」
ある商館長に北斎が日本人男女の一生を描いた絵、2巻を150金で依頼された。そして随行の医師シーボルトにも同じ2巻150金で依頼された。北斎は承諾した。その後、商館長は契約通り150金を支払い受け取ったのだが、シーボルトの方は「商館長と違って薄給であり、同じようには謝礼できない。半値75金でどうか」と渋った。
北斎は「なぜ最初に言わないのか。同じ絵でも彩色を変えれば75金でも仕上げられた」とすこし憤った。シーボルトは「それならば1巻を買う」というと、通常の絵師ならそれで納めるところだが、北斎は憤慨して2巻とも持ち帰ってきた。当時一緒に暮らしていた妻も、「丹精込めてお描きでしょうが、損とわかっても売らなければ、また貧苦を重ねるのではないか」と諌めた。北斎はじっとしばらく黙っていたが「同じ絵を相手によって半値にすれば、日本の絵描きは掛け値の取引をすると言われる。この様な事は絵師のみでなく、日本人全体の信用に係わる大事なのだ。」と答えた。通訳官がこれを聞き、商館長に伝えたところ、恥じ入ってただちに追加の150金を支払い、2巻を受け取った。
カッコよすぎます。
「思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった」
決して現状に満足しない。いつまでも今の自分を最高の状態に。今までの功績は捨てる。昔の栄光を居酒屋で自慢している人には到底たどり着けない領域だ。
「猫一匹、満足に描けやしない」
謙虚な気持ちをいつまでも忘れない。どう見ても、絵うまいけどね!猫の絵最高だけどね!
「天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、 本当の絵描きになってみせるものを」
常に高みを目指す。北斎のこの言葉に対して、フランスの彫刻家ロダンは、「優れた頭脳になると生存の最終端に至るまで自分を育て自分を豊かにしてゆき得るものだ」という言葉を送っている。
「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」
辞世の句、「人魂で 行く気散じや 夏野原」の現代語訳。
生涯、狂うほど芸術を追求し続けた男の最後は驚くほどいさぎよいものだった。
この文章を最後まで読む人は、おそらく芸術に関心がある人だろう。
その中で、葛飾北斎のように人生の全てを捧げられる者が一人でもいるだろうか。
まぁ時代が違うけどね!
という言い訳の言葉で締めさせていただきます。