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法政大学,「思いやりの心」を時事・常識問題で遺憾なく発揮!

❖新型コロナに関する時事・常識問題が花盛り

以前ご紹介した明治大学の朝ドラインスパイア系入試問題,これは広い意味で時事・常識問題に含まれます。
時事・常識問題は作問者のクリエイティビティを刺激します。毎年似たりよったりの頻出・典型問題ばかりでは面白みがなく,モチベだだ下がりです。受験生に向けては,「教科書丸暗記の学習ばかりではダメ。いま起こっていること,問題になっていること,社会常識も押さえておこう!」というメッセージになります。ここは作問者の腕の見せ所!
昨年,今年あたりの入試トレンドは,なんといっても新型コロナです。現代文や英語の読解問題では,コロナ禍に関連した評論やエッセイが花盛り,世界史では「疾病史」をテーマとした出題が散見されました。

❖法政大学,「コロナ禍ネタ」で山内保博士を発掘!

法政大学も新型コロナ関連の野心的な時事・常識問題で気を吐きました。しかも,扱い方が難しそうな日本史で,これをやってのけたのです。

《リード文》
(前略)さて,2020年の春,世界は新型コロナウイルス(重篤な肺炎などの症状をもたらすウイルス)の(11※)感染拡大に悩まされた。そして,その後感染予防のために人々に在宅生活(stay home)が要請された。(後略)
       ※筆者注:(11)のあとの「感染」に下線が引かれている。

《設問》
問12 下線部(11)の感染に関連して,つぎのア~エのなかから正しいもの
を一つ選び,その記号をマークせよ。
ア.1894年,北原白秋は今日感染症の一つとされるペストが流行する香港に 
出張,調査し,その病原体を発見した。
イ.1897年,志賀直哉は今日感染症の一つとされる赤痢の病原体を発見した。
ウ.随筆『病牀六尺』を残した西園寺公望は,今日感染症の一つとされる結核を患い,1902年に亡くなった。
エ.1918年から世界中で猛威を振るったインフルエンザは,今日感染症の一つとされるが,山内(やまのうち)保らはその病原体を発見した。

法政大学文学部2021年度【日本史】大問4

選択肢ア~ウの北原白秋,志賀直哉,西園寺公望,加えて『病牀六尺』は,日本史選択者ならほぼ全員が知っています。しかし,エの山内保は・・・
知らん,誰やこのヒト??」試験会場に緊張が走ります。
知らなくて当然です。教科書や用語集には出てきません。法政大学がこの設問のために発掘した人物,彼こそ「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」なのです。

❖時事・常識問題として成立する理由

地歴公民の入試問題では,「教科書や用語集に掲載されていないものは出さない」という暗黙のルールがあります。しかし,時事・常識問題はそのルールの対象外です。
科目の性質上,政治・経済や地理は時事・常識問題が一定の割合で出題されますが,日本史や世界史では稀です。なので,選択肢エ「山内保」の名前を見た受験生は,一瞬ヤバっと思ったことでしょう。
しかし,そこはきちんと配慮がなされています。どう考えてもア~ウの選択肢はあり得ません。結局,消去法でエを選べるように作られているのです。おそらく正答率は9割以上,いや,全員正解かもしれません。
この設問が時事・常識問題として成立しているのは,選択肢エの「1918年から世界中で猛威を振るったインフルエンザ」,すなわちスペインかぜに関する時事常識を問うているからです。
確かに,新型コロナ関連のニュースや論評では過去の歴史に学ぶ形で「スペインかぜ」に大きな注目が集まりました。これを知らなければ「常識がない受験生」と言われても仕方ありません。一方,山内保は「受験生は知らなくて当然」との前提で,そもそもここを問おうという意図はないでしょう。

❖なぜ北里柴三郎や志賀潔を出さなかったのか?

にしても,なぜ詩人や小説家,政治家を畑違いの医学,感染症に紐付けて,消去法でいとも簡単に解けるようにしたのでしょうか。
この設問は大問4の掉尾を飾る最終問題,作問者としては「最後にピリっとした“ややムズの設問”を出して引き締めよう」と思うところです。
もし北里柴三郎志賀潔,野口英世などの名を挙げていれば,難易度もそうですが,設問としての完成度も高くなっていたはずです。
もちろん作問者は,最初はそうするつもりだったと思われます。
というのも,選択肢ア「1894年,今日感染症の一つとされるペストが流行する香港に出張,調査し,その病原体を発見した」のは,明らかに北里柴三郎ですし,選択肢イの「1897年,赤痢菌を発見」したのは志賀潔です。
しかし,この二人を選択肢に登場させた場合,外部からクレームが入るリスクが非常に高まります。ペスト赤痢も医学的には感染症として分類されているからです。
たとえば,選択肢アの北原白秋を北里柴三郎に,選択肢イの志賀直哉を志賀潔にした場合,「感染に関連して正しいもの」という設問形ではともに正解になってしまいます。
かと言って,アを志賀潔,イを北里柴三郎にして受験生を眩惑させるのはあまりにも忍びないというかあざとい感じなので,作問者の良心が許さなかったのではないかと想像されます。

❖呻吟の末の「思いやり最終サービス問題」 

選択肢ウの『病牀六尺』にいたっては,もう仕方ありません。
本来どの選択肢も「西暦何年,誰が,ナニナニの病原体を発見した」で揃えたかったでしょうが,残念ながらそれができない事情がありました。
なぜなら,日本史の教科書からペストと赤痢を拾った時点で,病原体のネタが底をついたからです。ウの「結核菌」を発見したのはロベルト・コッホ(1882年),日本史ではなく世界史の教科書に出てくる人物です。
さすがに「ウ.1882年,野口英世が結核菌を発見した」というフェイクをでっち上げるのも作問者の良心が許さない,そこまで落ちぶれたくないと。
もういい,コレで行こう!
呻吟した挙げ句の決断が,「消去法で迷わずエを選べる」という最終形だったのではないかと想像します。
ある意味とても潔いです。とことん受験生思いです。
重箱の隅を突っつくような陰湿で難解な正誤問題(某W大がお得意)を出すくらいなら,明るく分かりやすいサービス問題を出すほうがはるかにマシ,受験生も「最終問題はバッチリ!」という手応えを感じ,ほっこりした気分で試験会場を後にできます。終わり良ければすべて良し!
法政大学らしい「思いやりの心」の発露だと思います。

❖山内保博士を教科書に載せてほしいなあ!

それにしても,山内保博士の業績はもっと研究されてほしいし,世に知らしめてほしいですね(まだまだ知名度が足りない!)。私もこの入試問題を通して初めて博士のことを知りました。ネットでいくつか文献を調べてみて,「おっ、こんなに凄い日本人がいたんだ!」と感動を覚えました。
博士が本当に世界初のインフルエンザウイルス発見者だった,という歴史的評価がきちんと定まるのは,もう少し先のことかもしれません(もし教科書に載るとしたらそのあとですね)。
それでも,せっかく法政大学が「正解の選択肢」で受験生に紹介してくれた山内保博士です。1回こっきりの入試問題で忘れられてしまうのは,あまりにも残念すぎると思いませんか?
これを機会に大学の医学部や科学史研究家,それにメディアも博士の業績に注目し,インフルエンザウイルスの第一発見者に関する学際的研究や論議を盛り上げていきましょうよ!