④君の名前で僕を呼んで ジェームズ・アイヴォリー
「恋人と一緒に海外に行くならどこがいい?」
そう聞かれたら、僕はぜったいフィレンツェと答えるだろう。ジョットの鐘楼に上り、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを見下ろす。ウフィツィ美術館で迷子になりながら、これでもかというぐらいに彫刻と名画を見る。ヴェッキオ橋を渡り、金細工の指輪を買う。霧に覆われたアルノ川を越え、ピッティ宮殿と庭園をしばらく歩き回り、それからミケランジェロ広場までの長い階段を登る。広場についたらふたり腰をおろして、旧市街の夜景を眺めながらロマンティックに語り合う。誰しもにとって最高の一日が過ごせるはずだ。
2018年10月、はじめてフィレンツェへ旅行に出る前、僕は予習として映画「冷静と情熱のあいだ」(2001年)を見た。竹野内豊、30歳の時の出演作品だ。ドラマ「ビーチボーイズ」から4年後か。反町か竹野内かだったら竹野内、坂口憲二か伊藤英明かだったら伊藤英明。「白皙こそ好けれ」。
フィレンツェはプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の舞台でもある。この歌劇で歌われる「私のお父さん」(O mio babbino caro)を多くの人は聞いたことでしょう。
この曲が効果的に使われている映画に「眺めのいい部屋」という作品がある。原作は英国人作家のE・M・フォースター。主人公をヘレナ・ボナム=カーターが演じている。1985年に公開されたこの映画。監督はジェームズ・アイヴォリーという人である。
「眺めのいい部屋」
1928年6月7日生まれ。米・カリフォルニア出身。映画監督、脚本家。バイオグラフィを読むと、幼少期からオレゴンで育ち、51年にオレゴン大学にて美術の学位を取得したらしい。その後、南カリフォルニア大学シネマティック・アーツ・スクールに通い57年に卒業。
61年に映画制作会社「マーチャント・アイヴォリー・プロダクション」を設立。公私ともにパートナーであったイスマイル・マーチャント(1936~2005)と、アイヴォリーは44本の作品を手掛けた。
彼が脚光を浴びることになるのは85年に監督した映画「眺めのいい部屋」の大ヒットだ。この作品は86年のアカデミー賞において作品賞・監督賞を含む8部門にノミネート、脚色賞・衣装賞・美術賞の3部門を受賞した。
ヘレナ・ボナム=カーター演じる英国の中産階級に属する主人公・ルーシーは、お目付け役の従姉・シャーロット(演:マギー・スミス)に連れられフィレンツェを訪れる。予約時に聞いていたような「眺めのいい部屋」と違うじゃない!とシャーロットがプンプンしていると、同じ宿に居合わせた下級階級の旅行者・エマソンから「アルノ川が見えるうちの部屋と交換しませんか?」との申し入れ。が、シャーロットは中産階級のプライドからお断りをする。そんなこんなしていると、エマソンの息子ジョージ(演:ジュリアン・サンズ)とルーシーの恋が芽生えて・・・ってな話。でも身分が違うから・・・。
出演者はとても豪華。まずマギー・スミスとジュディ・デンチが共演。「ラヴェンダーの咲く庭で」「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」でまたタッグを組む、熟女好きにはたまらない名コンビ。いまや英国を代表する二大女優です。そしてルーシーが婚約する上流階級の青年セシル役には、アカデミー賞主演男優賞を歴代最多受賞(3回)するダニエル・デイ=ルイス。エマソン役には、自身のバイセクシュアリティを公言し92年にエイズで亡くなるデンホルム・エリオット。世界で活躍する個性派女優として大成したヘレナ・ボナム=カーターにとっても、この映画が出世作であった。
そんで、トンでもなイケメンがこの映画には二人出演していた。ジョージ役のジュリアン・サンズ(1957~)は英国きっての美形俳優として80年代から90年代初めにかけてその名を馳せた。
もう一人はルーシーの弟役で出演したルパート・グレイブス(1963~)。この子ったら、この映画と同時期にハーヴェイ・ファイアスタインの舞台「トーチソング・トリロジー」(ウェストエンド版)にも出演しているんです。彼ね、ゲイにモテる顔!
そんでこの映画にはスキャンダラスなシーンがあって、ルパート・グレイブス君のアソコがモロに映っているんです。しかもジュリアン・サンズと一緒に森の中の泉で「ウキウキワイワイ!」って感じのシーン。
このシーンについては、2011年公開のアンドリュー・ヘイ監督作のゲイ映画「ウィークエンド」でも語り草にされているので、台詞より一部抜粋した日本語訳(拙訳)と、ビデオ(「モーリス」じゃなくて「ウィークエンド」)をこちらに引っ張ってきます。チェケ!
それぐらいにネットがない時代には重宝された映画だったんですね(違)。ちなみに映画「ウィークエンド」は長い間日本の劇場では公開されてきませんでしたが、2019年9月にYEBISU GARDEN CINEMAで上映。僕も見に行きました。アンドリュー・ヘイ監督は「荒野にて」という映画でも知られていますが、米・HBO制作のテレビシリーズ「ルッキング」の監督・脚本・製作総指揮をしてます。
本題に戻って、アイヴォリー。彼は翌1986年、E・M・フォースターの作品「モーリス」を映画化します。
「モーリス」
「モーリス」の舞台は20世紀初頭、同性愛が犯罪とされていたエドワード朝時代の英国。ジェームズ・ウィルビー演じる主人公モーリスの「性の葛藤」が描かれる。ケンブリッジで出会い恋愛感情を抱く相手・クライヴを、若き日のヒュー・グラントが演じている。肉体関係に至らぬままやがて二人は学生時代を終え、モーリスは株の仲買人に、クライヴは法廷弁護士の職にとそれぞれ就く。クライヴは女性と結婚、モーリスは同性愛の悩みに苦しみ続けるが、下級階級のアレック(演:ルパート・グレイブス)という名の猟番人と出会い、物語はハッピーエンドの結末を迎える。
ヒュー・グラントめっちゃ若い!26歳ぐらい?「ノッティングヒルの恋人」の10年以上前だもん・・・今やダメ男を演じさせたら天下一のイギリスを代表する俳優ですね(私的「ダメ男の演技がうまいランキング」の第2位はライアン・ゴズリング)。
そして監督ジェームズ・アイヴォリー。いやまじでルパート・グレイブスの使い方上手や。プリっと小ぶりのお鼻、くりっとしたお眼目、甘えん坊のお口と前歯。
映画が公開された1986年、時はまさにエイズ・クライシスのど真ん中。「モーリス」はどう世の中に受け止められたのでしょうか。きっと、1960~70年代に生まれた人々にとっては、ハッピーエンドで終わるゲイ・ムービーが当時は稀有であったからこそ、大変な救いとして見えたのではないでしょうか。ニューヨーカー誌がこれについてまとめていたので引用します。
もちろん、「戦場のメリークリスマス」(83年)や「アナザー・カントリー」(84年)など同性愛のシーンを描いた作品はこれまでもあったけれど、「ハッピーエンド」で終わらせる(=つまり「僕もこんなふうに幸せになっていいんだ」と思わせてくれる)映画ではなかった。
ちなみに「ブロークバック・マウンテン」が公開されるのはこの約20年後のこと。僕にとっての「神様のお告げ」は「ブロークバック・マウンテン」だった。
2017年には4Kリストア版が上映され、「モーリス」はLGBT映画のレガシーとして今もなお多くの人の心を癒やしているんです。ところで、E・M・フォースターの原著は1913年から14年にかけて書かれたのですが、実はフォースターが没した翌年まで日の目を見ることはなかったんです。作家は34歳で書いた作品を、91歳で亡くなる時まで公の目に触れることをしませんでした。フォースターが逝去した70年、三島由紀夫も45歳で自害しています。ああ三島がこの作品を読んでいたとしたら。どういう世界になっていたのか。
E・Mフォースターとは
ジェームズ・アイヴォリーを語るうえで、フォースター(1879~1970)を抜きにして進めることはできない。「眺めのいい部屋」も「モーリス」も、91年にエマ・トンプソンを主演において撮った「ハワーズ・エンド」もフォースター文学が原作だ。「階級の差を超えた人間関係」が総じてフォースター文学のテーマですが、「モーリス」でもそれは描かれています。
フォースターは同性愛者だった。彼が過ごした時代、晩年の67年までイギリスで同性愛は犯罪行為とされていた。オスカー・ワイルドが逮捕されるのは1895年、アラン・チューリングが自殺するのは1954年。偉大なる人物をしても、同性愛を禁じる法を前にして屈することしか出来なかったのだ。
フォースターはイタリアやギリシアを旅したのち、インドや中東を目指した。1917年に旅先で現地の青年と出会うが、創作の源泉としたその若き青年は病に倒れ数年後に亡くなってしまう。1924年に5作目の長編小説「インドへの道」を出版して、フォースターは永遠に文壇を離れてしまう。「モーリス」を封印して、である。1964年の日記に、フォースターがこんな言葉を記したという。
彼は、自分の性的志向が犯罪とみなされるのであれば執筆活動を断つという選択をしたのだ。つらいね・・・だから長生きしたのに長編小説は片手で数えられるほどしか遺していないのです。。。このような形で「モーリス」はフォースターのまあいわば「遺作」ということになりましたんですな。
マーチャント・アイヴォリー・プロダクション
アイヴォリー監督に戻る。彼とフォースターとの共通点を見出すとすれば、それは「インド」への傾倒だった。アイヴォリーはインドの細密画(ミニアチュール)をコレクションしていて、またインドを舞台にした作品を「眺めのいい部屋」以前に沢山生み出している。そして「マーチャント・アイヴォリー・プロダクション」を立ち上げ、ビジネスで、そして私生活でもパートナーであったイスマイル・マーチャントはインド・ボンベイ出身のムスリムだった。マーチャントが2005年に69歳で亡くなるまで、二人はニューヨークで暮らした。
「マーチャント・アイヴォリー・プロダクション」の黄金期は、1985年から「眺めのいい部屋」から92年の「日の名残り」(カズオ・イシグロ原作)までの10年にも満たない期間だったが、アイヴォリーとマーチャントは61年(前者33歳、後者25歳)に出会って以降、44年間の苦楽を共にした。また二人は44本の映画を手掛け、そのうち23作の脚本を手掛けたのはルース・プラワー・ジャブヴァーラだった。ユダヤ人の女流作家で、ブッカー賞を受賞、「眺めのいい部屋」と「ハワーズ・エンド」でアカデミー賞脚色賞を受賞している。
「君の名前で僕を呼んで」
アイヴォリー個人がオスカー像を手にするのは、意外や意外、2018年のことです。御年89歳、アカデミー賞最高齢受賞記録でした。ゼロ年代生まれのゲイの若者にとって「神のお告げ」であろう映画「君の名前で僕を呼んで」で手掛けた脚本により、アイヴォリーはアカデミー賞脚色賞を18年に受賞します。
マーチャントの死後、まるでフォースターが文壇から離れたように、アイヴォリーも長らく映画の世界でその名を聞かなくなっていましたが、イタリアのルカ・グァダニーノ監督(「胸騒ぎのシチリア」)が制作した本作でカムバックしました。
物語は80年代前半のイタリアが舞台。ティモシー・シャラメくん演じる主人公エリオのひと夏の恋──男性に対する初恋を描きます。お相手は渋いお声のアーミー・ハマー。考古学を専攻する24歳の大学院生オリヴァー役でした。
アイヴォリーとグァダニーノの間で「俳優の全裸シーン」に対する意見の相違があったようで、結局アイヴォリーがもともと書き進めていた裸のシーンはスクリプトから除外されています。そしてもともとグァダニーノと共同でメガホンをとる予定でしたが、アイヴォリーは脚本のみとなってしまいました。
そういった意味で、アイヴォリー節がちょっと薄いながらも、一方で「純愛」が強調された映画「君の名前で僕を呼んで」ですが、僕じつは映画館に3回通いました。ひとりでも見た、一夜を共にした彼と翌日見にいったりもした、という懐かしい思い出。アンドレ・アシマンの原作も読んだし、続編の小説"Find Me"(映画化構想中らしいですね!)も読んだ。
ゲイのシンガーであるスフィアン・スティーヴンスの主題歌"Mystery of Love"はアカデミー賞歌曲賞にノミネートされましたね。この曲を聴くと、大好きだったけど結婚してしまった先輩を思い出す。。。この映画でも、夏が終わって国に戻ったオリヴァーがエンディングで結婚しちゃったり、「モーリス」でもクレイヴは結婚しちゃうし・・・悲しい恋。好きな人がほかの誰かと結婚して終わる恋。
物語の終盤でエリオに対して、彼の父親はこう語ります。
村上春樹の「ノルウェイの森」(1987年)で「哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできない」とワタナベ君が謂っていた言葉に近いものがある。失ったものは失ったものとしてしか受け止めることはできないから。
そんなんこんなんで、オスカー像を89歳で貰ったジェームズ・アイヴォリーお爺。ガーディアン誌のインタビューにはこう答えました。「これってダンベルぐらいの重さなんだよね。だから2個あるといい運動になる」。監督、もう1個アカデミー賞取りましょう!
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