イタリアでの幼稚園、印象的だった二つのイベント
今年の夏、6歳の息子が4年間の幼稚園生活を終えた。思い返せば、1年目の半年が回ったところで、街が封鎖されたのだった。ミラノ周辺は新型コロナの欧州の震源地といわれ、外出禁止の厳しいロックダウン措置が取られた。数ヶ月後に幼稚園が再開されても、先生達は白い防護服にマスクとフェイスシールドを装着して、汗だくで子供の相手をして下さったのは、忘れられない光景だ。コロナと幼稚園はセットで記憶されることだろう。
年齢混合クラスなので、年上のクラスメートが先に卒園したり、年下の子供達が加わったりするものの、4年間クラス替えは一度もなし。小さな幼稚園で他にクラスがないわけではなくて、他にも、このようなクラスがいくつもあるらしい。駄目パパの私でさえ、同じクラスだった同年齢十数人全員の顔と名前も覚えた。泣いてばかりいた幼児が、生意気な子供に成長する過程を共にし、それぞれに性格や気質が異なることも分かってくると、クラスメート達にも愛着が湧いてくるものだ。彼らも、私を知った顔として目を合わせてくれる。
卒園間際に行われた二つのイベントが、特別に印象深かった。忘れないうちに書いておこう。
一つ目のイベント 4泊5日のお泊まり保育
一つ目は「Scuola Naturaー自然学校」と呼ばれるお泊まり保育。卒園間際の年長児だけを対象にしていたものの、驚いたのは4泊5日と想像以上に長かったことだ。日本から取り寄せた教材では、近所の幼稚園で1泊するのにドキドキワクワクと言った描写だったのだが、彼らはミラノからクルマで1時間半から2時間もかかるマジョーレ湖畔のお屋敷で1週間近く過ごすと言うのだ。
私の知る狭い範囲でミラネーゼの友人たちに聞いてみると、このように子供たちのためと、有志からミラノ市に寄付されたお屋敷が郊外にいくつもあり、ミラノ発祥の試みなのだそうだ。ただ、子供たちが「Scuola Natura」に行くこと自体はよくある話であるものの、幼稚園児で4泊5日は珍しいのではないか?とのことだった。
両親がいわゆる「ガイジン」のうちの息子は、親戚もイタリア国内にいなく、一時的に祖父母などに預けられた経験さえもなかった。ただ、聞いてみるとイタリア人家庭でも、コロナ禍もあり、既往症のあるお年寄りなどに気を使い、似た境遇の子供たちもいたらしい。
まずは「そもそも、彼らは親から離れて寝られるのか?」と言った根本的な心配。そして、なんでも残さず食べなさいという教育も希薄なので、ほぼ子供全員が極度の偏食家。「そもそも、彼らは朝昼晩、食べられるのか?」言い始めらたキリがないのだが、「シャワーは?服は?」親たちの不安が尽きない中、先生が自信満々の笑顔で「このクラスなら全員大丈夫。4泊しないと子供たちの本当の成長と自信につながらない。常駐の医者もいるし、心配しないで任せてほしい!」と言うのだった。先生の「このクラスなら」と言う言葉に、他の親たちも「コロナ禍を一緒に仲良く過ごしたこのクラスなら」と言った意味合いを感じ取ったそうだ。行動範囲を広げるのが難しかった数年の間、一人っ子も多い彼らは長い時間を濃密に共有し、まとまりのあるコミュニティーを形作っていたのだった。「このクラスには思い入れがあるから、この旅を成功させたい」と願う先生の情熱が、言葉の端々から、ほとばしっていた。園のプログラムとしても、全く必須ではなく、先生と親と子供たちが、自発的にやる気にならないと実現しないプランだったのだ。
もちろん、行かせない家庭もあり、たとえ家庭が行かせても良いという方針だったとしても、最終的には「子供が行きたい!」と自分で決めない限りは行かせられない。うちの息子も不安そうにしていたので「行かない」と言うだろうと楽観的に予測していたのだが、出発の数日前には「行く!」と最終決断を下したらしく、親の方が「本当か?」とオタオタする始末。
いざ出発
さすがイタリア、出発時には人目憚らず涙ぐむママ友もいた。先生からの報告によると、出発してすぐにバスの中で、演劇の舞台のごとく大袈裟に悲しみを表現する子や、寝る時間には大声でわめきちらして大泣きする子も居たという。私たちは、先生のボイスメッセージを、昔のラジオ放送のように耳を澄まして聞き入った。彼らの留守中、ママ友パパ友たちと食前酒(アペリティーボ)を飲みつつ一度会った。簡単に迎えに行けない距離だけに、諦めの境地ではあるのだが、皆んなどことなく放心状態。激しく泣いているという情報が入っている子の親はもちろん心配していたのだが、全く平常通りに過ごしていると言う子の親も、逆に「親がいなくてもそんなに平気?独立心旺盛で、将来親元から離れそうで心配」と言って、ソワソワと落ち着きがない。うちの息子も、先生からスマートフォンに送られてくる写真やメッセージからは、問題なく楽しく過ごていた様子だった。しかし、ミラノに帰ってきて、お土産の説明や旅の冒険話などを聞き、夕飯を食べ終わる頃に、急に激しく泣いた。多分、イタリア人の子供などと比べると、感情表現がストレートではなくて、感情を我慢して溜めて後で吹き出すタイプなのだろう。そんな東っぽいメンタリティがあるのかもしれない。しかし、先生が言っていたように、やり遂げる自信につながったのか、この旅の前後でグッと成長したように感じた。
二つ目のイベント 卒園宣言発表会
二つ目は、卒園式がない代わりにクラス単位で行われた卒園宣言発表会的なイベント。一生懸命に準備したという触れ込みだったのだが、日本人の私の感覚からすると、決して上手とは言えない歌や踊りや、整列の統一感の無さなどに、一瞬呆気にとられた。「間違いつつも一生懸命」といった感じの雰囲気にさえ達していない。しかし、神妙に緊張している子供もいなく、それぞれに堂々としていて楽しそうなので、これはこれで不思議と心を奪われたのだった。園児の理想像みたいな事が、多分、日本とはかなり違うのかもしれない。考えてみれば、その幼稚園ではピアノもオルガンも見かけたことがなく、教諭が音楽の素養がある必要もない様だ。歌や踊りは楽しめれば良いという哲学なのだろう。
そういえば、工作も、廃品などを貼り合わせたりして「自然」や「色」といったテーマに沿ってコンセプチュアルな作品を作り上げるものが多かった。日本の園児の様に折り紙を折ったり切ったりして細かく作業する事もないので、子供達はそれほど手先も器用でない印象を受けていた。工作に関しても、歌や踊りと同様に、上手にこなすことは、元々から目指していないのだろう。
幼児教育 三つのキーワード
卒園後も、親子と先生達で食前酒(アペリティーボ)の時間に会ったりしている。これも、イタリア的と言えるのだろうか。クラス替えがないのも、これはこれで良い習慣なのかもしれない。幼稚園だけで、なんとも濃厚な人間関係が形成されてしまうのだ。丸々4年間お世話になり、膨大な時間を共有した先生のキアラと、最終年に担任だったカテリーナに、彼女たちが幼児教育において大事にしてきたことを聞いてみた。
迷わず、最初に出た三つのキーワードは「アイデンティティー(自我認識)、自律性、一般的な知識や能力」。この三つに明確な境界線があるわけでないものの、「まずは感情を自由にありのまま、体や言葉を使って表現できるようになること。そして、その感情を適度にコントロールすること。心身(メンタルにも物理的にも)両面において他人と適切な距離をとり、自分という人間の輪郭をはっきりさせること。自分が、家族、友人、社会、国や他国という大きな世界の一部であることを教えるのではなくて、一緒に体験してみること。他者との関係性にも様々なパターンがあることも学び、自分で、できることの醍醐味を一緒に喜ぶこと。自分がしたいことがはっきりしている場合は、それをできる限り優先させて、したくないことは無理に強要させないこと。そして、歌、踊り、工作などを通して、身体的な能力や表現能力を磨くこと」と言った事らしい。キーワードの中では、一番最初にでた言葉「アイデンティティー(自我認識)」の側面を最も重視し、次に「自律性」を優先しているようだ。より精神の健康にフォーカスしているとも言えそうだ。日本では多分、三つのキーワードは、ほぼ同じでも、優先順位がちょうど逆なのかもしれない。
多くの知識や能力を持つ「先生」と呼ばれる大人が、子供達に「教える」作業は一切なく、「教える/習う」の作業は、完全に小学校に託しているそうだ。読み書きはもちろんのこと、歌や踊りや工作なども体験するのであって、教えるというコンセプトは全く無いらしい。なるほど、イベントでの彼らの歌や踊りは、この文脈にあったわけだ。
自分は日本語、妻はロシア語の本の読み聞かせに園に伺った事があるのだが、それも園児の「アイデンティティー形成と、世界と自分の立ち位置」をつかむ体験の一環だったこともわかった。
なんだか、幼稚園児からして、すでに日本とイタリアの違いがあり、社会の縮図のような側面もあり興味深かったのだが、「できる限り好き嫌いなく食べて、整列や元気な挨拶ができて、上手にお遊戯や歌ができる」日本の園児たちが社会の宝であるのと同様に「感情表現豊かに、濃い人間関係を生き抜き、それぞれ自信満々」のイタリアの園児達も、また社会の宝なのだろう。
外国語週間では、学校全体で20以上の言語で読み聞かせをしたそうだ
日本語担当の私はオノマトペ(擬音語/擬態語)や歌を多用してみた
動画は桃太郎の歌
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ミラノ市立の幼稚園での個人的な経験談に過ぎず、イタリアの一般的な幼児教育については、私の知るところではありません。歴史的に実験的な試みにトライしてきた学校なので、現在進行形で新しい保育のあり方を探り続けているように感じました。
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子供たちの写真は家族の許可を得た上で使用しています。