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先が見えないことこそが

本当は全部知ってた。

けど、忘れちゃったの。

「……なんのために?」

それはね……


初めに


どうも、幸せ追求教師、ニキチャコです!

今回は、私が色々学んできたことが繋がって、妙に腑に落ちたとっておきの仮説をご紹介したいと思います。

かなりぶっ飛んでます。笑

こんなやつが教師!?ってびっくりされるかも知れませんが、堂々と教師です。笑

ここで紹介する仮説は、今の技術では証明することはできません。

「ほらね」と証明されるのは、私が○んだ後でしょう。笑

この現実世界がどのように作られているのか、私達はそれを知った後、何をすべきでしょう。

今ある現実について考えるきっかけになったら嬉しいです!

では、いきましょう!


先の見えない素晴らしい世界


わたしの中のズレ

私たちは、未来を予知することができません。

だから、これから何が起こるのか不安で、心配で、過去の経験や情報を使って、どうにか未来を予測しようとします。


なんで私の思い通りにならないの!?

なんであんなこと言っちゃうかな…… おれってやつは…

なんでこんなことが起こるの!?

最低な現実! くそくらえ!

と、思い通りにいかないこの世界に、思い通りにならない自分に嘆息し、絶望することもあります。

正直つらいし、しんどいものです。

そして、どうにか起こる現実をコントロールしたいと、いろいろなことを学びます。

それがとても大切な自分自身への気づきであり、学習であり、宝物となる経験です。

逆から考えると、最初から全てをコントロールできていたら、そんな気持ちは起こらなかったはずです。

しかし実際は、全てはびっくりするぐらい完璧なマッチングで起こっており、完璧にコントロールされています。

そのことは以前に記事で書きました。

この現実を映し出しているのは、私達(顕在意識)ではなく、無意識、集合的無意識と呼ばれる自分です。

その無意識の自分の思い通りになっています。

それだけでも面白いのに、もっと興味深いのは、体を動かしているのは、無意識の方の自分で、その行動を「しようと思った」という自分の意志は、後付けである。ということです。

この記事でも紹介したリベット実験で何度も検証されています。

私達の意志よりもコンマ数秒先に、無意識が体に司令を出しているという実験結果です。

私は、この顕在意識と潜在意識のズレこそが、ものすごく重要な仕組みなのではないかと考えました。

なぜなら、ズレていなければ、全ては完璧に思い通りだと私達は思っているはずだからです。

「全ては思い通りだ」と思っていれば、思い通りにいっていないじゃないか!という不足感と、思い通りにしたい!という欲求は生まれません。

不足感と欲求。これがめちゃくちゃ重要です。

私達は、欲求があるからこそ、行動します

食べたいと思わなければ食べないし、
学びたいと思わなければ、学びません。

この三次元世界の体を持っている時点で、私達はエネルギーを得ないと生きている状態を維持することはできません。

三大欲求も、行動を生んでいます。

体がなければ「~したい。しよう」とは思わないのです。

「脳の仕組みも、というか人間の体すべてが、欲求を生み出し、行動を起こさせるために作られている」
とは考えられないでしょうか。これが私の仮説です。


よくスピリチュアルの世界では、「地球は行動の星だ」と言われます。

この顕在意識と潜在意識のズレが、行動を引き起こしているのだとしたら、物質的な体をもった地球が「行動の星」と呼ばれるのは自然なことです。

ちなみに私は、スピリチュアルな世界を「非科学的だ」と信じないのではなく、「未科学的(いまだに科学で証明されていない)でいつか真偽がわかるもの」と考えています。



わたしはあなた あなたはわたし


「私もあなたも、実は泡の集合です」

なんて言われてもピンときませんよね。

私たちだけではなく、すべての物質が、実は泡でできています。

あなたの吸っている空気も、今触っているスマホやPCもです。

だとしたら、遠く空の下、この記事を読んでくださっているあなたも私も、その間のすべての空間も泡で繋がっているということになります。

この宇宙全てが、同じ泡でできている、たった一つの「何か」なのです。

その中で、みんな同じ体の一部なのに、わざわざ別の物をだと錯覚し、たった一つの何かの中で、お互いに芝居をしているようです。
一人二役どころではありません。

加えて、最近とても面白いことを耳にしました。

脳には、自分と自分以外の境界を認識するための部位があるようです。
方向定位連合野と言うらしいです。

この部分は、「物理的空間の中で自分自身を位置づける機能・役割」を担っているようです。
この機能がなければ、物理的世界で上下左右、位置関係を把握して、危険な状況を安全に回避することができません。言い換えれば、自分と自分以外を分離させる役割があります。

ある研究では、深い瞑想で「神とつながった」という神秘体験を経験している人の脳で、その瞬間に脳では何が起こっているかを調べました。

すると、普段から絶対に休まず活発に働いているその方向定位連合野の活動レベルが極端に低下していることがわかりました。

それはつまり、自分とそれ以外の区別がつかない状態、自分とその他全ての物質との境がなくなり、一体化している状態になっているということです。

「神とつながっている」というその神秘体験は、分離していた私達が、原点に回帰している瞬間ではないでしょうか。

これらことから、私達は実は「大いなる何か」と繋がっていた。また、脳の仕組みとして分離していると勘違いしているだけではないか、と考えられました。

私達は、別々の個体であるという錯覚、すべての情報はすでに今ここにあるのに、それがわからない、思い通りにならないという錯覚によって、不足感を持ち、欲求を生み出し、行動します。

そして、行動によって何かを体験します。


「なぜそんなことを?」と、思われますよね。

私が思い当たるのは、たった1つでは何もできないということです。
たった一つの完全な存在では、何もできません。
遊ぶという行為も生まれません。
この世に一つしかなければ、何も経験できません。
右手を左手で1人遊びをするしかないのです。

わたしは、たった一つの大いなる何かが、本気で1人遊びをしているように見えます。ガチの一人遊びです。

全ての情報があるところとの接続を断絶し、「たった一つの大いなる何か」から分離したと、本気で思わせるこの体の構造、脳の仕組みこそが、経験を促進する鍵ではないでしょうか。

私達はこの体をもって、経験をする生き物だということになります。
そのために生きているといっても過言ではありません。

だからこそ、地球は行動の星なのでしょう。

体こそが、1人遊びを1人遊びと思わせない完璧なVRヘッドセット、いやVRボディセットではないでしょうか。



胎内記憶

多くの子ども達が、生まれる前の記憶を語っています。

「わたしはお母さんを選んできた」と、「どんな人生を歩むかを決めてきた」と、いっています。

その言葉を信じるならば、先ほどの話と関連が見えてきます。

すべての情報は、そこにあるけど、どんな体験をするかは計画してきているけど、すべて忘れてしまう。それはつまり、覚えていたら意味がないということです。

「たった一つの大いなる何か」は経験がしたい。
だからこそ、「たった一つの大いなる何か」から分離して、未来に対して盲目になり、経験を促進するこの体を通して、五感を使って0から経験する。それが人として生きるということになります。

胎内記憶が残っているのは、もしかしたら、脳の小さなバグかもしれない?とも思いました。

脳のある部分がまだ発達していないからこそ、壁がまだ形成されていないのではないか。
子どもは幽霊とか人以外のものが見えたりすると言われるのも、関係するのではないか。
発達障害の子達が「スターシード」と呼ばれるのも、関係があるのでは。
なんて考えちゃいました。飛躍しすぎでしょうか?笑

どちらにしてもここまでのことをまとめれば、これから起こる全てのことは、私達「大いなる何か」にとって、経験という素晴らしい価値しかないわけです。


経験という価値

悲しくつらい気持ちになるのも、怒りを感じるのも、美味しいと感じるのも、冷たいと感じるのも、いい匂いと感じるのも、全てが等しく経験です。

そこに優劣はありません。

体があるから欲求が生まれ、あなたは必然的に行動し、経験できます。

未来がわからないから、先が見えないから、あなたは新鮮な経験ができます。

この体って、すごいですよね?

この体のおかげで、あなたはあなたの人生を、新鮮な体験を常にできます。

五感をフルに使って、経験してみませんか。

匂いをかいで、音を聞いて、目で光を感じて、触って手触りを、温度を確かめて、味を感じて。
全てを味わいましょう。

あなたにしかできない。
あなただけのかけがえのない経験です。

それだけ考えて生きるのでもいいでしょう。
今この瞬間を五感をフルに使って味わう。

それだけしかしない人生も、めちゃくちゃ素晴らしいということです!

それが「今ここ」を生きる「マインドフルネス」の考え方ですよね。

マインドフルネスとは、体をもった私たちの本来の生き方なんでしょうね。


体について知った今、やるべきことは?


私たちは経験をするために生きている。

そのための体がある。

私達がするべきことは、この体でできることを余すことなく経験すること。

五感を使って全てを味わうこと。

先が見えないからこそ、わくわくドキドキして何が起こるかわからないこの現実を新鮮な気持ちで楽しむこと。

私達が良くないと考える気持ちも全て等しく価値のあるものです。

怒りも、嫉妬も、悲しみも、全部OKです。

それらをしっかり味わえば良いのです。

わざわざ、それを経験しにきているのです。

だから、背伸びすることもなく、卑下することもなく、そのままの人生を味わい、楽しむことです。

それが、私たちに唯一できることだと考えます。


終わりに

良い未来を。良い未来を。良い未来を!

と、私は欲求を減らしたり、心の平穏を求めたりしていました。

未来を選ぶ未来日記もそうです。

でも気づきました。

ポジティブな気持ちで過ごす人生も、
ネガティブな気持ちで過ごす人生も、
どちらも同じ価値で素晴らしい。

私の人生も、あなたの人生も、それがどんな人生であっても、素晴らしいものだと言いきれます。

その人生を体験するために生まれてきたのです。

背伸びせず、卑下もせず、ありのままのあなたで過ごすその人生で、もうすでに満点なのです。

バッドエンドであっても素晴らしいのです。

実は、これらのひらめきは歌からもらいました。

竹内まりやさんの「いのちの歌」です。

生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々の温かさ
この星の片隅で めぐり逢えた奇跡は
どんな宝石よりも 大切な宝物
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

本当に大事なものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

いつかは誰でも この星にさよならをする時がくるけれど 
命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう 
この命にありがとう

竹内まりや「いのちの歌」より

こんな素晴らしい歌詞が生まれるのは、そのような体験をした人がいたからです。

音楽に感動し、心救われる人はたくさんいます。
その歌詞は、きっと誰かの人生。
それらを味わえるのは、そんな体験をした人がいたからです。
その人の人生がなければ、その音楽は生まれていません。
私もあなたも感動させてもらえていないでしょう。

だから、どんな人生にも意味がある。
どんな人生も素晴らしい。
良くしようと思う必要もない。
このままで素晴らしいんだ。

そう思ったんです。



経験をするために、別々の個体と錯覚し、盲目になって新鮮な気持ちで楽しむ。
そのためのスーパー装置が体。

その仮説は、私がこの体を失った後、感覚的に理解できるものかもしれません。

少なくとも、体を持っている今はその体験をすることができません。

だから、人類には証明することはできません。

信じるか信じないかはあなた次第!笑

私はこの一人芝居を、どんな台本であっても、しっかり五感で味わい、感情総動員で楽しんでいきたいと思います。

あなたのありのままの人生が、どこかで誰かの役に立っています。
私の代わりにあなたの人生を一生懸命味わってくれて、ありがとうございます😊
私もあなたの代わりに私の人生をしっかりと味わいますね!


「どんな経験も、どんな人生も素晴らしい」
そう思った方が楽しくないですか?😄


ここまでお読みくださり、大感謝です!
楽しんでいただけましたでしょうか。
私の大きな独り言にお付き合いくださり、ありがとうございます😅

ではまたお会いしましょう!

ニキチャコでした!まったね〜!(^o^)/



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