子どもにとっての居場所とは?
『子どもにとって困ったときに話せる大人が
一人でもいればいい。それが親でなくても。』
という言葉に反応する人がいた。
反応したその人は、
『私は子どもにとっての居場所は
自分(母親)でありたい』
と言い、憤慨していた。
私は前職の事もあり、
『困ったときに逃げ込める居場所づくり』を
目指していたので、前者の意見は理解できた。
だけど実際、親の立場になってみると、
子を持つ親の大半は、
後者の意見になることも納得する。
立場の違いというか、
捉え方の問題なんだろうけど、
え、そんなに拒絶する!?
というくらいびっくりしたのだ。
でもそれは、今のところ私は、
子どもに関して直面する問題が思いつかないし、
うちの子は大丈夫でしょ。といった思いで
いるからかもしれない。
実際、今行っている保育園での出来事は、
知らない事もあるかもしれない。
子どもが小さい頃(特に未満児)は、
保育園と密に連絡を取り合って、
その日の保育園での出来事や
食べたもの、遊んだことが分かるように
先生が丁寧に書いてくれていたが、
2歳になると連絡帳も簡略化され、
書きたいときに書くスタイル。
何なら、『今日、保育園でなにして遊んだの?』という問いに対して
3歳5歳の娘は『覚えてな〜い』の返事。
しまいには『聞かないで!』とまで言う。
『親には知られたくないこと』って、あるよね。
と、自分の記憶を辿ってみてしみじみ。
親が知らなくても、
本人が納得して解決できていればそれでいい。
そんな程度の距離感でいいんだろうなと思う。
我が子ばかりにフォーカスし過ぎず、
なんか楽しそうだな、とか、
元気に保育園、学校に行っているな、
ぐらいの感覚でいいのかもしれない。
あとは、関係する周囲の大人や環境と
関係づくりをしながら、子を見守る、
そのぐらいでいいのかもしれない。
でもその塩梅が絶妙に難しくて。
そもそも子どもの居場所って
どういうところかな、とか、
居場所ってあるのかな、とか。
心配する事もあったり。
そんなことを思う出来事でした。