二軒茶屋餅もの語り【5】角屋の昔ばなし
二軒茶屋の物語を伝える民具館
―――本店の道挟んで向かいにも、古くて立派な建物がありますね。
成宗さん:
これもうちの建物で「民具館」と呼んでいます。元々は蔵やったんですけど、父が骨董好きなのと、お客様に見ていただくために、昭和57~58年に改装して展示館にしました。ここにあるのは全部うちにあったもので、多分江戸時代ぐらいの物から、私の代でも使っていた物まであるんです。見てみますか?
―――ぜひ拝見したいです。この民具館は、一般公開しているんですか?
成宗さん:
本店が開いている時は、お客様ならどなたでも入れます。
―――うわぁ、昔の道具がいっぱいですね。見たことない物もたくさん。
成宗さん:
これは石臼で、祖父の代から使っていて、私の代もこれで餅をついていました。機械いうてもモーターが高価な時代やったんで、コイルモーターが1個だけあって、そこから全部ベルトで動力を引っ張る仕掛けになってます。
宗一郎さん:
これは戦前から使っていた。蒸したもち米ここに入れて上からドッスンドッスンって。
―――これ、餅を返すのは手ですか?挟まれたらと思うと、怖そうです。
成宗さん:
手です。慣れると同じ速度で同じところに落ちてくるので、どつかれたことはないです。
―――これも年季が入ってますね。レジですか?
成宗さん:
これは私が若い頃まで使っていたんです。税務署に「もう、何としても記録取れるものにしてくれ」って言われて今のレジに変えたんですけど。本当はこっちの方が使いやすいんですよね。
それ以前に使っていた「銭函」なんかも2~3点ありますよ。
―――時代劇で見たことあるような番台が。
成宗さん:
大福帳、掛帳かな。昔「角屋」には支店がありまして、そこは酒問屋だったんですけど。そこの扱い品もよく出てくるんです。こんなのも細かく見ていくと面白いんでしょうけど。
―――この大福帳、「鈴木宗兵衛」って書いてありますね。
成宗さん:
うちは代々「宗」の字を継ぐんです。宗兵衛さんは、江戸時代の人やったと思いますわ。
宗一郎さん:
私のところは一般平民ですけれども、江戸時代から「鈴木」という姓を持っていまして。
成宗さん:
「角屋」は、うちの屋号なんです。
―――江戸時代に苗字を持つということは、先祖伝来の領地があったとか、そういうことですよね。
宗一郎さん:
うちとご縁のある松尾観音寺さんに、うちの先祖が寄付した地蔵さんがあるんです。そこに「寛政年間(1789~1801年)二軒茶屋 鈴木宗兵衛寄進」と書いてありますので。その頃から苗字を持っていたということは、少しぐらいはマシやったかなと。
空襲、大地震、食料難、幾多の危機を乗り越えて
―――440年も続けていらっしゃったら、いろいろなことがあったのでしょうね。
宗一郎さん:
そうですね、戦争がありました。日本全国、食うや食わずやった。食料自体もですけど、国家統制で昭和18~19年頃から昭和21~22年頃まで、砂糖の顔を見たことがなかった。日本で砂糖採れへんもん。空襲やなんやでまともに仕事はできないし。商売どころではない。
―――神宮のある伊勢にまで、空襲があったのですか?
宗一郎さん:
空襲は日本全国でありましたよ。私が旧制中学におる時分。米軍のB-29の爆撃があった。それからP-51 が機銃掃射を仕掛けてきた。
成宗さん:
この辺りの空襲、相当すごかったみたいですね。
―――命からがら、すんでのところだったと。
宗一郎さん:
毎日空襲やなんやの上に、この辺りは昭和19年・20年・21年と大きな地震がありました。
―――え、空襲の上に、大地震が3回もあったのですか?
宗一郎さん:
昭和19年(1945年)12月7日に東南海地震、ちょうど12月8日大詔奉戴日(太平洋戦争開戦の日)の前日やって覚えています。翌年に三河地震があって、その翌年にまた南海があった。
空襲で上からやられるし、地下で地震が来るし。寝る時はいつでも逃げられるように、ゲートルを履いて寝とったもん。
―――伊勢に、そんな大変な時代があったなんて。
〈続〉