コロナ禍でメンタルヘルスを思う
はじめに
社会に未曾有の混乱と不安をもたらした今回の新型コロナウイルス禍は、社会、経済の停滞と疲弊とともに、人の心に荒廃を招くなど、メンタルヘルス(精神保健)にも影響を与えている。私は、そのための「治療、回復のための切れ目ない支援体制の整備が不可欠だ」と訴えたい。
DPATもいいが、精神医療は「林業」の如し
当院では、今年3月末から、「相談」「外来」「入院」の項目別に新型コロナ関連の精神疾患の動向をまとめている。まだコロナ禍の8月現在、コロナ禍が直接的に影響したと推測される患者数は大きく伸びていない。だが、自然災害時にも見られるが、今後2、3年のうちに急増する。とくに今回は、医療従事者、介護職、そしてエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちが気がかりだ。その使命感が強ければ強いほどうつ病やもろもろの依存症といった精神疾患に罹患することが懸念される。
すでにおきている疾病構造の変化
現在の精神疾患は、大きく二つの流れに分けられる。一つは統合失調症で、戦後しばらくはこの患者がほとんどを占めていたが、現在は激減。代わって、新たに台頭してきたのが、うつ病とアルコールやギャンブルなどの依存症である。
精神疾患は今やがんや脳卒中などと並ぶ五大疾病の一つに数えられるほど、その割合は増えているものの、現在の精神医療は、「こうした疾病構造の変化に対応できていない」。
その原因について「精神科医がうつ病もだが、もろもろの依存症の的確な診断と治療のすすめ方を身に付けていない」と指摘したい。近年、同院に他の精神科や心療内科からの紹介で受診する依存症患者の6割以上が依存症以外の診断名で治療が行われていた。また、当院に何とか受診してきた患者(依存症者)は、他の精神科や心療内科を掲げる医療機関で「門前払い」、「まともに相手にされず、治療が中断」のケースが少なくない。特に、プライドなどから自分の病を受け入れられない「否認」の問題を抱える依存症を治療につなげるのは難しい。そのために臨床の実践知が問われ、経験豊富なノウハウが重要となる。
コロナ禍のメンタルへルス、求められる精神医療
このコロナ禍、そしてこれから、とプライド「否認」について考察を加えてみると、「社会活動の停滞、コロナ国債、今後の経済に対する影響が著しいことは多くを語る必要はない。国民の多くは、そんな現状、未来の経済的な課題のみでなく、彼らがこれまで培ってきた誇り、プライドも打ち砕かれている。そんな状況から立ち直るのは容易ではない」といっていいだろう。「そこで立ち直りがかなわなかったり、または克服するのに多くのエネルギーを要する場合、〝喪失〟あるいは〝燃え尽き〟からうつ病、もろもろの依存症に陥るのは自明のことだ」。そして、「その先の自殺が…」。その対策は急務であるが、現状は、そんな精神医療に対する関心と対策が充分とはいえない。今こそ「経験豊富な臨床の実践知が重要である」。
温故知新
1975年、当時の神戸大学教授、中井久夫は次のように語っている。
高度成長を支えた者のかなりの部分が執着性気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着性気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた。(中略)その後に来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものではないかと…
その後、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と国民は大挙して、さらなる経済活動を推し進めた。結果、バブル崩壊。そして平成の時代の日本は国際競争力を失い、日本経済は崖っぷちに追い込まれた。そこでオリンピックだ、インバウンドだ、と何とか取り返そうとしていたところへ、新型コロナが来てしまった……。これから対策、そして、その立て直しは待ったなしだ。そんな先の時代は、中井の語る1970年代半ばと、重なるところがある。現に、4~5年前から、「陶酔的」について法は成立してないが、(違法)薬物使用に対する刑の一部執行猶予制度の導入、「自己破壊的」は過労死等対策推進法が、そして「酩酊的」はアルコール健康障害対策基本法、さらに「投機的」にはギャンブル依存症対策基本法が整備されている。しかし、「仏作って魂入れず」の感は否めない。
習うより慣れろ
とくに、「依存症」に関しては、厚生労働省の医道審議会医師臨床研修部会において2018年3月までに臨床研修で経験すべき到達目標の疾患としてあげている。しかし、未だ研修必須の疾患とはなっていない。これは、総合病院の精神科を含めて、精神科医療機関で臨床研修医のための症例の準備(レポート作成)ができないためだと推察する外はない。確かに現在の全国規模の依存症研修は、欧米から導入された当事者、家族向けのSMARPP(スマープ)、CRAFT(クラフト)といったパッケージ化した技法が主流である。それもいいだろう。だが、精神医療に携わる諸氏に次の3点を提言したい。1つ目は、アルコール、薬物、ギャンブルなどと区別することなくすべての依存症に対して向き合う心構えについて。次にうつ病などの他の精神疾患と依存症とは合併、重複していることが多いのを踏まえた治療技術について。最後に当事者グループ、家族会と上手に付き合う姿勢の大切さについて。これら3点の実践こそが重要である。その上で、「普通の精神病院(精神科クリニック)で片手間に行える依存症治療」の構築を図ってもらいたいものである。
結び
この先、人と人とのつながりは大きく変化し、多様化するであろう。内閣府は2020年1月、多数のアバター、AIロボットと共生し、それを活用した社会作り、「ムーンショット目標」を発表した。達成は2050年としている。そんな社会における精神医療とは? 今から考えておいたほうがよさそうだ。
◎参考図書◎
『再建の倫理としての勤勉と工夫』
「躁うつ病の精神病理1 笠原 嘉 編」
中井 久夫 1975年 (昭和50年)弘文堂
2020年8月20日記
※ 今年はコロナ禍で総合病院よりの研修医のローテーションは、10月からだった。そこで、2020年10月1日に某総合病院より研修医受け入れで判明したこと。2020年より「依存症」疾患が研修医のレポート作成の要件に追加されていたのを知った。ただ、ニコチン、アルコール、薬物、ギャンブルのいずれかとなっている。精神科領域の依存症疾患のレポートがどの程度作成されるか注視した。 注)厚生労働省:医師臨床研修指導ガイドラインー2020年度版ー、平成31年3月(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000496242.pdf)(2020年7月時点)