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ライシャワー事件とその後

『日本の精神科病床は何故、未だに30万床のままなのか?』2021年6月号より


1964年(昭和39年)当時のライシャワー駐日アメリカ合衆国大使が精神障害者に襲われる事件が発生した。エドウィン・O・ライシャワーは、幼いころ日本で暮らし、戦前より知日家として知られ、戦後、日本占領政策とその後の復興にも影響を与えた人物だ。当時の日本の為政者には衝撃だったはずだ。その事件後、1965年(昭和40年)、改正精神衛生法が施行され、精神衛生センターの設置、通院医療費公費負担制度が新設されたものの、強制入院処遇に偏った内容にとどまったことは否めない。
そして、1960年代後半(昭和40年前後)に入ると、いわゆる団塊の世代(1年に約250万人)が成人となる。つまりその約100人に一人が青年期に発病する統合失調症、年間約2万5千人だ。団塊の世代と呼ばれた時期が概ね4年とすれば約10万人が発病することになる。そんな患者の受け入れはというと、当初入退院を繰り返しながらも、早晩長期入院となるのがほとんどだった。その後約20年近く、全国の精神病院は超過入院が常態となる。だが、行政サイドはその超過入院処遇に対して、是正を求めるどころか、むしろ必要な職員数は名義借りで書類上の員数合わせで可とし、増床を許可するといった時代が続いた。
そんな中、1970年(昭和45年)、朝日新聞記者による『ルポ・精神病棟』が朝日新聞に連載され、「精神病院はいらない」の一大キャンペーンが繰り広げられることになる。
そして、1984年(昭和59年)の宇都宮病院事件を契機に、1987年(昭和62年)に従来の精神衛生法を大改正し,任意入院、精神保健指定医、精神医療審査会を制度改革の3本柱とする精神保健法が成立した(「精神科医療における自明性の検証」・精神科治療学、星和書店、2019. 8平田豊明)。
確かこの法改正後、精神病院に「科」を付けて『精神科病院』と表記し、また、精神科病院には鉄格子は相応しくないと、鉄格子外しを機に精神科病院の改築ブームが訪れたと記憶している。また、通信の自由の保障とやらで、各病棟に公衆電話を設置が義務に!だが昨今の通信の自由とは、スマホ所持を保証した上で、通話、メール等の送受信を認めることではないか。となると、公衆電話設置義務は如何なものか? そんな時の流れのなか、全国の精神科病床は未だに30万床のままである。

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