春がいっぱいっていいもんだ
あるおうちの花壇。いつもお婆さんが丁寧に水やりをされてます。
久しぶりに前を通りました。まあなんと!鮮やかに色とりどりの春の花が咲いています。
丁度お婆さんが庭に出ておられたので「きれいに咲きましたね!」と声をかけました。外に出かけられないので今年は庭仕事の時間が増えたそうです。
この春はお孫さんが中学を卒業。もう一人の孫さんは保育園に。ご主人は退院されて縁側からニコニコと私たちを見ておられます。
良いことばかりの春になったと喜んでおられます。お二人はいつも仲良く歩いて買い物に行ったり、散歩をしたりうらやましいご夫婦です。
こんな老後を迎えることが出来なかった私ですが、もしお二人ぐらいまで一緒に生きたならどんな夫婦になっていたんだろうと勝手に想像して、恋愛中は結婚したら添い遂げるのは当たり前だと疑わなかった青さが懐かしくなりました。
主人は桜の花が大好きでした。
年を取って逝くときは桜の季節がいいと言ってましたが、その願いはかなわず葉っぱが赤く染まる季節でした。
人生思うようにはいかないものです。私は出来たら桜を見送ってからがいい。散るのを見て自分に重ねる気持ちの余裕があったらかっこいいなあと思います。
四季のある日本に生まれて幸せと思えるのはやはり年を重ねてからです。
寝苦しい夏の夜、寒くて寝られない冬。若い時は常夏のハワイに憧れました。いつも同じような季節!これなら住みやすい。生きやすいように思っていましたが、いろんなことを経験してくると、一年を通して、一本の花の成長にも、山の景色にも、楽しめる四季があることがどれほど自分の生活をドラマチックにしてくれたのかが分かります。
季節を愛でることは心のひだを増やすこと。心のパレットの色が無限に広がることです。
「何とかこの夏を乗り越えた!」とみんな一応に同年代は言いますが、無意識にその世界の色彩をその時ごとに楽しめることが分かっているからかもしれません。
「ニケちゃんの冬毛もそろそろね!」コロンとダブルコートのその体を見ておばあさんは目を細めます。小さく尻尾を振ってニケは「この人!嫌い」ではなさそうです。
主人がいなくなって最初の桜は切なく、「私は桜を見てしまった」と少々意味不明な言葉が頭をよぎりましたが、今は今年も満開の桜を見ることが出来ることを、ありがたいと思えるようになりました。
これからは花だよりが増えそうです。楽しみが増えました!